日々の抄

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 既定路線を歩んでいるだけなのか

2012年6月13日(水)

 野田首相は6月8日,福井県にある関電大飯原発3、4号機の再稼働を決める考えを表明した。再稼働の判断の根拠となる安全性について,「1年以上の時間をかけて得られた知見を積み上げて確認した」とし,その内容の要旨は,
  「福島を襲ったような地震,津波が起きても事故を防げる対策・対策は整っている」「3割の原子力発電をいま止めては、日本の社会は立ちゆかない。関西の15%という電力不足は昨年の東日本でも体験しなかった水準だ」「夏場限定の再稼働では,国民生活は守れない」「(関電管内が)計画停電になれば、命の危険にさらされる人、働く場がなくなってしまう人も出る。国民生活を守る。私がよって立つ唯一絶対の判断の基軸だ。国民生活を守るために,大飯原発3,4号機を再起動すべきというのが私の判断である。立地自治体のご理解をいただき、再稼働の手続きを進めたい」「中長期のエネルギー政策は,8月をめどに決めたい」「大飯原発3,4号機以外の再起動は引き続き個別に安全を判断する」
などというものである。

  予想していたこととはいえ,夏場を控えた時間制限と電力会社を中心とする経済産業界に追いたてられ,安全性を軽視した結論としか思えない。つまり,原発が国の経済に利益を与えても生命,財産,国土の安全を失いかねないとの知見に至ってない。
  「福島で起こったような地震,津波が起きても安全である」としていることは,その前提からして誤りといわなければならない。つまり,福島原発の原因調査究明の結論が出てないこと,また日本列島全体が,東日本大地震によって地殻変動を起こし,昨年までと大いに異なる変動が起こっていることである。富士山噴火による大災害が現実味を帯びて伝えられていることは今までになったことではないのか。太平洋岸の東海・東南海・南海トラフの巨大地震の同時発生が危惧されている時期でもある。今までの地震程度という想定を変えなければならない事態に至っていることを認識した「想定の再考」が急務である。それがなされずして何の安全か。
  また,大飯原発の補強対策について、「免震棟やフィルター付きベントの設置防波堤工事がなされてない」のになぜ安全が確保されたなどと言明できるのか。どう考えても,「安全対策が完成するまでは大地震,津波は来ないことにする」としか思えない。

  「計画停電になれば、命の危険にさらされる人、働く場がなくなってしまう人も出る。国民生活を守る。私がよって立つ唯一絶対の判断の基軸だ」としている点が本音なのだろうが,国民生活を守ると言っている一方で大飯原発が最悪の事態を引き起こした場合,どれほど国民生活を守ることができるのか。計画停電で命の危険にさらされることと,原発事故での危険といずれが危険であるかは,今も放射線の危険にさらされ,何万人もの人がふるさとに帰ることができず,生活の場と財産を失っている福島の原発事故が教えていることではないのか。地元の「働く場がなくなってしまう人も出る」ことのために,事故発生によって周辺地域である関西地方に多大な被害が引き起こされることを想像しているのだろうか。地元での原発に変わる産業振興を考えることこそ政治のなすべき仕事なのではないか。
  大飯から飛ばされた風船が2日もしないで300キロ離れた群馬,埼玉まで飛来していることが,ことし3月に調査されている。関東地方も大飯原発の影響下にある地域なのである。京都も大阪も「放射線汚染地域」として何年もの間,立ち入れない事態に至る可能性も考えに入れるべきである。首相はわずか1年余前に起こった大惨事を忘れているのではないか。

  大飯原発再稼働は地元の福井県が了解すればよしとする問題ではない。原発稼働は一度事故を引き起こせば,日本の国土の多くが失われかねない問題である。それを承知で再稼働することは,「経済性を重んじるから事故が起こっても多大な被害を甘んじる」とするか,「事故の発生したことの重大性を考え不自由な生活に甘んじる」かの二者択一の問題である。そう考えれば,足下のあやしい政権の中の数人の政治家の「責任」で決められる問題ではない。原発再稼働は国民投票で決めるべき国運をかけた問題である。

  6月6日,大飯原発敷地内に「活断層の可能性がある」とする名古屋大,東洋大の分析結果と「再稼働前の現地調査の必要性を指摘」が報じられた。
  関電は「活断層ではないと判断しており、再調査の必要はない」としている。関電は大飯原発敷地内の断層は15あり,3、4号機の原子炉設置許可の申請時に掘削調査などをしているが,名古屋大,東洋大の調査によると,当時の資料や航空写真を確認したところ、「新しい時期に断層が動いた可能性を示す粘土が断層面にある」こと、「断層の上にある堆積物の年代が特定できていないことが分かり」,「関電の調査は不十分で、断層の活動を否定できる根拠がない」としている。
 これに対し,関電は粘土は「地熱によってできたか、外から入ってきたもので,堆積物は、含まれる火山灰の分析から12万〜13万年より前のものと判断し、それ以降に動いた活断層ではない」と説明している。
  関電の調査はどのような研究機関による調査結果なのか。最新の調査による問題提起に対し,関電の一方的な見解だけでこれを無視するなら,福島原発の想定に「貞観地震」を研究者が提起していたことを無視して起きた東電,政府,原子力委員会,原子力保安院が犯した過ちと同じ結果を引き起こしかねないのではないか。首相は「福島を襲ったような地震,津波が起きても事故を防げる」としているから,直下地震は「想定外」ということになるのか。


  政治家,原子力関係者が「原発は安全」と言っていることが信じられず,不信感が国民の間に募っていることは不幸なことである。電力会社,政治家,原子力関係の研究者,学者は国民に「原子力の安全性」を信用できるものにすべき責務があるはずだが,以下のような報道がなされているのはどういうことなのか。

