日々の抄

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 原子力を「安全保障」に利用するのか

2012年6月25日(月)

 消費税法案をめぐった政治家達の見苦しい私利私欲に走った右往左往ぶりは見るに堪えない。口先では「国民のため,国家のため」などと言っているが,国家の未来や国民生活の向上でなく,「次の選挙に自分が有利になるか否か」で動いている姿は見苦しくもあり,今ほど政治家の言動が軽薄なときはなかった気がする。他人を攻撃するのでなく,国家国民を考える自らの政治信念を語る政治家は皆無に近くなった感が強い。語った言葉をすぐに撤回する政治家の言葉は単に美辞麗句を並べた,作文にしか聞こえてこない。今の政治家はあまりに軽い。

 今週初めに予定されているという消費税法案の衆院通過をかけた決戦は,与党主流派と自公民の合作と与党の反主流派が抗うという,なんとも情けない事態に至っている。首相が政治生命をかけているという法案を覆すために,50人近くの議員が離党届を親分に預けてるなどということは,選挙でお世話になった恩返しとしか見えない奇っ怪な姿である。彼らには政治家としての矜恃を持ち合わせているか疑わしい。
 そんなドサクサの中で,「原子力規制委員会設置法案」がわずか4日しか審議されず衆院を通過した。その附則の(原子力基本法の一部改正)に以下が加えられた。
『第十二条 原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)の一部を次のように改正する。
 第一条中「利用」の下に「(以下「原子力利用」という。)」を加える。
 第二条中「原子力の研究、開発及び利用」を「原子力利用」に改め、同条に次の一項を加える。
 2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。』

 注目されるのは「安全保障」の文言が加えられたことである。これは与党の提案した法案になかったが,自民党からの提案を与党が認めたということだそうだ。原子力基本法は「原子力の憲法」といわれるものである。「安全保障」が加えられたことによって,日本国の「安全保障」のために原子力が利用できると解釈できる。つまりは,核の軍事利用への入り口を作ったのではないかと思われても仕方ない文言である。官房長官は「平和利用の原則は揺るがず、軍事転用の考えは一切ない」と強調している。提案者の自民党議員は「安全保障」とは、核物質の軍事転用を防ぐ国際原子力機関(IAEA)の保障措置などを指すと答弁している。だが,近隣諸国が直ちに反応していることを見るまでもなく,核の軍事利用などありえない考えである。「安全保障」と「保障措置」とは意味合いが異なるのは言うまでもない。現政権は「安全保障」が核の軍事利用に道を拓くつもりはないと考えても,後の政治が拡大解釈すれば核の軍事利用も可能であるかもしれない「安全保障」の文言は削除しておくべきである。

 かつて国旗国歌法案が1999年に成立した当時の小渕首相が「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えない」「児童生徒の内心にまで立ち入って強制するものではない」と国会で答弁し,野中官房長官は「法律ができたからといって強要する立場に立つものではない」「強制的にこれが行われるんじゃなく、それが自然に哲学的にはぐくまれていく、そういう努力が必要」と強調した。だが,現在の学校現場では国歌斉唱時の起立までもが強制され処分の対象になっている。法令の文言が読み替えられている典型的な例である。そうした観点からも直ちに「安全保障」は削除すべきである。「原子力基本法」にわざわざ「安全保障」が書き込まれる理由が見当たらない。あるのは恣意的な「核の軍事利用」の下心だけである。

 日本国の将来に重大な結果をもたらしかねない法律改正があっというまに作られる怖さを感じる。そうしたことが杞憂であってほしい。
 
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