日々の抄

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 普天間基地はどこに行く

2010年5月15日(土)

ここ数年の間群馬県上空を通過する米軍軍用機による騒音の迷惑行為が頻発している。昨年は米軍機苦情は478件におよび,今年になってからもガラスが響くほどの騒音が何回も続いている。夜間も例外ではない。戦闘攻撃機FA18らしいが,米軍の空母が横須賀港に停泊する時期と重なるという。寄港中のパイロットの操縦技術を維持させるため、日米安全保障条約などに基づく飛行訓練を県上空で実施している可能性があるというが,なぜ群馬県の上空で旋回をするのか疑問である。一説によると,群馬県庁を標的にした訓練というが,戦後65年経過しても戦勝国米国はやりたい放題の感がある。これほど長きに亘って外国軍隊が駐留していることを考えれば,果たして日本は独立国なのか甚だ疑わしい。自国を「米国の不沈空母だ」などと語った嘗ての首相は群馬県人である。

沖縄での米軍の迷惑行為は,騒音のみならず米軍機の民間地への墜落をはじめ,生命の危険を日常的に感じさせられる行為が続いている。犯罪行為も然りである。人を殺戮することが仕事である軍人が戦地から帰還してすぐに民間人の居住する街に身を置けば犯罪行為が起こっても不思議ではない。それが基地周辺の持つ重大な問題である。戦闘機が屋根に触れるほどの距離に行き来している生活がどれほど苦痛をともなるものか想像を絶する。

毎日のように報道される,普天間基地移転問題は首相の公約違反を追求することに腐心している。だが,首相が辞任すれば解決する問題ではない。無論,「5月末までに決着」と公言したことは非難に値するだろうし,それが公約でなく個人の気持ちだったなどとは語るに落ちたことである。最新の報道では,「5月決着」とは,5月中に移転先が決まるのではなく,「政府案を決めること」なのだそうだが,詭弁にしか聞こえない。移転先への打診やメドをつけての公言でなかったことはお粗末としか思えないが,移転先が決まらないのは,多くの国民が総論賛成各論反対であることの帰結である。日本の安全を鑑みれば,日米安保条約は必要,米軍が駐留していることは肯定せざるを得ないとする考えが多い。だが自分の居住している場所に米軍が来ることは反対であるのだ。沖縄が戦後65年もの間,米軍の8割近くを負担させられてきたことを,他人事のように思っている国民がどれほどいるのか。

普天間問題で腹立たしいことがいくつもある。ひとつは自民党である。首相批判に熱心だが,長年政権与党にいて自分たちが解決できなかったことを考えれば,非難する資格は少しもない。もうひとつは,マスコミでの首相非難を毎日のように繰り返す評論家,コメンテーターである。首相の約束違反を非難するだけで,基地移転に対する具体的な提案を語ることはない。移転先を決められない事を非難するなら,自分が居住している自治体に移転先として立候補するよう働きかければいい。それもせず自分は安全な場所にいて高見の見物の発言は許しがたい。日米安保の是非,沖縄だけが負担を背負ってきたことの反省と問題解決への提案などを語ることができないなら,評論家としての資質が問われなければなるまい。もうひとつは,政治家のマスコミ発言である。普天間問題に限らないが,政治家が個人の考えを勝手気ままにそれも特定のマスコミへの露出度の高い政治家の発言がなぜ伝えられなければならないのか。視聴率に汲々とするマスコミにも大きな責任があるのではないか。所属政党や国会での論議で自己主張することが政治家の本務ではないか。それもせずに,まずマスコミに発表することの異常さは気が知れない。

普天間問題で問題解決できない最大の問題は,国内に移転先を求めることを前提にすれば,引き受ける自治体が名乗り出ないからである。全国都道府県知事会を早急に開催し,どこも名乗り出ないなら,国内移転を諦めることしかない。それが「移転先の理解を得てから交渉に臨め」という米国への適切な回答である。沖縄が背負ってきた米軍がいることによる交通事故,犯罪行為,戦闘機などによる騒音被害などを考えれば,引き受け地がないことは当然のことである。日本国民は自分の居住している地域に米軍が存在することは迷惑なことなのである。日米安保のために日夜続く騒音を我慢しますなどと考える人はいまい。最善の移転先は,移転先を国外に求めることである。日本は米軍に対して多大な「思いやり予算」を提供していることを考えても,国外に移転先を求めることが当然至極のことである。具体的に「テニアン島」の名が上がっている。島民も移転を望んでいると伝えられている。それがなぜ実現しないのか。米軍基地移転問題を首相ひとりだけが背負い込んでいるような図式はおかしい。米国が悩むことなく,日本は何をやっているのかと言わんばかりの対応も本末転倒である。

それでも問題が解決しない場合の最終的な解決策は,日米安保を解消することしかないだろう。そうなれば,周辺国からの攻撃に対応するために自衛隊を強化することが望まれるとの世論が起こることは間違いないだろう。力に力の時代はもう過去の話とし,文化交流をはじめとする平和外交がこれからの世界の潮流となることを願うのみである。

普天間問題は,米軍基地問題を長い間沖縄に押しつけてきたことを多くの国民に問題提起し,他人事でいられないことを知らしめた。もう国民総評論家は卒業する時が来ているのではないか。

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