日々の抄

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 主権は回復しているのか

2013年4月27日(土)

  政府は4月28日に「主権回復の日」の式典を開催することを決めた。その理由は,第2次世界大戦の敗戦後、サンフランシスコ講和条約の発効によって連合国の占領が終わったのが1952年4月28日であり,この日を「占領下から脱却して主権を回復した日」と位置づけ、国会近くの憲政記念館で天皇、皇后両陛下,都道府県知事らを招いて記念式典を開くことにしたという。昨年が占領が終わって60年だったが,政権に復帰した自民党が遅ればせながら本年行うことにしたという。

  だが,サンフランシスコ講和条約では、沖縄、奄美、小笠原が米国の施政下に残され,沖縄はその後20年にわたって米国に統治され続け,在日米軍施設が集中する一因にもなった。沖縄の人々は4月28日を「屈辱の日」と呼び,当日は大規模な抗議集会が予定されている。「屈辱の日」の起源は,61年4月29で,前年にできた沖縄県祖国復帰協議会が前日に開いた県民総決起大会での「県民にとって屈辱の日」の宣言という。また本土復帰した1972年5月15日も、基地の固定化が始まり新たな「屈辱の日」と呼ばれた。つまり年齢が42歳を越える人は当時沖縄が外国であり,渡航するためにビザが必要だったのだ。

  4月28日を「主権回復の日」としていることは,ひとえに沖縄、奄美、小笠原は日本国に属さないと言っていることと同じである。これらの地域が形式的にも日本国に復帰したのは1972年5月15日だから,どうしても「主権回復の日」の式典を開くなら,5月15日に行うべきではないか。沖縄は普天間問題をはじめ米軍がいまだ常駐し,いつ軍用機が落下してくるか分からない命の危険を感じながら生活を余儀なくされている。また日米地位協定がある限り,日本国が主権を回復している独立国とは言い難い。

  政府に問いたい。なぜ沖縄、奄美、小笠原が復帰していなかった4月28日が主権復帰なのか。5月15日に変更することにいかなる不都合があるのか。本土が復帰したからこそ,その後沖縄,奄美,小笠原が復帰できたのだとの強弁を聞くがこれは詭弁である。

  核不拡散条約(NPT)の再検討会議に向けたジュネーブでの第2回準備委員会での共同声明に,米国の「核の傘」に頼っていることから「唯一の戦争被爆国」として修正による賛成も検討するも署名に至らなかった日本の「主権を回復した日」は時期尚早ではないか。
 
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