日々の抄

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 品格が求められるのは当人だけではない

2010年2月8日(月)

 いったいあの騒ぎは何だったのか。大相撲の朝青龍が引退した。正確には本人が望むことのない,引退勧告による引退である。
 今までに聞くに堪えないトラブルを引き起こし厳重注意を何回も受けていたが,場所中の明け方に泥酔し,民間人に暴力を振るったとされる事件が決定的な理由になった。事件後の一報で,マネージャーに暴力を振るったとされていたが,実は民間人がかけた,「横綱,ガンバって下さい」という言葉に「オレに頑張ってとは何事か!」と激高して鼻骨骨折をおわせ,被害者当人はたまたま居合わせた警察官に被害を訴え,その後警察署に相談に出向いたという。

 その後,マネージャーの虚偽の証言が暴露され,被害にあったというという当人が,「被害はなかった,当人同士で事は解決している」と言っているという。相撲協会に囂々たる非難が寄せられた結果,調査委員会が設けられた。マネージャーと被害者と伝えられている当人から事情を聴取した結果,「伝えられているような内容はなかった」と報じられている。一方で,損害賠償と思われる金額の書かれた示談書が作られ,被害者と伝えられる当人から,「私自身一生、十字架を背負って生きていくことになります」旨の内容が書かれた嘆願書が提出されたことから,何もなかったことは衆目の一致するところである。被害者がなぜ十字架を背負うのかまったく理解不能。金銭が絡んだ懐柔作戦としか思えず,滑稽千万である。

 だが,朝青龍は理事会での事情聴取で「私は殴ってません」と否定したことが,引退勧告を決定的にした。横綱審議委員会は『一連の不祥事は畏敬さるべき横綱の品格を著しく損なうものである。示談の成立は当事者間の和解に過ぎない。横綱に対する国民の期待に背いた責任を免れるものではない。・・・・』との引退勧告書を出した。

 今回の引退騒ぎで分かることは,関係者の事勿れ主義,事件を「カネで解決する」という,不正義な姿勢が浮き彫りにされたことである。本場所中の明け方まで泥酔していることなど問題外な行動である。事件の調査委員会で,なぜ横綱当人から事情聴取をしなかったのか,朝青龍に雇われているマネージャーから事情聴取すれば,不利益な供述が得られないことは自明のこと。仏の顔も三度までというが,相撲に神様がいれば,とっくに堪忍袋の緒を切らしているに違いない。理事会の外部委員の「社会の常識」がなければ,「休場五場所」程度でお茶を濁すことで一件落着していたのかもしれない。

 たびたび,朝青龍には「横綱の品格」が求められてきたが,最後の記者会見でそれを問われると,「正直な気持ち、土俵に上がれば鬼になるという気持ちはあったし、精いっぱい相撲とらなくちゃいけないという気持ちもあった」と答えていることをみれば,彼には品格のなんであるかは何も理解してなかったようだ。また,「メディアで流れてることと、実際起こしたことはかなり大きな格差あったんで、最後まで様子みましょうという気持ちで待っておりました。最後はやっぱり、そういう意味できょうは引退ということを考えた」と語っていることからも,何が悪かったのか分かってないようで,まことに往生際が悪い人物である。

 25回もの優勝を経験し,勝負師としての力量はあったのだろうが,相撲が単なるスポーツでなく,「相撲道」であることを教えてこなかった関係者,特に高砂親方の責任は重大である。事件後の高砂親方のお気楽ぶりには呆れるばかりだ。「これで相撲は面白くなくなる。惜しい人物を失った」などの言葉を聞くが,懸命に相撲道に励んでいる力士に大変失礼な発言である。もともと相撲は日本人だけで成り立ってきた,歴史と伝統のある「国技」である。相撲協会は興業を成功させることだけを考えるのでなく,相撲に憧れをもっている多くの子ども達にも大きな責任を感じてほしい。理事選で,一門以外に投票した人物の「犯人捜し」をしているようでは,相撲人気にかげりが見えてもおかしくあるまい。相撲協会も,相撲道の品格の何であるかを自問する必要があるのではないか。また,ただ競技に強ければヒーローとして囃し立てている世の風潮は猛省が求められる。
 栃錦,吉羽山,若乃花のブロマイドを握りしめながら,ラジオにかぶりついて応援していた頃が懐かしい。

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