日々の抄

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  いつまでこんなことを

2005年10月05日(水)

 自民党旧橋本派(平成研究会)の1億円ヤミ献金事件で、政治資金規正法違反(不記載)罪に問われた元官房長官村岡兼造氏の公判が9月27日、東京地裁で開かれ、青木幹雄同党参院議員会長が弁護側証人として出廷した。1億円の小切手が提供された会合への出席についての発言で不思議なものがあった。

   「正確な記憶はないが、出席者が『私がいた』というなら否定しない」
と言う。自分は認めないがそういうことを人が言うならそうなんでしょう。私は認めたくないけど、認めないわけに行かないかもしれない、ということなのか。
  日本歯科医師連盟(日歯連)側から1億円の小切手が提供された会合に、橋本龍太郎氏、野中広務氏、青木氏が出席していたことは確かなようだ。ヤミ献金があったらしいと思っている国民は多いだろう。バレなければ、出席していたことさえ嘘をつき通そう思っているに違いないと感じざるを得ない。青木氏が幹部会出席について「一切覚えていない」などと関与を否定していたことを撤回していることからも疑わしさが伝わってくる。

  村岡氏だけが在宅起訴され、同席していた橋本氏、青木氏、野中氏が不起訴や起訴猶予となったことはどう考えても理解しがたい。 日歯連をめぐって、献金の上限が設定されていない政治資金団体を経由して特定の政治家に献金する「迂回(うかい)献金」の疑惑が持ち上がった。政治資金の透明性を確保するための政治資金規正法を蔑ろにするもので、政治家と業界の癒着の温床になる。 山崎拓氏は、日歯連から三千万円の献金を受けながら党の政治資金団体・国民政治協会への献金として処理し、政治資金収支報告書に記載しなかったとして告発されたが、東京地検は不起訴とした。自民党も迂回献金は存在しないとの調査結果をまとめているが仲間内の調査が客観的であったかどうかは疑わしい。しかし、検察審は「重大な違法がある」と厳しく指摘し、日歯連から各一千万円の献金を受けた二人の衆院議員らも「不起訴不当」と判断した。

 1億円という庶民にとって途方もない高額の授受で、送った方が認めていることを、たった一人だけが受け取ったということは甚だ納得できないし、政治家は不正をしているという気持ちを強くさせる出来事であり、そうした政治家が選挙の時だけぺこぺこしているのは甚だ腹立たしい。

  さらに信じられない高額が消えた。
 総務省が9月30日付で、04年政治資金収支報告書を公表した中で、自民党旧橋本派(平成研究会)は前年からの繰越金を2億9720万円と記載。同派は03年報告書で翌年への繰越額を18億5348万円と記載しており、差額15億5628万円を「使途不明金」として処理した。03年の報告が事実上、虚偽だったことを認めた格好で、「今後も新たな事実が判明した場合には報告書を修正し、より正確に近づけるよう努力する」などとする異例の宣誓書を添付したが、これに法的拘束力がないのだから、その場凌ぎの茶番の気配は強い。「(前会計責任者との)引き継ぎが不十分で、過去にさかのぼることもままならない」と説明していることも納得しがたい言い訳である。なぜ調べられないのか。国民に報告する必要を感じないのか。政治資金公開制度を形骸化させかねない事態である。
 04年の政治資金収支報告をみると、法改正をしても、上限に該当するのは21件だけで、政党や政治資金団体は規制対象外となっており、日本医師連盟から自民党の政治資金団体「国民政治協会」への1億8900万円の寄付など、巨額献金は温存されるという。

  政治不信が昂じる最大の理由は、黒い金が見え隠れすることだろう。政治家は影で何をやっているのか分からない、政治家を見たら嘘つきと思え、などという厳しい見方も否定できない。15億円という、一人の人間が何回も生まれ変わらなければ稼ぐことのできない金額が、どこに行ったか分からない(分かっているが言うわけにはいかないのか)などといっている政治家が国を動かしている(いた)のかと思うと、この国は心が貧しすぎると思ってしまう。こんな訳の分からないことが暴けない(暴かなくても済んでしまう)政治を次代を担う世代が見れば、将来に希望など持てまい。そんな汚れた大人が、子供達に「嘘をつくな、正直に生きろ、世の中に役に立つ人間になれ」などと言っているが、そっくりその言葉を不明瞭な金銭を動かしている政治家に返したい。

  政治に関わるカネの動きを国民に見える形、監視しやすい仕掛けにしていかない限り政治不信はなくならない。それができるのは、政治家自身のはずだが、自分たちがそんなことをしたら困ると考えて実行できないのなら、政治家として選挙の時だけ大言壮語を吐かずに、「私は清い政治をするつもりはありません」と演説すべきである。国民は、口先だけから出てくる美辞麗句や、その場凌ぎの温情、人情、しがらみで政治と関わるべきではない。そうしたことが自分たちの首を絞めることにつながるのだから。政治は演説内容でなく、行っていることで判断すべきだ。

  日本人はあまりにも不正に寛容すぎるのではないか。なぜ不正に声を立てないのか。

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