日々の抄

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 久しき快哉なり

2011年5月9日(月)

 菅首相が浜岡原発の全原子炉の運転停止を中部電力に要請した。時の首相が原発の運転停止を要請したことは歴史的な出来事であり,その英断快哉である。
 その理由の要旨は「国民安全と安心を考えてのこと。同時に、この浜岡原発で重大な事故が発生した場合には、日本社会全体に及ぶ甚大な影響もあわせて考慮した結果であり。文科省の地震調査研究推進本部の評価によると、これから30年以内にマグニチュード8程度の想定の東海地震が発生する可能性は87%と、極めて切迫をしている。こうした浜岡原発の置かれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施することが必要。国民の安全と安心を守るためには、こうした中長期対策が完成するまでの間、現在定期検査中で停止中の3号機のみならず、運転中のものも含めて、全ての原子炉の運転を停止すべきと判断した。」というものである。
 この判断に対し賛否両論が起こっている。野党の原発を推進してきた自民、公明両党の幹部も首相の判断に批判的で,自民党の石破政調会長は「マグニチュード8程度の地震が30年以内にあるという理由だけでは不十分」と主張したり,逢沢国対委員長は「政治パフォーマンス」と切り捨てている。首相に退陣を求めかねない動きを見せていた鳩山前首相は珍しく「評価したい」と語りつつも「熟議がなされたか、懸念が残る」などと語っていると伝えられている。地元静岡県知事は歓迎の意思表示をしているが,同原発が立地する御前崎市長は「停止要請は法的な措置ではなく指示だと思うが、国の決定には従うしかない」と、政府方針を受け入れる姿勢を示しつつも,「国策であれば、もう少し地元の意見を聞いてもらい、反映してほしかった」と苦言も呈している。
 同市民の反応も,「遅きに失している」「同原発の労働者を含めた雇用問題は考えているのか」など賛否両論である。

 首相の判断は福島原発がもたらした,あまりにも悲惨な地元経済,生活の破壊,地域崩壊を考えれば適切な判断と言うべきである。熟議がない,根回しがなく独断だなどというが,きょう発生するかもしれない東海地震の影響を考えれば,長い議論の途中でもし地震が発生すれば,「なぜさっさと決断しなかったのか」などと批判するに違いない。
 首相は永久に浜岡原発の廃止を明言しているのではない。津波対策のための擁壁の建設等で安全が担保できるまで運転停止を要請しているだけである。自民党議員は首相判断を「政治的パフォーマンス」などと批判する資格を持っていると言えない。「絶対安全安心」として推進してきた福島原発の事故を,想定外だったなどという事は批判の対象になるだけで,納得する者はいまい。「電源が喪失することはない」ことが幻想だったこと,それがどれのほど地元民を苦しめているのか。869年に仙台平野を襲った今回の大地震と同程度の「貞観津波」をなぜ無視してきたのか。福島原発はもともとあった位置から約25m大地を削り取って高度を下げて建設されている。揚水などの効率を考えてのことというが,元の高さのままであったなら今回のような深刻な津波による被害が起こらなかった可能性が高いという。「安く効率的」に建設したことが悲劇を招いたことの反省はないのか。
 原発または関連企業に就労している人たちの仕事が一時期減少することは避けて通れない深刻な問題であることも確かだろう。だが,多くの人命や地域社会の破壊を引き起こしかねないを事前に避ける賢明さが優先されるべきである。東海地震で浜岡原発が福島原発と同様の事態を引き起こせば,東海道新幹線,東名高速道路の不通など計り知れない被害が予想されている。そもそも浜岡原発を建設したことに問題があったのではないか。

 首相判断へのいろいろな批判の中,経済界からエールが送られていることは心強い。鈴木修・スズキ会長兼社長が「福島第一原発の状況を見れば、浜岡原発が受ける被害はもっと大きくなるだろう。国の最高決定権者として正しかった」と評価。「大きな問題にならないようにみんなで協力してやっていけばいい。生活を切り下げ、質素、倹約をしていくべきだ。首相は記者会見の時に、国民に生活様式を変えてくださいと広く訴えるべきだった」と持論を展開している。この発言には全く同感である。
 原発の危険を顧みず,現在の生活を変えないことを前提の論議はもうすべきではあるまい。不自由さはあっても,福島原発が稼働してなくても何とか停電にならずに済んでいる。もうオール電化は過去のものにすべきではないか。便利さだけを求めることを考え直すべき時がきているのだ。
 今後大きな課題が果たされているのは,地球温暖化対策としてのCO2削減と生活の根本的再考である。一日も早い太陽エネルギーの効率的利用が望まれる。今までも不便な生活をしてきても不自由などと感じずに生活できた時代があったではないか。「時代が違う」と思うなら便利さを越えた新しい時代を模索すべき時がやってきているのだ。

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