日々の抄

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 汝逃げることなかれ

2010年12月27日(月)

 ことしも残り少なくなってきた。昨年からの一年を考えると、昨夏の政権交代から、国民の願っていた方向に向かっておらず寧ろ不安が増幅しているように感じられてならない。今年最大の禍根は政治への不信が限りなく大きくなってきたことである。
 最大の出来事は「沖縄の米軍基地問題」で沖縄県民を限りない政治不信に陥らせたこと、政治家の言葉のデタラメさである。「少なくとも県外移設」などという甘言を投げかけ政権をとってから、公言したことを実現することなく、現状を「甘受」するよう求めたことである。当時の首相だった鳩山氏は小沢氏を道連れにして首相を辞任し政界引退を明言した。にもかかわらず、沖縄県民の失望と政治不信を増幅させた責任は都合よく忘れ、最近になって引退を撤回している不正義さ、恥知らずなお坊ちゃま政治家には怒りを覚えざるを得ない。

 もうひとつは、「政治不信」の払拭が何らなされないことである。具体的には「小沢問題」である。
資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる疑惑に関して当時の秘書が2名起訴されており、本人は検察によって「嫌疑不十分」で不起訴になったものの検察審査会が「起訴相当」と議決し、年明けには起訴される可能性が高いという。
 首相は小沢氏との会談後、党として政倫審で招致議決を求める考えを示しているが、これに小沢氏は拒否を明言し、小沢グループは政倫審の開催に強く抵抗している。代表選に敗れたときに「一兵卒として活動する」としていたのではないか。首相の説得を受け入れない政治家は「一兵卒です」などと白々しいことをいうべきではない。
 政倫審での発言に偽りがあっても法的に罰されるものではないとしても、国民の7割近くが小沢氏の国会での釈明を望んでいるにも拘わらず、理解できない理由で拒否している。「国会が決めれば、いつでも出る」と語ったことはその場凌ぎだったのか。拒否の理由は、「国会で説明することは民主党にとって益するものがない」「刑事裁判で争うことになる問題を国会で説明する必然性はない」としている。民主党にとって益するものがないとの発言は、政治を私物化し国民に目が向けられてないことの証明である。また、司法の判断と政治的な説明責任は別物である。土地取引事件では原資の一部がゼネコンからの献金だったのではないかという疑念、解散した旧新生党の資金を含む3億7千万円が政党支部を経て陸山会に入り、昨年の総選挙で小沢グループの立候補者に配られたとみられているが、事実とすれば政治資金の私物化である。昨年の衆院選挙で民主党立候補者91人に計4億5千万円が提供されているという。そうしたメンダーが小沢グループなら、「選挙でお世話になったから逆らえない」として自らの考えを語れまい。金に操られた議員集団に過ぎない。国民がこうした金で操る政治手法を「古い政治」として嫌悪感をもっていることを知るべきである。小沢ガールズや小沢チルドレンがマスコミに露出し、ゴマすりをしている姿をどんな気持ちで国民が見ているか気づくべきである。
 小沢氏は「一点もやましいことはない」というなら政倫審を拒む必要はないはず。寧ろ自信があるなら、政倫審でなく証人喚問に応じるべきである。

 小沢氏は本年2月に自らの政治塾の講演で「自民党そのものもメルトダウンというか、政党の体をなしていないような状況になってしまった」と述べているが、その言葉が民主党に書き換えられている大きな原因を作っていることの責任を感じることはないのか。「豪腕小沢に期待する」の声も聞かれるが、金をばらまいて周辺を固め、権力誇示、保身としか考えられない政治家が国家国民を幸せにできるとは到底思えない。
 政治の退廃、ばかばかしさには辟易である。
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