日々の抄

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  これからブレーキを誰がかけるのか

2005年9月26日(月)

 懸案になっている靖国問題に大いに関わっていた人物が19日逝ってしまった。後藤田正晴氏である。
 略歴は、1914年、徳島県生まれ。39年、東大法学部卒業後、内務省入省。40年、陸軍入営。第10方面軍司令部付主計将校として、終戦直後まで台湾に。警察予備隊警備課長、自治庁官房長、警察庁長官、内閣官房副長官を経て70年に衆院議員に初当選。大平内閣で自治相、中曽根内閣で官房長官、宮沢内閣で副総理・法相などを歴任し、96年に政界を引退。
 自ら戦争を経験していることから「非戦」の主張を貫いた、現在の政界で「流れに竿させる」希有な存在だった。昭和49年7月7日の参議院選挙での敗北で、「自分の不明をはっきりと知ることができた。私は少し思いあがってたんだな…。選挙に関してはズブの素人に過ぎなかったのに…。…まあとにかく人生の上でプラスになる出来事だった」として自分の経験を生かせた人物であった。

語録をいくつか書き出してみる。
□ 東京裁判を傍聴した時の感想。
 「確か1946(昭和21)年だった。関東軍特種演習(関特演)をめぐつてソ連側検事が日本の責任を追及する場面だつた。東条英機元首相ら被告席のA級戦犯たちはそれなりに気概をもって臨んでいる印象を持った。半面、この人たちに私たちは指導されていたのかという、割り切れない気持ちもあった。・・・6年間軍務に従与した。敗戦について、それなりの負い目を感じていた。だが、46年4月に復員したとき、『一億総懺悔』という言葉を聞き、どういうことなのかと強い疑問を持った。一般の国民は国の方針に従って命令されて戦に赴き、あるいは銃後を守った。国全体が戦争に負けた無念さを共有するというのはわかるが、全国民が責任を負うというのは納得できなかった
□ 東京裁判を受諾した51年のサンフランシスコ講和条約11条について、「判決は受け入れたが、裁判全体を認めたわけではない」という意見について。
 「負け惜しみの理屈はやめた方がいい。サンフランシスコ調和条約は、戦後日本が国際社会に復帰し、新しい日本を築く出発点だ。それを否定して一体、どこへ行くんですか」「東京裁判にはいろいろ批判もあるし、不満もあった。ただ、裁判の結果を受け入れた以上、それにいまさら異議を唱えるようなことをしたら、国際社会で信用されるわけがない。条約を守り、誠実に履行することは、国際社会で生きていくために最低限守らなければいけないことだ」
□ 政府の要人から東京裁判が「勝者の裁きであり、不当だ」といった意見が出ていることについて。
 「第1次大戦後、戦勝国はドイツが再び脅威になることを防ごうと、再起できないほどの過大な賠償を科した。その結果、ナチスの台頭を招いた。その反省から、敗戦国の全国民に責任を負わせるのではなく、平和に対する脅威を引き起こしたナチスの戦争指導者を裁き、そこに責任を負わせる、そういう新しい戦後処理の方式を考え出した。それがニュルンベルク裁判であり、東京裁判だ。戦勝国の国民を納得させるためにも、それは必要だった。歴史の教訓から生まれた勝者の知恵だと思う」
□ A級戦犯は犯罪人ではない、という主張について。
 「A級戦犯といわれる人たちが戦争に勝ちたいと真剣に努力したことを、だれも疑っていない。しかし、天皇陛下に対する輔弼(ほひつ)の責任を果たすことができなかった。国民の多くが命を落とし、傷つき、そして敗戦という塗炭の苦しみをなめることになった。そのことに、結果責任を負ってもらわないといけない
□ A級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社に首相が参拝することを、戦争責任との関係について。
 「東京裁判の結果、処断された人たちであるA級戦犯を神としてまつる。これは死者を追悼するとともに、その名誉をたたえる顕彰でもある。そこに条約を締結した国の代表者が正式にお参りすることは、戦勝国の国民に対して説明がつかない。日本国民としても、敗戦の結果責任を負ってもらわなくてはならない人たちを神にするのはいかがなものか、という疑問があるだろう。首相は靖国神社参拝を控えるのが当然だ」(朝日2005/07/13)

□ 靖国参拝について、1986年8月14日後藤田内閣官房長官談話「内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝について」が出されている。
「靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。それは、諸国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の究極の願いにも副う所以ではない。・・・もとより、公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは、政治を行う者の当然の責務であるが、他方、我が国が平和国家として、国際社会の平和と繁栄のためにいよいよ重い責務を担うべき立場にあることを考えれば、国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない。 ・・・政府としては、これら諸般の事情を総合的に考慮し、慎重かつ自主的に検討した結果、明8月15日には、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした。 ・・・各国務大臣の公式参拝については、各国務大臣において、以上述べた諸点に十分配慮して、適切に判断されるものと考えている。」

□ イラクへの派兵について
 「この戦いは間違っている。この戦いをいち早く支持し自衛隊を派遣すると決めたことも間違っていた。兵を引くという決断はなかなかできない。アメリカほど戦争を続けている国はない。これにいつまでもお付き合いできない。自主的な日本であって欲しい。 (2004/12/05)
□ 平和を誇る
 日本の自衛隊が他国民を殺したことはない。先進国では日本だけだ。誇るべき事だ。(2005/01/02)
□ 米軍基地縮小について
 日米安保を強化し兵力を減らすことも聞かぬし、基地も縮小しないという。韓国ですらあと2年で12500人縮小するという。日米安保は軍事力を強化するのでなく政治的関係に重点を置くべきだ。アメリカの戦略変更に日本も対応するべきである。(2005/03/06)
□ 最近の政治の動きについて
 最近の日本は国家主義的な傾向が強くなっている。すべてが強者の論理になっている。これは心配だ。(2004/04/25)
□ 戦後60年の外交について
 世界の中で日本が平和に生きていくことを考えると、アメリカとの関係は重要だが、同じように中国、韓国、北朝鮮など東アジアの安定を図ることを考えなければならない(2004/09/05)

 96年に衆院議員を引退したころ、日本の政治でいちばん大切に思っていることは、と問われて「それは平和を守ることですよ。海外へ出て武力行使なんてのは絶対やっちゃいかん、それだけだ。なんでそういう愚かなことを考えるのかね」と語っている。
 これからの日本が変わるようで変わらないことに苛立ちを覚えつつ、やがて恐ろしい道に進む。やってきた道を歩むのでないかとの警鐘を鳴らして静かにこの世を去ったように思える。

大きなエネルギーをもつ乗り物にはそれに応じた大きなブレーキがなければ暴走をしかねない。国も然りである。考え方の違いを調整し、国民のコンセンサスをとれるように働きかける政治家はいつもいなければならないだろう。言うことを聞かなければ排除し首を取りに行くというような、恐怖政治を思わせる昨今であるからこそ、後藤田氏の逝去は悼まれる。彼のような役柄をこれから誰がやっていくのか、いけるのか注視していきたい。

 最近の日本の政治を見ていると二大政党ともに憲法九条を変えようとしている。「隣国から責められたらどうする」とする単純な論理から、戻ってはならない道へ進み始め、軍靴の音がだんだん近づいてきていることに気がつかなければなるまい。

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