日々の抄

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 松が泣いている

2011年8月10日(水)
  東日本大震災の津波で流出した岩手県陸前高田市の高田松原の松を、先祖の精霊を送るとされる京都の「五山送り火」の薪にする計画が進められていた。遺族らにメッセージを書き込んでもらい、五山送り火のうち、京都市左京区の「大」で使用する予定だったという。
発案者は松を薪として使って「追悼の気持ちに協力したい」と考え、大文字保存会に利用を求めた。保存会理事長は当初「震災で亡くなった方のために使うのは本来の目的にかなっている」と理解を示していた。

  だが,計画が報道された6月末以降、京都市や関係者の自宅に「放射能汚染された灰が飛ぶ」などと抗議の電話やメールが寄せられるようになり300件ほどにおよんだという。保存会は薪のかけらを取り寄せ、民間会社に依頼してセシウムとヨウ素の検査をしたが何も検出されなかった。しかし,薪の使用を巡って理事会で意見が割れ,「不安は完全にぬぐえない」との反対意見により中止を決断したという。
  中止が伝えられると,京都市へ,京都市民や他府県から「放射性物質が検出されてないのに中止は疑問」「京都のイメージダウンにつながる」など中止撤回を求める抗議が300件近くあったという。

  陸前高田市民は中止になったことに落胆したが,陸前高田市でメッセージを記した薪333本を精霊の「迎え火」として燃やした。メッセージには,母を目の前で失った人がせめてもの弔いの気持ちを込め「津波で死なせてゴメン。涙が出ます」と書いたもの,「お父さんは最高の父です。ありがとう」「前へ前へ行くぞ」「絆」などがあったという。

  五山送り火保存会は遺族らのメッセージを写真に撮り,後日、別の護摩木に書き写して「送り火」で使用するというが,被災地の松を使うことに意義があることに気づいてないらしい。写経ではないのだ。また,京都市では「薪の一部を残し15日に京都市役所前で行うイベントで送り火のように燃やしませんか」と打診したが拒否されたという。

  五山送り火に陸前高田市の被災者の思いを込めた松を使うか否かは「五山送り火保存会」に権限があり,京都市は関与できないという。被災者の思いを京都で行われる伝統行事に送ることを,全く科学的根拠もなく放射線の汚染が起こるとして拒絶反応している数と,中止を非難する数はほぼ同数の300件ほどだったのである。まさに風評被害の典型だろう。大震災で失った命を鎮魂したいと思う遺族の人々の切なる気持ちを,京都の一部の人々が傷つけたことを自覚すべきである。京都には,「いちげんさんお断り」の風習もあるというが,そうした人々は,「ニッポン頑張れ」「東北頑張れ」などと白々しいことは言うべきでない。自分の身を安全な位置に置いて,遠くで「がんばれ」と中身のない言葉を発しているだけである。「せいぜい頑張なさいよ」とでも言うのだろうか。全く失望である。「京都五山の送り火」は望まずして命を奪われた人の鎮魂をも受け入れない,単なる「観光行事」なのか。そうした人々はどんな気持ちで五山に手を合わせるのか。

  「五山送り火保存会」の判断は明らかに誤りである。賛否両論があるなら,はじめに実行しようとした考えと使用する松に放射能汚染のないことを反対する人々に丁寧に伝え,実行すべきではなかったのか。判断の影には行事を支えている影の存在からの軋轢があったのかもしれないが,京都の存在価値を下げたことは間違いない。

追記:9日も京都市に苦情が約500件も相次いだという。京都市は陸前高田市のボランティア団体から500本の薪を取り寄せ平和イベントで一部を燃すことにしたそうである。また各五山送り火保存会で組織する五山送り火連合会は送り火で薪を燃すように変更したという。連合会長は「松には被災者の思いが詰まっている。心静かに犠牲者の霊を送る協力をしたい」と語っているが,被災者のメッセージの書かれた薪はすでに陸前高田で燃されており,新たに送られた薪を燃すことで被災者の心に寄り添っているなどと思い違いをしているようである。「仏作って魂入れず」とはこのことである。京都は大切なものを失った気がする。
 
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