日々の抄

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 冬季五輪が終わった

2010年3月5日(金)

バンクーバー冬季五輪が終わった。橋本団長は、大会最終日の日本選手団総括会見で、金メダルゼロに終わったことを「悔いが残る」と話したが、メダルは銀3、銅2で計5個のメダルを獲得している。前回のトリノ五輪では金メダル(荒川静香)のみ。前々回のソルトレイクシティでは、銀メダル(清水宏保スピードスケート男子500m)、銅メダル(里谷多英フリースタイルスキー女子モーグル)と比べれば成果を挙げたといってもいいのではないか。

IOCのロゲ会長は「成功を喜んでいる」と評価しているが、リュージュ選手の死亡事故、ドーピング違反は軽微な2件にとどまったものの、大会前の事前検査で世界の30選手が出場停止になっていること、雪不足の影響など問題点を残した。日本選手団は、スノーボード男子ハーフパイプ代表の公式服装の乱れなどいくつかの問題点を残したが、橋本団長は『「国を背負ってやっている」という自覚がなければ』と語っているが、全選手は成果を挙げるために全力で努力し、力を振り絞って頑張っただろう。それを、「銅メダルを取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」などと冷ややかに語る都知事の気がしれない。今は都知事が言う「国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない」という発想は時代錯誤、選手への冒涜である。選手が「お国のため」に頑張ることを望むには無理がある。無論、日本人選手の活躍を期待し、仕事をそっちのけで応援するのは、同じ日本人、知人、同僚だからであって、「お国のためにガンバレ」などと思ってはいまい。

今回の五輪に4回も参加している選手が何人かいる。個人としては力量を買われてのことだろうが、選手層の構成・世代交代に今後の課題を残したのではないか。また、選手養成に多額の経済的援助が必要なことが知られているにも拘わらず、男女ともにスピードスケート選手を民間の企業の全面的な支援が報じられている。事業仕分けで予算を削られている状況と、「お国のため」は大きな乖離がある。スポーツ界も、将来を見据えた展望が望まれるところである。

今回の五輪で印象的だったことは、女子モーグル上村選手の「なんで(五輪ごとに順位が上がるのが)こんな一段一段なんだろうと思った」の言葉である。彼女は高校生だった長野で7位、ソルトレークシティー6位、トリノ5位、そして今回4位だった。メダルをめざして精一杯の努力を重ねた後に絞り出された言葉に違いない。彼女のこの言葉は身につまされる。目標に向かって一歩また一歩、ひたむきに努力を続けることの大事さを教えられた貴重な「心の呟き」に感じ入った。

マスコミ報道には問題を感じる。相変わらずマスコミの作り出したスター選手だけが選手といわんばかりの報じ方は感じのいいものではない。たとえば、女子フィギュアーでは「マオちゃん」にほとんどの時間を割き、幼いときからの選手生活を詳細に報じているが、困難を克服して初出場してきた鈴木明子の出場までの努力をなぜ報じないのか不思議でならない。選手はタレントではない。必要以上の報道は不要である。いかにも視聴率を意識した垂れ流しは感じが悪いことこの上ない。

五輪の成果が伝えられ、いろいろ語られている中で、以前聞かされた「一番でないとなぜいけないんですか。二番でもいいじゃないですか」という政治家の言葉を想い出した。

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