日々の抄

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  高値は今年限りに

2013年1月8日(火)

 東京都築地市場で5日行われた初競りで、222キロの生鮮本マグロが史上最高値となる1億5540万円で競り落とされたという。近年、銀座の高級すし店と香港のすしチェーンが共同購入の形で競りに参加し、その年一番のマグロをめぐって「デッドヒート」を繰り返してきた結果の高騰という。こうした飛び抜けた値がつくのは1本だけで,この日に競りにかけられた生鮮マグロ654本のうち最高級の大間産は他に3本あったが、1キロ2万8千〜4万3千円だったという。

  最高値のマグロはキロ当たり70万円という高値だが,1貫あたり4万〜5万円相当になるはずが、大トロ(398円)などの通常価格で提供されたという。1貫あたり4万円を超える差額は寿司店が負担したということか。
  初競りでのマグロの競り値は,2000年に450万円,2005年は585万円,2010年には1628万円だったというから,ことしの競り値がいかに高かったか分かる。この初競りは毎年マスコミから注目されており,日本人の初物好きと,初競りで最高値をつけたという宣伝効果を考えての投資ということか。

  我が国の食品の約7割は、世界から輸入したもので,年間 5800万トンの食糧を輸入しながら、その3分の1(1940万トン)を廃棄しており,その半分以上にあたる1000万トンが家庭から捨てられているという数字がある。食糧自給率が低いことが問題にされながらTPPに参加することで更に自給率が深刻な事態になりかねない。生鮮魚類も食糧事情の大きな要素である。

  食料を自給することは国の根幹問題。たった一匹のマグロが1億円余で売買することは,それがたとえ宣伝目的でもまともな取引とは考えにくい。食費を切り詰めてきゅうきゅうとして生活を送っている国民が少なからずいる昨今のこと。1貫が4,5万円に相当するような取引はどこかおかしい気がしてならない。腹立たしささえ覚える。

  同日,東日本大震災の避難生活者はいまだ32万人余と報じられていた。大地震から2年近く経過しているにも拘わらず,自宅や仕事を失っている人に手を差し伸べ生活の不安を解消できないのはいったいどういうことなのか。このことと1億円余のマグロの値段は対照的である。

  貧しさが当たり前だったかつての日本はお互い様で,貧相な格好をしていても恥ずかしさも差別感もほとんど感じなかったが,いまの世の中は貧富の差が激しすぎるのではないか。一度正規採用から外されると,若者がとても家庭を持てるほどの所得を得ることは困難を極めるのが現実だ。その正規社員もいつ解雇されるか分からないというから,将来への漠然として不安を抱えている人が多いのは当然である。
  エコ減税で多額の利益を得た,電機,自動車産業などの膨大な利益は労働者に還元されたのか。生活を保障される正規採用者がどれほど増加したのか。聞こえてくるのは,企業が保有する「内部留保が300兆円余にまわされている」ことである。大企業や生活に余裕のある高所得者への多額の課税をすることは当然のことと思えてならない。

  政治家がいくら景気を回復させ経済を活性化させようと考えても,働く者が生活を保障される社会になるような配分を考えない限り少子化は解消することはできまい。心穏やかにして自らの将来を模索することもできまい。

  1億円を越えるマグロの話しを聞いて,ますますこの国の社会格差と怒りを感じないわけにいかなかった。この国がいま求められているのは経済政策のみならず富の偏在を正すことにある。


 
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