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 大変な一年が終わるが 

2005年12月30日(金)

 2005年が間もなく終わる。ことしは今までにない一年だった。この一年は「不安と欺瞞、安全神話の崩壊」だったように思う。今までに考えられなかったことがあまりに多かった。

その1。政治への不安。与党が郵政解散と称する選挙で圧勝した。その結果、日本国に大統領が誕生したと思わせる動きが見られた。参院で郵政関係法案が否決されたにもかかわらず、衆院が解散され自民党は郵政法案という踏み絵によって反対派を淘汰した。いろいろな議論のある中で現実に即した結果を得てきた従来の方式と違って、意見の違う者を離党勧告、除名という形で排除した。これを避けようと、民意に従うとして転向をはかり身を安全にした議員が続出したことが、政治不信を増幅したに違いない。踏み絵を踏んだ者が、わが世の春を謳歌するようにぬけぬけと「私は小泉チルドレンです」、などと公言し、正に大政翼賛会を思わせる事態は驚くべき現状である。一つの法案に反対することで排除されることが許される事とは思えない。反対すれば淘汰されかねない状況の中で、「どんどん意見を言って下さい」などと、どういう神経でものを語っているか信じがたい。「強いものに巻かれろ」を政治家が見せていれば、自分に災難が降りかからなければ、時流に流されさえしていればいいのだ、と若者が考えかねない。これでは健全な民主主義が成長するとは到底考えられない。
 「改革」の御旗の下、世の中がいい方向に向かっているとは考えにくい。現政権になってから記録的な赤字を抱える中、政府は06年度当初予算案で、新発債の発行額を5年ぶりに30兆円未満に抑えたと成果を強調しているが、自慢できることではない。赤字国債であることには変わりない。79兆円の一般会計予算に対し、その数倍の特別会計予算があり、これが摩訶不思議なことに明らかにされてないことが多すぎる。特別会計予算の一例として、厚生保険特会や国民年金特会では、巨額の予算が不採算の保養施設「グリーンピア」の建設、特殊法人や関係団体に天下った厚生労働省OBの高額の報酬などに使われていることが判明し、「母屋(一般会計)でおかゆを食っているのに、離れ(特会)で子どもがすき焼きを食っている」という不明朗なものである。役人に甘い汁を吸わせるために、増税は時の流れだなどと公言している政治家に対して怒りを感じないわけにいかない。こんな馬鹿げたことが長い間続けられたことが驚きだが、国民はなぜ怒りを政治にぶつけないのだろうか。見せかけの「改革」という耳障りのいい言葉にのせられている一方で、本当に国民のために政治が行われているか疑問である。国民は早く政治に目覚めなければ益々自分の首を絞めることに協力していることにならないか。何百億円の損害を出した責任を誰がとるのか。責任を問われないことは欺瞞である。莫大な損害を出した役人が、多大な退職金を得て数年間天下りをした後に更に庶民に考えられない退職金を得ているなら、許せることではない。国民は働き蜂で、自分では蜜を舐めることはほとんどできない状態の中、集めた蜜を自分たちが好きなようにがっぽり持ち去る集団が見え隠れしている。そういう人を悪徳エリートと称し社会的には評価が高いらしいことが腹立たしい。
 2万5千人の公務員削減をすることが必要だというが、その結果、特殊法人の数が増え、更に国民にとって不透明なデタラメと無駄使いが出てくるなら改革などではあり得ない。一部のエリートが甘い汁を吸いやすくするための改革である。

