日々の抄

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 ダムは本当に必要なのか

2009年9月28日(月)

 圧倒的な自公惨敗の衆院選以降、世の中の空気が変わってきた感じがする。従来のように、先が見えず、将来への展望が利かない状況から抜け出したい強い気持ちが選挙結果をもたらしたのだろう。官僚の天下りをはじめとする目に余る血税の無駄遣い、官僚依存政治、消えた年金などの行政、政治への不信感が選挙結果に結びついたのだろうが、首相の無節操さ、閣僚の更迭などはその引き金になったにすぎない。考えようによっては、麻生氏は民主党政権を成立させた最大の功労者だったのかもしれない。

 だが、新政権がどれほどのことをしてくれるのか。年金、税制、外交しかりである。しかし従来の政治にない国民の視点に立っての政治に期待したい。天下り禁止、無駄な大型公共事業投資の見直しは大いに期待したいことのひとつである。新しい何かを期待したいが、若干の不安を感じないわけに行かない。ただ、年金問題をはじめとして、野党時代に得られなかった内部資料が、手に入る状況に変わることで新展開は期待できるだろう。新首相が国連で演説した、「暖化ガスを25%削減」は果たして可能なのか、大いに疑問である。国民生活に期待を持たせている公約はどれほど実行できるのか、これからが試練である。もし、公約倒れが続けば、どれほど多くの国民に失望と政治不信を招くことか。

 当座の問題は八ッ場ダム問題である。政権公約に建設中止を掲げてきており、地元の反対があっても「中止に変更はない」とすることは、民主党にとっては当然のことだろう。地元民が建設中止に反対する理由は、「国が進めていた工事を、政権が替わったからといって中止するのは無責任だ」「ダム建設を前提に生活再建がなされている」ということである。地元民としては当然の反論である。
 国側があげてきた八ッ場ダムの建設理由は「水害対策」、「首都圏への水供給」である。地元民の強硬な反対を押し切って工事を強行してきたことも確かだ。だが、水害対策について08年6月の国会で「カスリーン台風に備えるはず」が、「効果がない」と政府答弁書で明らかにされている。また、首都圏の水需要は1995年頃をピークにして下降している。首都圏が人口増加傾向に拘わらず下降しているのは、節水機器の普及と漏水防止対策などが考えられているが、水供給も根拠にならない。
 
 関係する地元民が先祖伝来の地を失うことを覚悟してダム建設を前提に生活再建を決心し現在に至っていることを考えれば、ダムの不必要性の根拠の科学的な徹底した説明、ダム建設を中止した場合の、関係地元民の生活再建案、地域振興策を具体的に提示することが政治の責任である。
 大型の無駄な公共工事投資に反対することを明言して現政権は国民の支持を得ているが、だからといって「力」で国民をねじ伏せるようなことがあってはならない。関係する地元民も初めはダム建設に反対だったはずである。だが、ダム建設を前提とした前提が壊されれば、誰でも生活に不安を感じるのは当然のことだ。「ダムの必要性」があるから、ダム建設中止に異論を唱えるのでなく、一方的な、初めに結論ありきの方法に抵抗感があるのではないか。

 一方で、ダム建設を計画してから57年の年月が経過してもいまだに、本体工事に着工してないのはどういうことなのか。計画当初と現在とではダムを取り巻く環境は多分に変わってきているはずである。「水害対策」、「首都圏への水供給」といっておきながら、この57年間は必要性がなかったのではないか。八ッ場ダムを推進する人びとには、八ッ場ダムが作られてなかったことによる不都合を説明して貰いたい。
 いったん工事を開始すれば何が何でも完成させなければならないということなら、政権が変わることに意味はない。要は、ダム周辺の地元に人びとが居住していることを忘れてはならないことである。建設を中止することによる経済的な損失が語られているが、計算根拠により結果は異なっている。仮に経済的な損失があったとしても、必要性のないダム建設による、吾妻渓谷の破壊、周辺のダムによる崖崩れなどの自然破壊は元に戻せないことは重大な問題である。

 この1週間は連日、何度も八ッ場ダムの報道がなされているが、ダム中止に異論を唱える同一人物が繰り返し映し出されている。ダム中止に賛成の人もいるはずなのに、マスコミはなぜ一方的な報道だけしているのか、疑問である。今の段階で、ダム中止を唱えると、地元に住みにくくなることは考えられるが、それなら顔を映さずに考えを言葉で伝えればいい。マスコミの伝え方に問題があるように感じる。最近のTVは、女優の覚醒剤事件で仮釈放になったことや、人気漫画の作者が失踪したことが「臨時ニュース」で伝えられる時代だから、仕方ないことなのか。「臨時ニュース」は被害甚大な天変地異や政変があったときだけで十分である。マスコミは政治欄と芸能欄をごちゃ混ぜにしたような報道が多すぎることに気づくべきである。


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