日々の抄

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 多勢の奢りにしかすぎない

2011年5月27日(金)

 地域政党「大阪維新の会」の大阪府議団は、5月府議会に「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」を提案した。提案趣旨は「次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し」「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」「府立学校及び府内の市町村立学校における服務規律の厳格化を図る」としており,「君が代斉唱時に教員が起立することを条例化する」というもので,決まりを作るから文句を言わずに従えというものである。同府議団は議会で過半数を得ているため同条例案は成立する見込みという。対象は府立学校に加え、府内の政令指定市を除く市町村立の小中学校という。府教委は府立学校のほか、指定市の大阪・堺両市を除く41市町村立の小中学校の教員に対し、任命権と処分権を持つ。41市町村が設置、運営する公立小中学校は912校で,条例案は、府立高校など164校を合わせて計1076校の教員が対象となる見通しという。
  維新の会は条例案に罰則を設けない方針というが、同会代表の橋下府知事は,「起立しないのは府民への挑戦」「職務命令や条例を守らなかった場合の処分のルール化もめざす」と述べ、条例化後に起立を拒むなどした教員を地方公務員法違反で処分する可能性も示し,不起立を繰り返す教員の学校名と実名の公表を検討する考えを示すとともに,9月府議会で違反者を免職にする条例を作るとしている。「職務命令違反を繰り返した場合は段階を踏んで最後は免職」にするという。時代劇なら,市中引き回しの上磔獄門の刑だろう。「どういう処分するか、今は(教育委員会の)自由裁量だが,処分しなければ、処分権者が条例違反になるだろう」と述べている。教育委員会へも軋轢を与えている。
  知事は「公務員なら君が代に敬意を払え」「子どもたちの晴れ舞台は厳粛なムードで」「身分保障に甘えるな」とツイッターに書き、違反を繰り返す教員を免職すべきだと主張してきた。大阪の経済的な地域の閉塞感打破のために同会に票を与えた選挙民が多かったに違いないが,マニフェストには君が代不起立処分を掲げてはおらず,密かな企てだったのか。

  そもそも,1999年に成立した国旗・国歌法成立時,当時の小渕首相が「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えない」「児童生徒の内心にまで立ち入って強制するものではない」と国会で答弁しながら、卒業式での国歌斉唱での起立が事実上強制される動きが出ているのはどういうことなのか。同法成立時の野中官房長官は「法律ができたからといって強要する立場に立つものではない」「強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が必要」と強調している。

  教育現場で顕著に「日の丸・君が代」が強制され始めたのは2003年都教委が出した「10・23通達」で,卒業式・入学式などで不起立などを理由に処分しはじめた。2006年3月行われた都立定時制高の卒業式で、卒業生の大半が君が代を起立斉唱しなかった問題が起こり,教育長は「学習指導要領に基づく教職員の指導が適切に行われていれば、考えられないこと。処分の対象になる」との見解を改めて示した。石原知事は、「きちっとした処分を重ねていかないと、教師たちの反省につながらない」との見方を示した。
  また同年9月都立高校などの教職員ら401人が都と都教委を相手取り、入学・卒業式で日の丸掲揚と君が代斉唱に従う義務がないことの確認と、都教委による懲戒処分の禁止を求めた訴訟の判決が東京地裁であった。「国歌斉唱などを強制するのは憲法が定めた思想・良心の自由を侵害する違法行為。都教委の通達や指導は、行政の教育への不当介入の排除を定めた教育基本法に違反する」「皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ、現在も宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない」として、原告側全面勝訴の判決を言い渡した。
  一方,2007年2月日野市立小の入学式で、君が代伴奏を拒否したことを理由に戒告処分を受けた音楽科の教諭が、「伴奏を指示した校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障した憲法19条に違反する」として、都教育委員会に処分の取り消しを求めた訴訟の上告審判決で,最高裁は「職務命令は原告の歴史観や世界観を否定するものではない。思想・良心の自由を侵害せず合憲」とする初判断を示し、教諭側の訴えを退けた。教諭側敗訴の一、二審判決が確定している。
  この判決を受け野中氏は「根拠となる法律ができて国旗・国歌が定着したと思っている。社会の秩序の一つとして教師は率先して斉唱してほしいが、人の内心に入ってまで求めるものではない」「東京の処分は間違い。私は答弁で、人の内心まで入ってはいけないと言った」と批判している。

