日々の抄

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 高齢者が疎んじられている

2010年3月17日(水)

高齢者施設の事故事件が頻発している。ことしになってから発覚した事案をいくつか書き出してみると次のようである。
 岡山県瀬戸内市の養護老人ホームで、市の施設職員4人が、60〜80代の入所者7人に暴言を吐くなどの虐待をしていた。職員はいずれも40〜50代の女性。入所者がトイレの介助を頼んだ際に「おむつにすれば」と拒否。襟首をつかんで誘導したりするなどした。先が割れたスプーンを手の甲に押しつけられて皮下出血をした入所者もいる。被害を受けた入所者の中には認知症の人もいたという。4人とも事実は認めているものの「虐待の認識はなかった」としているのはどういうことか。暴言を吐き、皮下出血させていることが無意識に行われていたのか。

兵庫県佐用町病院で、08年12月8日から09年1月19日の間に、75〜99歳の寝たきり患者6人の肋骨骨折したことが判明し3月11日に逮捕された。いずれも患者は後に死亡した。しかし、4人目が発覚するまで外傷性を疑わず、体の向きを変えた際などに起きたと判断していたが、逮捕された看護士の勤務後に骨折が起こっており、一晩に二人も骨折させていたという。その内のひとりの女性患者は、肺炎治療のため入院し寝たきり状態で、24本の肋骨のうち19本が折れ死亡した。これは傷害でなく殺人である。死因について当該病院院長は、「死期を早めた可能性がある」と管理責任を認めているが、県警は骨折と死亡の因果関係はないとみているというが本当だろうか。

3月13日、認知症の人が入居している札幌市の老人介護施設(グループホーム)で火災が発生し、建物がほぼ全焼し入居者8人の内7人が死亡。ひとりで勤務していた女性職員は消火に当たったが間に合わず、のどにやけどを負った。同施設の入居者は定員いっぱいの9人、職員は13人(常勤5人)という。

岡山、兵庫の事件は、高齢者に対する思いやりのかけらも見られない犯罪行為といえよう。加害者の職員は入所者を人間として応対しているとは思えず、職員である資格を持っていない。一方、札幌の火災による事故は構造的な問題を含んでいる。認知症の高齢者が暮らすグループホームは、認知症の高齢者を施設に隔離・強制収容する考えから脱却する過程での試行錯誤から生まれ、少人数で家庭的な環境の中、24時間ケアを受ける手法が症状の重度化を防ぐ効果があるとされている。日本では90年代に導入され、97年度の制度化や2000年の介護保険制度発足を経て急増している。介護保険が始まった00年から08年までに施設数は約14倍の約9300か所、利用者数は約24倍の13万人以上になった。認知症高齢者は現在の208万人から30年には353万人まで増えると予想されている。

特別養護老人ホームは自治体や社会福祉法人などにしか開設できないが、グループホームは民間企業やNPO法人などでも参入可能で、グループホームの事業者の半分以上は民間。1人あたりの居室面積の基準も4.5畳と、ケアハウス(13畳)や特養(個室の場合8畳)より狭く、民家や会社の寮などの改修で開設できることも増えた原因とみられている。
 改正消防法によると、スプリンクラ設置義務は延べ床面積275u以上は義務づけられているが、火災の起きた札幌の施設は250uで該当せず、厚労省基準によると夜間職員の設置は、9人までの利用者に対して一人以上だが、火災の起きた札幌の施設ではひとりだった。また、消防法はグループホームに消火器や誘導灯などを点検した結果について年1回、消防署に報告するよう義務づけているが、火災の起きた札幌市の施設では3年半にわたり報告していなかったという。

グループホームをはじめ高齢者施設の必要性は国全体の課題である。消防施設が不完全だったことが火災被害の原因の一つというなら、施設についての報告がなかったなら、なぜ行政指導を強行しなかったのか。そもそも財政的な理由で、高齢者の生命が危険に瀕しているなら、こうした所にこそ国の支援があって然るべきである。自分で歩行できない入所者がほとんどの施設で、夜間火災が起きたらたとえ職員が二人いたとしても全員の命は保証されまい。
 渋川市で10名の死者を出した施設の事件から間もなく1年が経過する。その施設では、おむつ数枚を重ね、午後9時から翌午前6時まで放置され、廊下には汚物が滴り、においが充満していたという。夜間は外から施錠し、火災が起こっても避難できなかったということが死者を増やしたことにつながっている。こうした、人間の尊厳が省みられてないことが行われていたこと、見過ごされていたことに怒りを感じないわけにいかない。

高齢者が安心して余生を送れる時期がいつ訪れるのか。何人の犠牲者が出たら行政は命が保証される施策を立てるのか。高齢者は経済的格差に拘わらず心を煩わすことなく老後を送れるようにすべきである。「自分の老いはまだ先だ」と他人事に思っている人は必ずや痛い思いをするに違いない。この国を支えてきた市井の人の命がこれほど軽んじられているほど日本は貧しいのか。これが友愛の政治の結果なら何をか況やである。

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