その2。政治への不満。ブッシュ米大統領が12月14日、旧フセイン政権の大量破壊兵器(WMD)に関する機密情報が間違っていたことを認めた上で「旧フセイン政権を打倒したのは正しい決断だった」と語り、イラク戦争を改めて正当化。「機密情報の大半は結果的に間違っていた」と認めながら「イラク戦争開戦の決断は正しかった」と開き直ったことは狂気の沙汰である。開戦の根拠が失われても強弁する中、すでに3万人もの命失われていることに心の痛みは感じないのか。
 これに対して日本政府はどう受け止めているのか。官房長官は「実際にイラクが大量破壊兵器を使った事実がある中で、彼らが大量破壊兵器を持っていると(米政府が)考える合理的な理由があった。イラク攻撃への日本の支持について言えば合理的な判断だったと思う」と述べている。開戦時の事実誤認があっても「・・・大量破壊兵器があると(米国や日本政府が)想定するに足る理由があった」と強調し、米国追従に暇がない。米国に「誤った戦争だったからイラク進駐を辞めよ」と何故言えないのか。こういうことしている日本が、他国から米国のポチ、米国の兎とまで揶揄されているのは恥ずかしい。米国はイラクの国民に力を貸しているというが、ハリケーンで命の危機を感じている自国民を救うことの方が先ではないか。イラクには原油資源の利権の影がずっと見え続けている。
 これだけ米国に従順な日本が、近隣諸国と良好な関係を持てないのはどういうことか。韓国、中国との首脳会談がASEAN、APECで行われなかったことは重いことである。その理由が靖国参拝にあることは明白である。中国の温家宝首相は12月12日、「主な原因は日本の指導者が歴史に正しく対処できず、連続して5回も靖国神社に参拝し、中国人と韓国人、アジアの人々の感情を傷つけたことだ」と述べている。また韓国盧大統領は「首相の靖国参拝や最近の多数の政治家による参拝は韓国に対する挑戦でもあり、日本が過去に戻るのではないかとの懸念がある」と強い調子で批判している。
 首相は10月19日、近隣諸国との対話について「十分進められます。短期的な視点からでなく長期的に」と説明。「長期的とはどれくらいか」と聞かれ「10年、20年、30年」と答えている。また、10月25日、「反日は中国指導者にとって好都合」という趣旨の首相の発言がワシントン・ポスト紙に報じられている。12月11日「中韓両国との関係悪化でアジア地域への影響力が低下するのではないか」との問いに「そうは私は思っていない。アジア諸国からは今までの実績によって高い評価を受けているし、両国と相互依存関係も深まっている。(関係悪化は)一時的なものだ」と語り、13日「一つの問題で中国は会わないとしている。一つの問題で会わないというのは、私は理解できない。いつでも会談をする用意がある」としている。首相は事の重大さが理解できてないようである。自らの主張より国益を優先してきた先達の教えに反し、自分の首相任期中に良好な国交関係を持つつもりもなく、自分の主張を通したいようだ。首相の参拝したことを「よかった」とする人は42%、「参拝するべきではなかった」は41%で、賛否が二分されているが、参拝に対し中国、韓国は反発を強めていることによる両国との関係悪化を「大いに」「ある程度」心配している人は合わせて65%に上っていることをどう受け止めているのか。いずれにせよ、こうしたことは不幸なことである。すべての原因は諸外国を侵略した行為に対する日本国としての総括がなされてないことにある。責任の所在を明らかにしてないことにある。全国民の責任であるなどとするのは妄言である。戦争を率いた人びとが神様として祀られていれば、侵略を受けた国が不快に思うのは当然である。靖国の代替え施設建設にとうとう調査費の予算計上がさなれなかった。靖国問題を、他国に言われる事ではないとしている政治家は、何故米国のいいなりになっているのか。