  2009年7月,式典などで国旗、国歌への起立、斉唱を義務付けた神奈川県教委の通知をめぐる訴訟の判決で横浜地裁は,「起立斉唱命令は思想、良心の自由を侵害しない」として教職員側の主張を退けている。同時期に埼玉県知事は,入学式など式典の国歌斉唱の際に起立しない教員について、「日本の国旗や国歌が嫌いだという教員は、辞めるしかないのではないか」と語っている。

  本年3月,日の丸への起立や君が代斉唱を義務づけた都教委の通達に反したとして、懲戒処分を受けた都立学校の教員約170人が処分取り消しと慰謝料を求めた訴訟で、東京高裁は、「通達は合憲として請求を退けた一審・東京地裁判決」を覆し、処分を取り消す逆転判決を言い渡した。判決は、通達そのものは適法だったが、処分は行き過ぎで懲戒権の乱用だと判断。「思想良心の自由を侵すものではない」と違憲性を否定。その上で、教職員らの行動を「歴史観や信条などに基づく真摯な動機に基づくもので、式を混乱させる意図はなかった」として「処分は裁量権を逸脱、乱用している」と判断した。通達が出された2003年10月以来,10年度の入学式までに延べ430人が処分を受け,今回の訴訟以外にも2回に分けて計116人が取り消し訴訟を起こしており、地裁で審理中という。

  「日の丸・君が代」については司法の場でも判断が分かれている。だが,教育現場で行われている「起立しないと処分する」という行為は,「国旗・国歌法」法が制定された当時の趣旨から明らかに反している。「日本中で君が代を歌わせるのが私の仕事」と園遊会で自慢そうに語って天皇に窘められた将棋差しに似た光景が,権力に就いた者に見えている。式典で君が代斉唱を妨げたり,日の丸を引き下ろすことは断じて許されることではない。だが,自らの信条で起立しないことのみで,職を失いかねないことになる大阪府の新条例は,異常であり,憲法19条に反するものである。議会で多勢になれば何でもできると思ったら大きな間違いである。
 東京都で君が代起立を拒み何度にも亘って処分を受け,最後に免職を覚悟していた教諭は,無事に定年を迎えた。大阪の場合は条例で処分するという全国で初めての暴挙である。心あるキリスト教信者の中に,条例による起立を踏み絵を踏まされるとして深い悩みを持っている職員も少なくないと聞く。

  NHKの朝ドラの「おひさま」の女主人公陽子は国民学校の先生である。子どもたちを愛おしく思い接している様に教えられることが沢山ある。ドラマは太平洋戦争に突入し金属の供出を強いられる状況下にさしかかっている。その陽子先生が先輩教員に,どんな教員になりたいかを問われ,「生きる喜び,学ぶ喜びを教えたい」と答えると,「その考えは危険思想である」と断じられる。お国のために役立ち命を賭す気概の,没個人の人間を育成せよという当時の典型的な考えが示されている。
 お前たちは公務員なのだから余計なことを考えずに,お上のいいなりになって当然。個人の信条など関係ない。文句があるなら辞めればいいという乱暴な考えを聞くことがある。彼らの発想は陽子先生の時代の考えと全く異なることはない。日弁連が出した声明のように「教職員は(憲法上)『全体の奉仕者』だが、職務の性質と無関係に一律全面的に公務員の憲法上の権利を制限する根拠とならない」。個人の信条を阻害し,物騒な方向に動き出した国家が沢山の犠牲を払わなければ止まることができないという,命をかけた経験を忘れてはなるまい。「個人を尊重すること」それが民主主義国家の最大の優れた点ではないか。多民族国家の米国では統合の象徴としての国旗への思いが強く,国旗に対する「忠誠の誓い」を生徒に義務づけている公立学校も多いと聞く。その米国ですら「誓い」を拒む権利は連邦最高裁が1943年に認め、同様の判例が重ねられてきている。

  他人に迷惑をかけることなく「ひっそりと,式を混乱させる意図をもたずに」君が代斉唱のときに起立しないことだけで職を失うことなど考えられないことである。そんなことがあってはならない。日本はそれほど了見の狭い国に成り下がってはいまい。権力を持って国民を組み敷こうとする恐怖は他人事ではない。大阪府民の良心を注目して見守っていきたい。

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