日々の抄

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 言葉狩りである

2011年9月30日(金)

  野田政権が発足していくらもしない内に鉢呂経産相が不適切発言で引責辞任した。失言といわれる「死の町」発言について。氏の発言は「市街地は人っ子一人いない、まさに死のまちという形だった」とされるが,原発で人っ子いない街を見た素朴な感想で,「そうした町を元の状態にしたい」と思ってのことは明らかではないか。そもそも「死の町」は辞書によれば「住民が離散して,ほとんど無人状態となった町」とあり,どこが問題のある発言なのか理解できない。英語では「Ghost town=ゴーストタウン」である。新聞各紙もゴーストタウンという言葉はフクシマに対して使っている。
   「これまで3回の一時帰宅をした。そのたびに生まれ育った双葉町の様子をビデオや写真に収めている。避難対象区域となり、ゴーストタウン化した町」(9月11日毎日),
   「同市青葉区の折立地区では全142世帯のうち東部の55世帯で、玄関前に深さ2メートルの穴が出来たり、建物の床板がずれたりした。住民の多くが避難、人通りはほとんどなく、一帯は「ゴーストタウン」化している」(5月31日読売),
   「警戒区域側はゴーストタウンと化し、準備区域側も学校や医療機関の休止などで暮らしが大きく制限された」(9月10日東京),
   「一方、すでに20キロ圏内はゴーストタウンになり、その周辺も不安の中にいる」(4月8日朝日)
などであるが,こうした新聞社の中には鉢呂経産相の辞任会見では大臣に対し罵詈雑言を浴びせ,他社の記者から窘められる場面があったが。新聞記者の中には自分が正義の味方のように思い違いしている輩がいることは確からしい。「ゴーストタウン」がよくて「死の町」が何故悪いのか。少なくとも鉢呂氏が被災地に対し差別的な気持ちで「死の町」と言ったのでないことは確かである。

   また,「放射能つけちゃうぞ」発言について。これも新聞各社で表現が異なり何が本当なのか分からない。「防災服をすりつける仕草をし,'放射能をつけたぞ'という趣旨の発言」(毎日),「こすりつけるしぐさをし、'ほら、放射能'と発言した」(読売),「防災服の腕の部分などを近づけ、'放射能を付けたぞ'という趣旨の発言をしていた」(朝日)と報道されており,いつの間にかこれが「放射能つけちゃうぞ」と発言したことになっているのはどういうことなのか。「……という趣旨の発言」で糾弾されるのは裁判での推定有罪ということなのか。鉢呂氏の行動に軽さを感じないわけにいかないが,オフレコとされていることが大臣辞任の引き金になるなら新聞記者など信用せず当たり障りないことを語るに限る。まるで「言葉狩り」である。
   今も国会では献金問題など大震災に関係しない議論が聞くに堪えないヤジの中で行われている。国民の代表たる議員先生達の,国民感情とかけ離れた活動には呆れるばかり,国会中継など気分が悪くなり見る気はしない。
 
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