年をとっている場合ではない |
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2011年11月26日(土) 先週末,前橋で行われている連続講座「戦争を語り継ぐ」の第4回目が開かれた。全5回の公開講座である。その概要を紹介しておきたい。なぜなら戦争の記憶を語り継ぐという歴史の証言が衰退しつつも,自分が語らずして如何という気概をもって語り継ぐ,地に根を生やした努力が行われていることを伝えたいが故である。 第1回(2011/5/21)「戦後の軍国少年」。副題「戦時下の日常生活の背景」講師 羽鳥安雄氏(著書に小説「村逃げ=新潮社」,詩集「銃後」など)。 氏の著書「僕は天皇陛下の赤子だった (小学生の見た戦時下の農村)」を元に氏が経験した尋常小学校一年生からはじまり六年生の終戦までの体験談。皇紀2600年祭り,太平洋戦争開戦の経緯,小学校での軍国教育,農村での衣食住,戦火への不安そして終戦が語られた。 第2回(2011/7/16)「名作ドキュメンタリー上映と講演」講師 遠藤淳司氏(日本放送作家協会員。演出家) ドキュメンタリー「碑(いしぶみ)」(昭和44年芸術最優秀賞 監修松山善三,演出杉原萌,語り杉村春子)。ヒロシマで被爆した広島二中の生徒,生徒325名の全滅に至るまでの記録。 ドキュメンタリー「十九才」(昭和38年長崎放送製作 構成・演出 中島史郎,撮影 大田甫)。ナガサキで一才五ヶ月で被曝した青年が15年後被曝の後遺症で苦しみながら生きていく姿を記録した映像記録。 第3回(2011/9/16)「私の戦争体験」講師 橋本邦雄氏(建築家,芝浦工大名誉教授)。 氏は東京美大(現東京芸大)在籍中,学徒動員で郡山飛行隊,仙台飛行隊,航空士官学校に軍務配属。学徒として陸海空の軍に軍務配属された。藤沢の電測学校に配属された時,南方で米軍から押収した日本で初めての電波探知機(レーダー)を見たという。各軍での非人間的な経験,横浜,東京の空襲後の生々しい証言を話された。印象的だったことは,東京空襲の直後,焦土と化した東京で池袋駅頭から山の手を見ると東京駅が見えたこと,東京のみならず横浜でも空襲の後,累々たる悪臭を放った屍を見たことなどである。話の内容は,学徒動員で求められた戦争協力,戦時下の被害体験と人々の暮らし,戦時下の日本人の衣食住,などであった。戦争が終ったことを今も「終戦」と呼んでいるが,これは「敗戦」と呼ぶべきであると強調された。 第4回(2011/11/19)「私の戦争体験」講師 筑井吉雄氏(現在92才にして剣道場主)。 第1回から第3回までと異なり,戦地での経験談であった。氏は昭和14年徴兵招集され満州関東軍独立歩兵に配属。砂漠地で冬期は氷点下30度にもなる赤峰に現地入隊。敵軍との交戦時に右肩頭部盲貫銃創にあい野戦病院で治療するなど命の危うさを常に感じていた。厳寒に失神したこと。銃創の痛みが筆舌に尽くしがたかったこと,また軍の中での階級による陰湿な制裁など生々しい証言がなされた。 昭和18年現役満期除隊し帰郷。後に国鉄に職を得るも翌19年再び赤紙招集され船舶でシンガポールに向かうも船団18隻の内到着できたのはたった4隻だった。船舶の中は灼熱地獄,南京虫に悩まされたという。到着後閲兵式があり,航空機で安全に現地入りした指揮官が,命をかけた兵士達の上陸の苦痛,恐怖を考えることなく「たるんどる!と一喝したことの不条理は忘れ難いという。その後マレー半島を通過しタイ国に入り,メコン川を下りベトナムに入り縦貫鉄道の橋梁爆破破壊箇所の復旧工事に従事。昭和20年8月15日の3日後に終戦を知る。終戦後は俘虜(ふりょ)として鉄道保守に当たり,昭和21年英軍の武装解除を受けサイゴン(現ホーチーミン)港を出航し,5月22日自宅に帰着。春蚕の最盛期の時だったという。 氏の講演は命の危険を常に感じ軍隊の不条理に苦しみ満州での銃撃戦でいつ命を失うか分からない中,銃弾を受けた。そうしたことを淡々と語り続け,また張りのある声で2時間もの間,実に克明に当時を証言された。驚くべき事は,今から65年から70年も以前の,軍属の地位,出身地,氏名を滞ることなく次々に述べられたことである。20才での徴兵検査の様子も実に詳細に語られたが,隣近所の知人が戦争をどのように受け止めていたかも鮮明な記憶の中にあった。きのうの夕食がなんだったか記憶があやしい凡人にとってこれは驚き以外の何物でもなかった。氏は若くして剣道2段を得ていたが,それが軍隊での厳しい試練を乗り越えるために活かされていたようである。現在も元気に剣道場で若者の指導に当たられているが,90才を越え矍鑠としていられる姿を見て,氏の生命力を強く感じた。 氏は講演の最後にこの会の主催者である羽鳥さんの著書から次の文を引用された。 「暴力。それを大きくしたものが戦争だ。戦争は人間の尊厳まで冒す最大の暴力だ。その暴力が,目に見えぬ力になって国民を,今,また戦争のできる国,暴力を肯定する国家に変えようとしている。自衛のための防衛,いかにも美辞麗句に思えるが,それは権力を持とうとするものの虚言だ。虚言に惑わされてはならない。戦争は人間を盲目にする」 そして最後に,「私たちは権力に負けない,正しく権力と戦う気持ちが必要だろう。邪道ではいけません。私たち庶民が手を組んで絶対に戦争をしてはいけないと叫んでいきたい」と結ばれた。 講演の後帰途につくときに,あれほどの記憶力,体力,気力を持っている92才の人がいる。自分がその年齢になるには随分時間がある。もう年齢を重ねてきた等という寝言は言うまいと思った。この講演で戦争の悲惨さ不条理さ戦争をはじめた人々への怒りを感じられたが,それ以上に自分が年寄りの気分でいることが恥ずかしく感じられ励まされた。 講演会場はいずれも前橋中央公民館(元気21)であり,最終回である第5回目は2012年1月に行われる予定である。 |
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