日々の抄

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 普天間問題は混迷を深めるだけだ

2010年5月31日(月)

沖縄の米軍普天間飛行場移設問題について、首相は「海外移転,最低でも県外」と主張してきたものの,地元の理解を得られないどころか,淡い期待を持たせた事に対する強烈な反発と落胆,失望感を持たせた上,「辺野古」の名が入った日米合意文書を28日に発表。政府案は,06年に日米が合意したキャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立ててV字形滑走路2本を建設する計画を修正し、沖合に杭を打って桟橋を造り、滑走路を建設する内容だったものの,米国の理解を得られそうにない。つまりは米国の言いなりの結果である。

  首相は閣議決定への署名を拒否した社民党福島党首を罷免した。同日夜の記者会見で「多くの日本人が日常生活の中で、沖縄の、あるいは基地の所在する自治体の負担をつい忘れがちになっている」としているが,忘れていたのは首相なのではないか。また,「福島党首を罷免せざるを得ないことになった。まさに慚愧に堪えない。社民党が望むなら、新たな閣僚に入ってもらうことも当然、視野にある」などと語り,社民党は甘く見られたものである。そもそも「慚愧」とは「恥じ入ること」であり,それに堪えないほど恥ずかしいことをしたと思っているのだろうか。
 沖縄の米軍基地問題への基調は初めから社民党と民主党では意見が異なっていることを分かった上での連立だったのではないか。党首を罷免しておきながら,これからも連立を継続して行きたいなどとよく言えるものである。多分に先の衆院選で社民党が比例区で獲得した300万票がちらついてのことなのではないか。

  社民党は30日,連立離脱を決定したが,当然のことであり,社民党が無理難題を言い,沖縄問題解決に時間がかかったなどという論調があるらしいが,それは全く違う話である。鳩山首相が,普天間問題は「海外移転,最低でも県外」と公言した事を最後まで守ろうとしたに過ぎないだけである。「福島党首が暴走し普天間問題が混迷」などと書き立てている全国紙があるとはお粗末極まりない話である。社民党の連立離脱は,主義主張を身を切られても貫いた政治の姿を久しぶりに見た気がした。

首相が,県外移設を断念した最大の理由は「海兵隊の一体運用だった」という。つまり,「沖縄に駐留する米軍の基地,施設は全てが沖縄に配備されて機能する」そうで,「本土に移す選択肢はなかった」と説明しているが,それならなぜ,全国知事会を開催し,基地移転等の要請をしたのか。意味不明である。あるいは,知事にも働きかけたが協力を得られなかったので,沖縄に負担をかけることしかできなかった,という筋書きなのか。この期におよんで,「一体運用」だったと気がつくことのお粗末さは,語るに落ちた。

日米合意案が,「抜本的な負担軽減には小さな一歩、半歩に過ぎないかもしれないが、この一歩を出発点に今後も粘り強く基地問題の解決に取り組むのが使命」などと言っているが,どこが負担軽減になるのか,これまた不明である。小さくても大きくても前に進むための歩みにつながってないことは明白である。

沖縄の米軍基地問題での根本問題は,海兵隊が本当に「近隣諸国への抑止力」になっているのか,ということである。仮にアフガニスタンで緊急な戦闘状態があった場合,沖縄には「日本を防衛するほどの米軍の戦力」があるはずはない。「米軍の核の傘の中」と称して,米軍が東南アジアを主とした戦力の起点として絶好の地理的利点を有する沖縄を,「日本を守る」と称して利用している気がしてならない。

大阪市の6分の1もの広さの土地を占有し,日米地位協定など到底対等と言い難い日米安保協定が存在することを考えれば,戦後65年間米軍は「進駐軍」のままであり,到底日本は独立国とは言い難い。

沖縄タイムスの社説見出しの「怒怒怒怒怒…」にどれほどの沖縄の人びとの悔しさ,怒り,不信感,政治に対する失望感が込められているのだろうか。生活に困ったことのない,お坊ちゃまの政治ごっこに付き合わされている国民は気の毒である。結果はお粗末でも首相に悪意がないことは更に困ったものである。

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