国民の声よ届け |
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2012年7月24日(火) 本年5月5日深夜,北海道泊原発が停止され国内の原発50基がすべて止まった。その後57日ぶりに福井県大飯原発が7月1日に再稼働した。 原発の下に活断層がある可能性を指摘されていること,原発の安全性が先送りにされながらの再稼働に対する多くの国民の不安と怒りが渦巻いている。最近の政治の閉塞感,権力闘争としか思えない政争に呆れかえり,空しささえ感じていた国民が,6月の初め少数の人の呼びかけから始まった「反原発」の活動が動き出し,今や大きなうねりとなっている感がある。著名人の呼びかけによる反原発の署名は750万筆にもおよび,総理官邸前で毎週金曜日に行われているデモ行進には子ども連れ,仕事帰りの勤め人を含め全国から東京のデモ行進に参加する人が増え,全国各地でも同様のデモが行われている。その東京での参加人数の推移を書き出してみると以下のようである。 6/6 日比谷公園:「さようなら原発1000万人アクション」 2300人 6/8 政府が再稼働宣言 6/15 官邸前:主催者1万1000人,警視庁2600人 6/22 官邸前:主催者4万5000人,警視庁1万1000人 6/29 官邸前:主催者20万人,警視庁1万7千人 7/1 大飯原発3号機再稼働 7/6 官邸前:主催者15万人,警視庁2万1千人 7/9 大飯原発3号機フル稼働 7/13 官邸前:主催者15万人,警視庁約1万人 7/15 大江健三郎氏ら「さようなら原発1千万人署名」の呼びかけ人が751万人分の署名簿のうち645万人分を、首相あてに提出 7/16 代々木公園:主催者17万人,警視庁7万5千人 7/20 官邸前:主催者約4万人,警視庁約1万人 首相は6月29日の20万人を超えるデモの声を「大きな音だね」と話して顰蹙を買った。この発言が何度もマスコミで引用され非難の的になっているが,仕事を終えて官邸から隣の公邸に移る際に警護の警察官に話した言葉というから,首相はうっかり言葉を発することもできない。首相の発言は看過できないとしても,警護の警察官がこんなことをリークしていいものなのか疑問である。 その後,首相は10日の国会答弁で,「音という表現をどこでどういう形でしたか、わからない」「そういう国民の声をしっかり受け止めないと」とも語たり,11日付けの首相官邸ブログの「様々な声に耳を澄ます」で「毎週金曜日の夕方、官邸前で反原発を訴えておられる多くの方の声も聞こえています。老人ホームのお年寄り、商店主の方々、中小企業で働く方々をはじめ、計画停電や厳しい節電への不安を強く感じる方々の声も聞こえています」としている。 デモ参加者の数が主催者側と警護側で余りにも違いすぎるのは気になるが,それぞれカウントの方法が異なるためだろうが,一万人を越える参加者がいること,これからも毎週のデモが継続されるであろうことは間違いなさそうである。 一万人を超えるデモは60年代の安保闘争で街中をジグザグデモ行進が行き交い,国電の駅が占拠され,線路の敷石が投石の道具として使われていたことが想い起こされる。当時のデモと比べると,今回のデモの質は全く異なる。かつてのデモは,世の中を自分たちの手で変えようと真剣に考えての行動だったが,参加者の中にはセクトがいたり労働団体などの動員も多かった。今回のデモ参加者の多くは子ども連れ,家族単位を含め個人単位が多かった。750万人を越える原発再稼働反対の声が全く政治に届かないことに危機感を感じ,小さくとも何かの行動を起こし意思表示したい気持ちに駆られてのことである。デモ終了の予定時間になると主催者は「速やかに撤収してください」と呼びかけ,整然とデモが行われている。こうした,個人が行動を起こさないわけに行かない状況の中で自然発生的に起こったデモ行動は今後も国民の支持を受けるに違いない。 外務省の「海外主要メディアの日本関連報道」年7月19日付けによると,『14〜15日付ル・モンド紙(仏)(「原発とアジサイ」フィリップ・ポンス記者): 日本ではデモの習慣は失われていたが,1ヶ月前から毎週金曜日の夕方,総理官邸の前で原発反対の抗議デモが行われている。デモの参加者は回を重ねる毎に増えている。しかし,国内の主要新聞の扱いは非常に小さく,NHKはこれを完全に無視している。参加者数は,主催者側の発表では10万人から15万人だが,警視庁はこの十分の一の数としている』と伝えている。 確かにマスコミは官邸前のデモ行動をほとんど報じてこなかった。NHKは海外での批判に呼応してのことか,最近は報じるようになっている。10万人を超える国民の行動を「反原発」だからといって報じないことは公正な報道機関といえまい。タレントの誰それが結婚したの離婚したのなどという次元の報道に熱心なマスコミは,いま国民が何を報じて欲しいかを考えるといい。 国民は命の安全が保障され,生活の不安を感じず老後の心配をせずに暮らしていきたいと願っているだけである。そんな簡単なことすらできない政治を行うために一人年間一億円もの歳費が必要な議員制はやめて,直接民主主義を開始することが望まれてならない。 |
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