日々の抄

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 無責任な途中放棄である

2012年10月28日(日)

 石原慎太郎氏が東京都知事を辞職した。新党を興すためという。任期途中での職場放棄である。同様に地方自治体の長が任期途中で辞めた例は中田宏前横浜市長,東国原英夫前宮崎県知事が記憶に新しい。いずれも前職を自らの次のステップへの止まり木として利用したに過ぎない無責任の極みである。

   石原氏は民主,自民の二大政党に政治を任せておけないため,第三局を目指すためという。石原氏は、「維新」や「みんなの党」との「大連合」を提案しているが,「たちあげれ日本」所属議員から「維新代表の橋下大阪市長と政策が違う」「みんなの党」と行動をともにしたくない,といった異論が出ていることは当然のことである。

   連合するための争点になるであろう,TPP,原発問題,憲法問題,消費税,歴史観などで,それぞれに食い違いがある。これに対し石原氏は「大眼目は官僚の硬直した日本支配を壊していくこと。原発とか消費税とかは大事な問題かもしれないが、ある意味ではささいな問題。大きな視野で考えなさいと言った」としているが,なんとも横柄な態度である。未だ福島原発事故で自宅に帰れず困難の生活を余儀なくされている人が少なからずいる原因を作った「原発問題」を「ささいな問題」としていることは信じがたい。

   大阪維新の会との連合もTPP,消費税問題で基本的な考え方に大きな隔たりがある。そうした基本問題で大きな隔たりのある政党が十把一絡げで選挙に臨もうとするなら「野合」以外の何物でもない。旧社会党所属だった議員,自民党,自由党などが野合してできた民主党が国民から大きな期待を受けながら,大ブーイングを浴び,マニフェストの多くを実行できず自己分裂,瓦解しているのは,基本理念が違う政党の「野合」の結果だったのではないか。

   「大眼目は官僚の硬直した日本支配云々」が新党設立の動機というなら,なぜ任期途中でありながら都知事を投げ出したのか。東京オリンピック招致を声高に語りながら任期を2年残して辞任することは無責任の極みである。「都民のためにもっと役に立つ仕事をしようとしている」などと語っているが,その気があれば都知事選に出馬すべきではなかったのだ。かつて衆参両院議員や国務大臣を務めたときに硬直した官僚組織をなぜ自ら変えることをしなかったのか。

   ことし起こった中国内の大規模な暴動騒ぎは,中国国内の社会・政治問題が大いに関係していたことは否めないとしても,尖閣列島を東京都が購入すると石原氏が言い始めたことが日本企業への暴動の引き金になったことは記憶に新しい。
   石原氏は,公人として数々の放言を残している。最近では東京オリンピック招致に関して,都民の五輪支持が47%であったことから「やせた民族」「東京は薄っぺらで薄情な街」と語り,「招致できたとしても都民は見に来なくていい」などと子供じみたことを言って拗ねている。

   昨春の東日本大震災のときに、「日本人のアイデンティティーは我欲になった。政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う」と語って被災者を傷つけた発言をしている。被災者が天罰を受けるような罪をどこで犯したというのか。

   2001年には「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、"文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ"なんだそうだ。"女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です"って。」としていたが,当の松井氏は全面否定している。
   他にも数限りない放言妄言をしている。1977年,熊本に水俣病視察に訪れ、患者らが手渡した抗議文について「これを書いたのはIQが低い人たちでしょう」,1999年,重い障害のある人たちの治療にあたる病院を視察したあとの記者会見で「ああいう人ってのは人格あるのかね」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」,2000年4月、陸上自衛隊・練馬駐屯地の式典で,「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒擾事件すらですら想定される」
   2007年5月には「日本の有事に際し米国が日米安保条約に基づいた責任を果たさない場合,日本は自分で自分を守る努力をする。米国が懸念している核保有につながるかもしれない」と明言している。
   また,「(旧日本軍が)慰安婦を強制連行したという証拠はない」「売春は利益を生む商売だ」としたり,現行憲法に対し,「GHQが作ったもので英語を訳せば70点程度のもの」として憲法破棄を主張している。

   石原氏は芥川賞作家だそうだが,あまりにも「言葉」に重みと責任と思いやりがかけている。上から目線の物言いは品性に欠け到底文学者の発言ではない。新党設立が日本国の将来を憂慮してのことと考えているそうだが,少なくとも社会弱者への配慮に欠けたものの考え方をし,近隣諸国への挑戦的な発言は日本国を国際的に孤立させる結果に導いていくに違いない。齢80で憂国の士と考えていても,自ら撒くであろう種の生長を責任を持ってみとるつもりはあるのか。「都知事の後継は猪木副知事がいい」などと発言しているが,院政を行うつもりなのか。都政は自分のものという思い違いと奢りを感じる。いったい何様のつもりなのか。

   現状の政治は政党の論理,選挙対策だけが先走りし,国民生活が顧みられているように思えない。誠に憂慮すべき状況であることは否めない。しかし,だからといって勇ましい国粋的な発言,行動を支持すれば,いつか通ってきたこの国の悲劇的結果に道を作ることにつながるように思えてならない。「何かいいことが起こり」,「何かをやってくれそうだ」と淡い期待は持たない方が賢明である。

   平和憲法があったために戦後67年もの間他国と戦争をせずに済んだことを思い返すべき時である。侮蔑的な言葉を何度も吐き,平和憲法を平然と否定している政治家を支持するわけにはいかない。
 
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