日々の抄

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 3月に思う

2013年3月11日(月)

  3月10日は東京大空襲の日と呼ばれている。東京は100回を越える空襲を受けているが,3月10日は米軍が無差別に30万発を超える焼夷弾を落とし,一夜にして10万人もの無抵抗の市民を虐殺した忌むべき日である。翌11日は東日本大震災の起こった日として記憶も生々しいことから,マスコミも力を入れて報道しているが,10日は月日が経過していることから忘れられかけている。語り継ぐべきひとが数少なくなっていることも無関係ではないだろう。

  小生は東京大空襲より前に東京澁谷(当時は東京市)に生まれ居住していたが,空襲が始まって家族の身の安全を考えて叔母のいた群馬県沼田市に疎開したので東京大空襲に遭遇せずに済んだ。父親の的確な判断あってのこと。もし疎開する決断がなければ生きていられた保障はないので東京大空襲は他人事ではない。一方で終戦の年の市内が火の海になった前橋大空襲の難を逃れることができた。

  戦時下とはいえ軍事基地を狙った真珠湾攻撃が,2つの原爆投下も日本全国への武器を持たぬ女,子どもへの無差別空爆を正当化されるとは思えない。非武装の一般国民への攻撃はいまでも許し難い残虐行為と思っている。
  敗戦したとはいえ,戦後60年を超えた今も米軍が日本国内の各地に基地を持ち,ベトナム戦争では沖縄から戦闘機が発進していった。後を絶たない米兵による犯罪が引き起こされ,犯罪を犯しても基地に逃げ込めば日本国の警察が逮捕することもできないという不条理は信じがたい。日米地位協定は日米が対等でないことの象徴である。

  また,日本各地の住民が居住している上空150メートルという手の届きそうな高さからいつ落下してくるか分からない軍事航空機オスプレイが夜間にも飛行しなければならないことは理解に苦しむ。訓練が必要でかつオスプレイが安全な航空機なら自国の賑わっている都市の上空を飛行すればいいだけのこと。近隣諸国との非常時に米国が出動してくれるのだから我慢しろとでもいうことなのか。沖縄の米軍は日本を防衛するために存在するのでないこと,北朝鮮との交渉を日本の頭越しに米朝で行ったことを考えれば,日本人はお人好しなのかもしれない。
  TPP問題もどうやら米国のおもうつぼにはまり,日本国内の第一次産業,医療,食の安全などで著しい不都合が生じかねない事態に至っている。なぜ米国にそれまで迎合しなければならないのか。今も日本は米国の属国なのか。独立国として国民の安全と利益を是として矜持を示すべきである。WBCで何度もサムライジャパンの言葉を聞くが,刀は持たなくとも政治的,思想的にサムライであることはできるはずである。

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  東日本大震災から2年が経過した。この2年間の死者15000人余,行方不明者2700人,震災関連死2500人余(数値は警察庁3月8日)である。また,避難者は32万人余(2月7日復興庁による)という。
  被災から2年の月日が経過しているというのに32万人余のひとびとがなぜ避難先から離れて元の生活にもどれず安全な住居を得られないのか。沢山の報道を見聞きしたが,被災地,特に福島原発事故で自宅へ帰還できず故郷を失った悲しさ,被爆による健康不安の様子はあまりにも痛ましい。家族,友人,知人を失った悲しみは消えることはないだろう。

  一日も早い被災地の復興を願わない人はいないと思うが,二十兆円を越える復興予算の使途が余りにも不正義の要素が多いのはいったどういうことなのか。国立競技場3億円,アジア大洋州北米との青少年交流72億円,国税庁施設費5.6億円,岐阜県のコンタクトレンズ工場支援2950億円,沖縄道路事業4億円,鯨類捕獲調査対策22億円,観光庁関係8億円(例:草津温泉のバス停に外国語表示化)・・・・など呆れる内容が余りに多い。省庁のシロアリによる食害と揶揄されてもおかしくないことが平然と考えられ,行われている。これらに関係している官僚の神経はまともではない。

  32万人の家を失ったひとの住居,産業復興,地域復興の整備など,特に安心して住める住居を得ることが最優先されるべきなのではないか。また,膨大な全国,海外からの義援金がどこで,どれだけ,どのように使われているのか一般に明らかにされてないのはどういうわけなのか。自分が拠出した義援金がどのように使われているかが分かれば,もっと支援したいと考えるのではないか。

   あれ程の犠牲を出しながら,政権が変わってから原発に対する方向が大きく変化する気配がある。首相は「安全と認められた場合に再稼働を進める。2030年代に原発稼働ゼロを可能とするという前政権の方針はゼロベースで見直す」と語っている。福島第一原発の事故がいったい何だったのか全く分かってない言葉である。事故後石破自民党政調会長「自民党の原子力政策のどこが誤ったのかを検証する」としていた。検証しているのか。また首相は昨年12月「新たにつくっていく原発は事故を起こした福島第一原発のものとは全然違う。国民的な理解を得ながら新規につくっていくことになるだろうと思う」とし,衆院選前には,「再稼働の可否は3年以内の結論を目指す」としてきた。だが,現政権は原発再稼働が既定路線のように思える。いったい「新たにつくっていく原発が事故を起こした福島第一原発のものとどこがどう全然違う」のか。子どもだましの甘言に騙されるほど国民は愚かではない。

  北海道の冬の節電期間が8日終わったが,原発が一基も稼働せずに記録的な寒さのこの冬を乗り越えることができた。また,昨年は原発が一基だけ稼働しただけで全国の電力供給に支障はなかった。原発の割合などの「エネルギー基本計画」をまとめる有識者会議の委員に脱原発派医院を3分の一からたった2名に減らし原発再稼働を促すことはあまりにも見え透いている。原発を動かすことによって利益を与えられる大きな力が政財界から働いていることは明白である。

  福島原発事故を経験した多くの国民は便利さ経済性より命の安全を望んでいることを政治家,特に現政権は知るべきである。命の危険の前に富,財の価値は全く存在しない。
 
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