日々の抄

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 甘やかす者甘える者

2010年2月16日(火)

バンクーバー冬季オリンピックが始まった。開会式の中継を見始めたものの,次から次への大型の学芸会的なお祭り騒ぎに見飽きて途中で断念した。

この開会式に参加させて貰えなかった日本選手がいたそうだ。スノーボード男子ハーフパイプの国母選手である。彼は日本選手団の公式ウエアのネクタイを緩め、シャツのすそをズボンから出し、ズボンも腰ばき,鼻ピアスという格好で9日にバンクーバー入りした。その姿を見ると,日本国内ではよく見かける,流行の「だらしない恰好」である。オジサン達から見ればだらしない恰好が,「うける」らしい。すり切れて膝の抜けたジーパンが流行っているのも同じことなのだろう。フォーマルな身支度に対する抵抗なのか。他人と違う姿が個性の表現と思い違いしているのか。

国母は入村式出席を自粛させられ,全日本スキー連盟(SAJ)スノーボード担当理事のフリースタイルスキー監督は国母に注意をするともに、スノーボードの萩原監督に対し「もし注意して本人が“それなら(五輪に)出たくない ”というのであれば帰せ、と。次に何か(問題を)起こしたら帰せ、と話した」と“最後通告”。「メダル候補とかは関係ない。それ以前の問題。五輪に出たくないなら出なければいいし、五輪に出たいならルールがある」と厳しい口調で話した,という。

日本選手団の橋本団長は12日、「私がすべての責任を負う」とし,国母選手の開会式への出席を取りやめさせると発表。SAJは、国母選手の大会そのものへの出場を辞退させる意向を伝えたが、橋本団長は「競技をしないで帰国することは逆に無責任になる」とし、団長の判断として競技には出場することになった,という。だが,なぜ「競技をしないで帰国することは逆に無責任になる」,には説得力がない。職責をかけての判断に対しての言葉なのか。国母に反省の態度がないなら,団長が職責をかける必要などあるまい。


バンクーバー入りしたときの身支度に思い違いがあったことを指摘された段階で,陳謝の意思表示をし,改めればそれで話はお終いになり,騒ぎになることではあるまい。国母は国を代表してオリンピックに参加するという意識に欠け,公私の区別がつけることができていない。国母は,入村式後の会見で服装について質問されると「チッ、うるせーな」とつぶやき、「反省してま〜す」とうすら笑いすら見せていた。この反省のない対応が,日本オリンピック委員会(JOC)への電話、メールでの500を越える抗議につながったようだ。
 
国母が属する東海大の監督が謝罪のため現地入りするというが,国母は21歳。成人のとった行動でなぜ大学の監督が謝罪のために出向かなければならないのか。監督の研究室に国母が属しているといえ,上の立場にいる者が謝罪することで事が片づくと考えているなら,正に管理社会を証明していることになりはしないか。東海大に多数の抗議が寄せられたというが,思い違いをしている気がしてならない。また,この一件について大学がHPにコメントを出していることも異例といえそうだ。問題は本人の思い違いなのである。

マスコミは国母のひととなりを伝え,「気持ちの優しい,イイ奴」と伝えている。また,ある漫画家は「服装の乱れは,学校では恒常化しており先生がとがめることもない」などとしているが,「先生がとがめてない」ことの根拠は何か。日夜服装指導などに苦心している全国の教員に対し,まことに無礼なコメントである。

国母がとった行動は,彼が「いい奴」かどうかなど全く関係ない。日本国を代表してオリンピックに出場し,公式ウェアをだらしなく着用したあげく,反省もなく,茶化すような対応をしていたことに問題があるのだ。「いい結果を出して挽回して欲しい」などという励ましの言葉を聞くが,いい結果を出せば一件が落着するとも聞こえる。いい結果を出せば,力があれば,その他のことはいい,などとすることは,朝青龍問題となんら変わらない。本人は周囲と同じ事をしたくないとの思いが強いのだそうだが,一番の問題は,国母にTPOに応じた対応を教えてこなかった環境,およびそれを学んで来なかった本人にある。

国母は個性のはき違えを猛省するいい機会を与えられたのではないか。反省が態度に表せないなら,日本代表は今回限りにするといい。高校生が修学旅行の出発当日に服装の乱れがあり,「直さないならすぐに帰宅しろ」と言われていることと程度において違いのないことがオリンピックで露呈したことの恥ずかしさを知るといい。

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