日々の抄

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 終戦記念の月の終わりに

2010年8月29日(日)

 ことしも終戦記念日を中心に,先の戦争の記録を沢山視聴した。主なものは以下のようであった。
「ヒロシマ爆心地復元」,「封印された原爆報告書」,「引き裂かれた歳月〜証言記録 シベリア抑留〜」,
「ヒバクシャからの手紙〜そして ヒバクシャへの手紙〜」,「爆撃された教室〜大分・保戸島〜」,「海に沈んだ学友たち〜沖縄 対馬丸〜」,「ぼくたちは兵器を作った〜大阪砲兵工廠〜」,「宮城県白石・集団学童疎開の記録」,「戦場になると噂された街〜茨城・勝田〜」,「"引き揚げ"の嵐の中で〜京城帝国大学 医学生の戦争〜」,「あの日のことを聞きたかった〜被爆2世 65年目の夏〜」,「被爆した女たちは生きた 長崎県女 クラスメイトたちの65年」,「"ベニヤボート"の特攻兵器〜震洋特別攻撃隊〜」,「昭和二十年八月十五日 玉音放送を阻止せよ〜陸軍・近衛師団〜」,「少女たちの日記帳 ヒロシマ 昭和20年4月6日〜8月6日」,「ガダルカナル島 最後の部隊 繰り返された失敗」「朝鮮人皇軍兵士 遙かなる祖国」,「戦場の漫才師たち〜わらわし隊の戦争〜」,「偽装病院船 捕虜となった精鋭部隊〜広島県・歩兵第11連帯〜」, 「フィリピン・エンガノ岬沖 囮とされた空母 瑞鶴」「生き延びてはならなかった最前線部隊〜ニューブリテン島 ズンゲン支隊〜」,「玉砕 隠された真実」
などで膨大な時間を要した。この視聴は,望まずに命を落とした多くの人びとへの鎮魂のため,自らに果たしている毎年8月のノルマである。

 そうした中で印象的だったことのひとつは,「満蒙開拓青少年義勇軍〜少年と教師 それぞれの戦争〜」であった。その内容は,軍人勅諭により「天皇が死ねといえば死ななくてはならない」という教育が行われていたこと,お国のためと信じ,満州後に義勇軍として教え子を送り込んだ90歳の元教師の,「先生のひとことが子どもの命を支配した」とする悔恨の言葉であった。その一方で義勇軍経験者のひとりは,「大陸には自分の意志で行ったのだ。あんたたち(マスコミ)は人のせいにしたがるんだろうがそうはいかない」。多くは往時の自らの無知を後悔している。侵略戦争の加害を認めないわけにいかない,というものであった。
 
 もうひとつは, 「二重被爆 ヒロシマ ナガサキを生き抜いた記録」とする,山口彊(つとむ)さんの記録であった。ヒロシマとナガサキで二重被爆した山口さんは,長い間自らの経験を家族にも語ろうとしてこなかったが,息子の他界を機に,息子が「二重被爆の経験をひとびとに伝えてほしい」と語っているように感じ,二重被爆の証言を日本国内のみならず,米国でも若者に対して経験を語ってきた。米国のキャメロン映画監督に自分の思いを世界に伝えて欲しいと願い,病床で直接会ったときに「あなたは二度と核兵器を使ってはならないというメッセージを伝えるために 選ばれたのだ」と言われた。自らの被爆証言の責務を果たしたかのように,「I see you so. I have done my duty」と語った。「原爆投下は 二度と起きてはならない。必ず世界に伝えます」と確約を得て間もなくして,本年1月4日他界された。

 終戦65年後のことしは特徴的なことがある。それは家族にも語れなかった戦争の心に秘めた記憶を語りはじめている人が少なからず出ていることである。65年が経過したことだけでなく,自らの悲惨な経験を再び経験して欲しくないという思いを持ち続けていたものの,あまりにも大きな心の痛みから語ることもできなかった。しかし,そうしたことを後世に伝えるための自らの残りの時間が少なくなってきていると思ってのことと聞く。家族に語れないことも,見ず知らずの小学生に被爆体験として語るひとも増えているとも聞く。

 戦争の記憶を持たない国民が8割を越えているという。戦争という非人道的な行為が,「国の正義」で行われてきた。敵に命を絶たれただけでなく,軍や上官によって死に追いやられた人も沢山いる。関東軍の逃亡,インパール作戦など異国の地で国民を守るべき軍が同胞を見捨てたことも忘れてはなるまい。同時に大陸の地で非人道的な行為を日本軍が犯してきたことも忘れてならない。「死して虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」をあらゆるメディアを通じてを徹底させてきたことも記憶に留めておくべき事だろう。軍の受け売りの報道で国民を戦地に送ったマスコミがどのような形で懺悔,反省を明言したのか。その後の報道にそれらをどのように生かしているか知りたい。

 8月はいろいろな思いの人がいろいろな方法で,望むことなく戦争で命を落としたひとびとに対する鎮魂と,不戦の誓いを再確認する特別の月ではないか。我が国は戦後65年もの間,戦争をしてこなかった数少ない国である。それを支えてきた憲法9条の重みを忘れてはならない。我が国こそが,自信を持って世界に向かって,平和,反戦,核兵器廃絶を訴えていく資格をもっているのではないか。

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