 「東電福島第一原発の事故時、中立的な立場で国や電力事業者を指導する権限を持つ内閣府原子力安全委員会の安全委員と非常勤の審査委員だった89人のうち、班目委員長を含む3割近くの24人が2010年度までの5年間に、原子力関連の企業・業界団体から計約8500万円の寄付を受けていた。うち11人は原発メーカーや、審査対象となる電力会社・核燃料製造会社からも受け取っていた。(朝日2012/1/1)
  「東電が電力業界での重要度を査定し、自民、民主各党などで上位にランク付けしてパーティー券を購入していた計10人の国会議員が判明。電力会社を所管する経済産業省の大臣経験者や党実力者を重視し、議員秘書らの購入依頼に応じていた。1回あたりの購入額を、政治資金収支報告書に記載義務がない20万円以下に抑えて表面化しないようにしていた。また、東電の関連企業数十社が、東電の紹介などにより、多数の議員のパーティー券を購入していたことも判明。複数の東電幹部によると、東電は、電力業界から見た議員の重要度や貢献度を査定し、購入額を決める際の目安としていた。2010年までの数年間の上位ランクは、いずれも衆院議員で、自民では麻生太郎、甘利明、大島理森、石破茂、石原伸晃の5氏、元自民では与謝野馨(無所属)、平沼赳夫(たちあがれ日本)の2氏。民主では仙谷由人、枝野幸男、小沢一郎の3氏だった。(朝日2012/1/8)
  ここに名の挙がっている福島原発発生当時経産相だった枝野氏は、「パーティー券購入がただちには政治資金規正法違反にはならない。(電気料金を算定する原価に)パーティー券の分が含まれていたとしたら問題」と述べ,「今後の調査などの実施については否定的な考えを示し、当然のことすぎるので、指導するまでもない」としていた。こうした人物が「直ちに放射線の影響はありません」聞かされていた。
 「東電福島第一原発事故後の原子力政策の基本方針(原子力政策大綱)を決めるため内閣府原子力委員会に設けられている会議の専門委員23人のうち、原子力が専門の大学教授3人(東大の田中知=日本原子力学会長,阪大の山口彰,京大の山名元の各教授。)全員が、2010年度までの5年間に原発関連の企業・団体から計1839万円の寄付を受けていた。
 会議では、福島の事故後に政府が打ち出した減原発方針が大綱にどう反映されるかが焦点となっている。原子力委の事務局は3人の選定理由を「安全性などの専門知識を期待した」と説明するが、電力会社や原発メーカーと密接なつながりがあったことになる。3人は寄付を認めたうえで、「会議での発言は寄付に左右されない」などと話しているという。(朝日2012/2/6)
 「福井県から依頼され、原発の安全性を審議する福井県原子力安全専門委員会の委員12人のうち、4人が2006〜10年度に関西電力の関連団体から計790万円、1人が電力会社と原発メーカーから計700万円の寄付を受けていた。5人の委員が関電など審議対象と利害関係にあることになる。5人はいずれも寄付の影響を否定しているという。(朝日2012/3/25)
 「電力各社とその業界団体電事連が、国の原子力研究の中心を担い、原発の安全審査機関に委員を多く送り込んでいる独立行政法人・日本原子力研究開発機構に長年寄付を続け、2008〜11年度だけで計約2億5千万円に上ることがわかった。東電福島第一原発の事故で電気料金の値上げが浮上した後も続けていた。原発の関連組織や立地自治体に対する電力会社の寄付は電気料金に反映される仕組みになっているが、電力各社は寄付の総額も公表していない。
 電力会社や原子炉メーカーが安全審査機関でメンバーを務める大学研究者に多額の寄付をし、原発の推進と審査の線引きがあいまいな実態はこれまで明らかになっているが、規制にかかわる機構と電力業界も金銭面でつながっていた。(朝日2012/4/2)

 寄付を受けていた関係者の「献金に影響されていません」などということを信じるわけにはいかない。こうした寄付がなければ政治や研究ができないことに怒りを覚えないわけにいかない。
  また,東電が、原子力発電所がある自治体むけに文化・スポーツ施設の建設などの名目で出していた「寄付金」を原則として全廃することが分かった。寄付金は、原子力関係の研究施設むけなども含めて毎年20億円前後あった。その大半は、原発がある福島、新潟、青森各県の地元自治体に,施設建設のほか道路整備などさまざまな名目で、原発建設を受け入れたことへの謝礼や原発の運転を続けることへの協力を求める意味合いもあったとみられる。
 東電はこれまで、寄付金を電気料金の算定の際の「原価」に含めていたが、政府も今後は認めない方針を決めているが本当なのか。

 原発の安全審査機関に拘わる人物は,電力会社などから一切の寄付行為を絶つべきであり,今まで金銭的関係のあった者は去るべきである。学者として研究者としての矜恃を持つべきである。業界から寄付を受けている人物の発言を中立だと思ってくれると考えている学者は社会的常識に欠けていると言わざるを得ない。また,寄付金を与えるから原発を設置の許可を得ようなどと悍ましいことを政治は考えるべきではない。
 そもそも,使用済み核燃料が何千年何万年も安全でなく,最終処理場を設置することができないような,人の手で処理できないような燃料を使うべきはない。原発で死ぬことがあっても,原発がなくて命を絶つことは回避できる。

 16日に大飯原発再稼働が政治決断されるという。野田首相は大飯原発再稼働を判断した人物として歴史に名を残すに違いない。
 
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