日々の抄

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 ゲンが泣いている

2013年8月18日(日)

  広島での被爆体験を描いた,漫画家の故中沢啓治さんの作品「はだしのゲン」が,昨年12月から松江市内の市立小中学校の図書館で子どもたちが自由に見ることができない閉架の状態になっているという。市立小中52校のうち,約8割の図書館が「はだしのゲン」を置いているが,作品の貸し出しはしておらず,教員が校内で教材として使うことはできる状態という。

  松江市教育委員会が作品中の暴力描写が過激だとして,各校に閲覧の制限を求めたそうだ。昨年8月,「ありもしない日本軍の蛮行が描かれており,子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける」として,小中学校から同作品の撤去を求める陳情が市民から市議会にあり,12月の市議会教育民生委員会で審査した結果,「議会が判断することには疑問がある」と全会一致で不採択になった。複数の委員から「大変過激な文章や絵があり,教育委員会の判断で適切な処置をするべきだ」との意見が出たため,市教委があらためて協議し,閉架を決めたという。

   同書の単行本は650万部を超すベストセラーとなり,約20カ国語に翻訳されており,昨年度からは広島市の平和教育の教材に使われている。核軍縮・不拡散の必要性を伝えるため,日本政府が核不拡散条約(NPT)の加盟国に英語版を配布したこともある。

   今回の松江市教委の判断について次の問題点がある。
その1 市民から陳情があったことから閲覧制限に至ったということだが,すでに単行本として650万部を超す出版がなされているのに,どれだけの人数の陳情によるものなのか。児童生徒の平和学習のために閲覧を勧めることに賛成する人もいることは明らかである。なぜ一部の陳情にだけ応えたのか大いに疑問である。

その2 「ありもしない日本軍の蛮行が描かれており,子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける」ことが陳情の理由というが,「はだしのゲン」は中沢氏の自伝的作品である。その内容が「ありもしない」こととどうして断定できるのか。戦中に無慈悲な残虐行為が行われてきたことの元日本軍兵士による告白が少なからずある。「ありもしない」ということの根拠はどこにあるのか。また「間違った歴史認識」としているそうだが,こうした輩は他国への侵略はなかったと主張しているのだろうが,日本国を出て中国大陸をはじめ太平洋上の諸島,東南アジアの国に侵攻していたことは紛れもない事実ではないか。どこが「間違った歴史認識」なのか。

その3 「はだしのゲン」には確かに目を覆いたくなる悲惨な場面が描かれている。こうした悲惨な行為があったことが戦争そのものの現実である。児童生徒の多くは戦争を「ゲーム」としてしか受け止めてないのではないか。「はだしのゲン」のような生々しい漫画をみることにより,何が現実だったのか,戦争が何を引き起こすのかを考える絶好にして唯一の機会なのではないか。児童生徒に「残酷」だから見せないということはあまりにも過保護である。子ども達はそれほど弱くはない。過保護な教育がどれほど自己中心的な人間を育成してしまったか考えるべきである。「残酷」と感じて「はだしのゲン」を読まなくなるか否かは,児童生徒に任せるべきで大人が意図的に遠ざけることは思い違いに過ぎない。もっと児童生徒を信じるといい。

   米国の核の傘の庇護の下にあるからといって,核不拡散条約(NPT)の再検討会議に向けたジュネーブでの核兵器の非人道性を訴える共同声明に「唯一の戦争被爆国」としながら署名に至らなかったこと,福島原発事故が終息してないにも拘わらず,復興予算の目的外執行が当然のように行われたり,諸外国に原発を首相自らが積極的に売り込んでいることは,核被害がなかったことにしているとしか思えない。

   終戦記念日の首相の式辞で,近隣諸国への加害責任も「不戦の誓い」も語らなかったことも,いまだに加害責任を「自虐的歴史観」などと平然と語る国会議員がいることも,日本国の忌まわしい過去はなかったことに塗り替えたいのだろうか。いずれも共通している反省のないご都合主義としか思えない。戦後68年にしていまだ先の戦争の責任が国内で問われてないことが大きな問題なのではないか。300万人もの尊い命が失われているにも拘わらず誰ひとりとして自国民が責任を問われてない限り,「一億総懺悔」などのすり替えがなされ,同じ過ちを繰り返す危険性は十分あり得ることである。

   松江市教委は市民から陳情があったから図書に閲覧制限をさせるべきではない。明らかに圧力に負けている。教委は児童生徒,教育現場を守る立場にあるべきではないか。保身のための服従なら教委の存在価値は見いだしにくい。松江市教委に,水木しげるさんの戦争体験を描いた漫画も同様な陳情があったら閲覧制限するか聞きたい。

   「はだしのゲンは」,戦争の悲惨さとともに戦争にも負けずに力強く生きる生き様を伝えたかったのではないか。唯一の戦争被爆国日本の公教育の現場で閲覧制限をしていることを知ればゲンは泣いているに違いない。
 
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