元日の社説を読んで |
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2010年1月3日(日) 政権が変わって何かが変わりそうで変わらない。デフレを政府関係者が口にし,生活不安がひしひし身近に迫ってきている。そんな新年がやってきたが,日本で「史上初」の元日の月食は何かの暗示なのか。ことしも元日の新聞各紙の社説を読み比べてみた。 朝日 日米関係に力点を置いている。日米関係の基調は,『いざというときに日本を一緒に守る安保と、憲法9条とを巧みに組み合わせる選択は、国民に安心感を与え続けてきた。そして今、北朝鮮は核保有を宣言し、中国の軍事増強も懸念される。すぐに確かな地域安全保障の仕組みができる展望もない。米国にとって、アジア太平洋での戦略は在日米軍と基地がなければ成り立たない。日本の財政支援も考えれば、安保は米国の「要石」でもある。日本が米国の防衛義務を負わないからといって「片務的」はあたらない。』とし,『普天間問題の背景には、沖縄の本土復帰後も、米軍基地が集中する弊害で脅かされ続ける現実がある。過去の密約の解明も続く。米国の軍事政策と日本の政策との矛盾。当時の時代的な背景があったにしても、民主主義の政府が隠し続けていいはずはない。密約の法的な効力がどうなっているか。国民が関心を寄せている。いま日米両政府が迫られているのは、これらの問題も直視しつつ、日米の両国民がより納得できる同盟のあり方を見いだす努力ではなかろうか。とくに日本の政治には、同盟の土台である軍事の領域や負担すべきコストについて、国民を巻き込んだ真剣な議論を避けがちだった歴史がある。鳩山政権のつたなさもあって、オバマ政権との関係がきしんではいるが、実は、長期的な視野から同盟の大事さと難しさを論じ合う好機でもある。』とし,現政権の日米問題への対応に懸念と期待を記し,『同盟を維持する難しさはあっても、もたらされる利益は大きい。「対米追随」か「日米対等」かの言葉のぶつけ合いは意味がない。同盟を鍛えながらアジア、世界にどう生かすか。日本の政治家にはそういう大きな物語をぜひ語ってもらいたい。』と結んでいる。 雇用,財政,医療、介護など国民の日常に関わる問題についてはまったく触れられていなかった。 読売 朝日と同じく日米関係に焦点を当てている。『鳩山政権の機能不全は、大きく言えばキャスチングボート政治、マニフェスト至上主義、官僚排除に由来する。加えて、鳩山首相自身の献金問題だ。首相は進退を世論に委ねる意向を明らかにしたが、展開次第では政変に結びつく。日本政治が激動する可能性もあろう。小所帯ながら参院で法案成否の鍵を握る社民、国民新両党が大勢力の民主党を振り回し、外交・安全保障や財政・経済運営の基本をゆがめる現状は看過できない。象徴的事例が、米軍普天間飛行場移設問題の決着先送りだ。鳩山首相の優柔不断もさることながら、連立政権維持を優先する民主党の小沢幹事長らの思惑により、日米同盟の危機が指摘される事態になっている。・・・55年体制には功罪あるが、日米同盟に基づいて日本の平和を確保し、自民党一党支配による政局の安定と、それに伴う経済成長の礎を築いたことは間違いない。』『鳩山首相が言うように、米国依存を改め、対等な関係を目指すのなら、北朝鮮などの脅威に備えた自主防衛力の抜本的な強化が必須となる。防衛費は膨張し、景気対策や社会保障に回すべき予算が圧迫される。さらに、日本の軍事力強化に対する周辺諸国の懸念を増幅させるだろう。米国との同盟関係を薄めて、対等な関係を築くというのは、現実的な選択ではない。』とし,現政権に手厳しい論評である。 東京 「支え合い社会の責任」とし,『市場原理主義は、企業に果てなき生産性向上とコスト削減競争を強い、年功序列や終身雇用の日本的慣行を捨てさせました。不安定雇用と低賃金労働は格差と働く貧困層を生みだしただけではありません。人々の行動と考えをカネ万能へと歪めました。』という現状認識から,『福祉や社会保障は弱者救済や施しの制度ではありません。われわれ自身の安心のためのシステムです。企業や家庭からみんなが支え合う時代へと移りつつあります。個人の自己責任でリスクに備えるよりみんなで支え合う方が有効ですし、失われてしまった社会連帯の精神を取り戻すことにもなるはずです。政府も税や社会保険など国民負担について率直に語り、論議は深められていくべきです。消費税ばかりでなく所得税も。一九七〇年代は75%だった最高税率は現在40%、税の累進制や社会的責任の観点からこのままでいいかどうか。グローバル時代に適合する公平・効率の税制が構築されるべきです。わたしたちもその責任から逃れることはできません。』としている。 最後に,『権力の監視と批判を本来任務とするメディアの役割も重大です。新政権の打ち出す政策が真に国民みんなのためのものかどうか検証しなければならないからです。メディアもまた試されていることを胸に刻みたいと思います』とし,マスコミのとるべき態度に言及していることは特徴的である。 毎日 ことし平城遷都1300年を迎えることから,当時と現在の対比を述べる歴史観的論評で,『日本の発信力を高めることが日本の再建にもつながる。人々が未来に希望を持てる国にしよう』と結んでいるが,どこかのんびりしていて,高見の見物的な感想しか残らなかった。 いずれの国民も最低限の「衣食住」の保証と,豊かな生活への展望を望んでやまない。世界的不況から経済が停滞し,閉塞感が充満している。従来のような輸出依存中心で自国の食料自給率が4割に満たないような現状から脱却するために,「自ら働いた報酬で生活に希望を持つ」ことのできる方策が一日も早く訪れることを誰しも望んでいるはずである。経済のじり貧化だけでなく,政治権力の二重構造化を危惧する声は高い。ことしが少しでも,未来に光が見えるよう体制になるために,マスコミは社会現象の検証,政治の監視と,底辺に喘ぐ国民の姿を伝え続けることを望んでやまない。 |
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