日々の抄

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 政党に意味があるのか

2012年11月30日(金)

  「定数削減はやらなければならない。消費税を引き上げる前に、この国会で結論を出そう。どうしても定数削減で賛同してもらえない場合は、ここで国民の皆さんに約束をして欲しい。定数削減は、来年の通常国会で必ずやり遂げる、それまでの間は議員歳費を削減すると。このご決断を頂けば、私は今週末の16日に解散をしても良いと思っている」。野田首相は先の国会で自民党安倍総裁にそう迫って衆院が解散した。悲痛な叫びにも聞こえた。
  このやりとりは,あたかも次の政権が自民党になり,野田首相が政権末期の政治的遺言を自民党に託しているかのように聞こえた。自民党が政権を執ることなど決まってないのに民主党は潔いのか。

   年末選挙を控えた争点は,原発・エネルギー問題,消費税・金融政策, TPP,政治改革などだが憲法問題も日本の将来に大きな影響を与える争点のはずだが,「消費税,原発,TPP」,特に「原発問題」が主に論じられているように見える。新聞各紙は政党別に選挙民が予定している投票先を詳細に伝え,あたかも公示も行われてもないのに勝負あったかのように報じているのは問題がある。新聞社によってその数字が異なっているが,各新聞社の世論をリードしたいであろう数値が出ているのは見え透いている。統計学的には3000人のアンケートでの数値が実際とほとんど同じ結果を示すという。

  実質的に選挙戦が始まっている中で,政党の離合集散は目を覆いたくなるものばかりである。一番の問題は当選したいが為に次々に政党をかえているセンセイであり,第三党と目されている太陽の党と合体した維新の党,また民主党を飛び出した国民の生活一派が,日本未来の党へ解党集散したことだろうか。政党が勝手に合体することに問題ないが,合体するために主義主張を変えたのでは訳が分からないし,政党として信用するわけに行かない。
  原発を撤退させると強調しておきながら,太陽の党と合併するや脱原発の旗をおろし,世論が厳しくなると,「2030年代までにフェードアウトする」などと言質を瞬く間に変えている維新の会は信用ならない。上手な作文に見える。またいつ何が突然変更されるか分からないからである。TPPは本当は賛成なのか反対なのか。

  原発問題は,「即停止」,「当座は動かすが何年後かに脱原発」,「3年後以内に結論を出すなどとして先延ばしをする」の3通りに分けられるようだ。いずれにせよ脱原発の後のエネルギーを何から得ようとするかを具体的に明示しなければ信用できない。一方で脱原発は非現実的だなどと語る人は自分や家族が福島県民でも言えるのか,聞きたい。核廃棄物の最終処理を具体的に明示すべきである。自分だけ安全なところにいて便利さだけ享受している暢気な人物にしか思えない。

  TPP問題も,「はじめから拒否」「国民が不利益を被るなら反対」「不利になるかどうか検討して結論を出す」の3通りらしい。そもそもTPPが具体化した場合,農産物,医療制度などを日本だけ例外扱いするすることが可能なのかどうか。賛成派はそれが可能だといい,反対派はそれは不可能というから訳が分からない。選挙目当てに耳障りのいいことだけ声を大きくして語って結論を引き延ばしている候補者の言うことは信用ならない。

  民主党にしても自民党にしても原発問題,TPP問題も党内に賛否両論あり,消費税問題で民主党が分裂していったような事態が他の政党で起こっても不思議ではない。先に挙げた,選挙の争点と思われることが政党内で統一した考えに至ってないことを考えると,選挙でどの政党に投票するかということに意味がなくなってきている。そもそも各論で考えの違う議員が同じ政党に存在することに意味はあるのか。政党に属さないと政党助成金が貰えなくなるなど不利益はあるのだろうが,選挙民は,自分が最も必要とすること,たとえばTPPについて重きを置けば誰それに投票するという方法が妥当に思える。

  政党がこれだけ見え透いた離合集散をしている姿を見れば,政党とは何なのか疑問である。むしろ政党など不要で,「各論ごとに個人の意思で議決の賛否を意思表示する」ことのほうがより現実的ではないか。いずれにせよ,第三局が分散したのどうのと連日のようにマスコミ報道されているが,所詮第三局のほとんどは旧自民党出身なのだから,本当の第三局とは言えまい。
  本来の第三局は消費税反対,反原発,半TPPをぶれることなく主張してきた社民,共産の両党と言わなければならない。第三局と称されている集団は一,二局亜流にしか過ぎない。今回の選挙だけ日本未来の党で出馬し,当選したら元の鞘に収まる予定の立候補者がいるそうだが,選挙民はそれほど愚かでないことを知るといい。また以前属していた政党から資金を貰っておきながら政党を乗り換え,次の政党でその軍資金を使って選挙運動しているセンセイがいるそうだが,語るに落ちた所業である。

  選挙になると,勇ましく語る人物が頼もしく見え投票したくなるそうだが,押しつけられた憲法なのだから新憲法に作り替えるなどとんでもない事である。また憲法を改定して集団的自衛権を行使できるようにするなどとの主張があるが,防衛の名を借りて米軍の戦闘に日本が参加せざるを得なくなることは他国から同等の攻撃を受けることになることを考えるべきである。「国防軍」などは戦前を思い出させる限りなく危険にして勇まく聞こえてくる物言いである。

  いずれにせよ,これだけ選択肢の多い衆院選挙は多くあるまい。今回ほど,選挙民の政治と人物を見る目が試されている選挙はあるまい。政治は,候補者の知名度でも,見栄えでも,声の大きさ・話術でも,なにかやってくれそうななどという幻想でなく,どれほど国民生活を自分の問題として考え日本の将来を見据えているかが大事なのではないか。
 
  太宰治は身のまわりで起こることを,喜劇(comedy)と悲劇(tragedy)に分けるという一文を残しているが,最近起こっている政治劇はコメでありトラである。壮大な国家的浪費にも見えて仕方ない。

 
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