その3。住むこと、食べることの不安。
 耐震偽造事件について。あまりに数が多い耐震設計偽造事件は、いまだつぎつぎに新しい偽造が報道され、いつになったら「これ以上の偽造はない」ということになるのか。住人やホテル経営者には全く責任がないのに、将来への不安を背負わされ、一企業が負えるような問題ではないとして、マンション住人には国からの援助があるが、そもそも地方自治体ですら巧みな偽造を見抜けないでいるのだから、明らかに国の責任が問われて当然である。国からの援助でなく、国からの賠償を考えなければならない事態に至っているのではないか。無論のこと偽造した者、偽造を承知で販売した企業、専門的知識がないとしていながら、鉄筋量を数量的に減らせと強要した企業の責任は問われて然るべきだし、それらの企業に賠償金を支払わせるのは当然のことである。驚いたのは、ホテルには自己責任があるので国からの援助はない、とのことであった。本当に自己責任で済ませる問題なのか。法に反する行為を受けながら、自己責任だからとするなら、国はいったい何のためにあるのか。犯罪被害にあった者が、自己責任を問われるなら、安心して生活も経済活動もできまい。ホテル経営に同情を禁じ得ない。ホテルに対する国の対応は間違っている。
米国牛肉輸入について。
 食品安全委員会の、『脳や脊髄(せきずい)などの「特定危険部位」を除去した生後20カ月以下の牛の肉について、「日本産とのリスクの差が非常に小さい」と結論づけ』により、12月12日、政府は輸入再開を正式決定。農林水産省がBSE対策本部を開くなど輸入再開に必要な手続きを厚生労働省とともに実施し、解禁を決定した。16日にカット肉4.3トンと舌や横隔膜などの内臓0.3トンが2年ぶりに輸入された。しかし、BSEの発生まで、検査対象の牛は年間に処理されるうち0.1%にも満たない2万頭だけであること、日本産とのリスクの差が非常に小さいということはBSEの可能性を否定してないこと、米国では牛を群れで管理することが多く、一頭一頭の出生日や健康状態をすべて把握することは難しく、出生証明のない牛の月齢を肉の色などで判断していること(つまり生後20カ月が怪しい場合があり得る)など不安材料が多すぎる。食品安全委員会プリオン専門調査会吉川座長は、米国産牛肉について「安全対策が守られれば、国産牛肉と比べリスクはそれほど変わらない。受け入れる人は買って食べればよいが、嫌な人は買わなければよい。選択は消費者がするべきだと思う」としている。 10月下旬の全国世論調査では、米国産牛肉の輸入再開に反対が67%、賛成が21%だが、つまりは、これも自己責任ということか。牛肉の輸入再開は米国の圧力が日本国民の食の安全より優先されたという感を強くせざるを得ない。私は輸入牛肉を食べるつもりは全くないが、加工食品として(たとえばバンバーグなど)混入しないとも限らない。以前問題になったラベルの偽造を想い出すと穏やかな気分ではない。安心して肉類を食べられないのは不幸なことだ。日本人が懸命な選択をして輸入牛に不安を感じて食べなければ輸入されなくなるだけなのだが。
 耐震偽装事件も米牛肉輸入も関係する議員が政治献金を受けていることも明らかになっている。これが贈収賄とどこが違うのか。言葉で関係ないですと言っても国民はそれほど愚かではない。これらの裏で政治家が悪巧みをしているかもしれないと思っている人は少なくないはずだ。立場が悪くなると、政治献金を返却したから関係ない、という例がよく見られるがそんなことで疑いが晴れると思ったら大間違いだ。

その4。命の不安。幼児の虐待、誘拐、殺人がつぎつぎに報道されている。数があまりに多いので、またか、と思うものの麻痺しつつあることも否めない。親子喧嘩の後に疾走した少年はその後どうしたのだろうか。ことし1年を考えても人の命の重みが分かってない日本人が増加していることは確かだ。生きることがどういうことなのかの実感がないのか。かつてシュバーツアー氏は「生の畏敬」と言った。自分も隣の人間も、生きていることがそれだけで尊いことで、自分を大事にしたければそれ以上に隣人の命をを大事にしなければならないはずだ。自分が生まれてきたことの意味を考える機会が少しでもあれば、自分の存在が単なる偶然でないと思えるはずなのだが。
 列車、飛行機などの交通機関で命を奪われた人も今年は多かった。効率主義に走って、1分を急いで一生を奪われている場合があった。多数の死者を出しながらATSが正常に動作しているか確認してないJR西日本には怒りを覚える前に、全てが他人事で動き、命を預かっていることの自覚に欠けるいるとしか考えられない企業があることに情けなさと恥ずかしさを覚える。左右のエンジンを入れ違ったり、脱出装置が作動しないで引き返した飛行機もあった。
 日本人はあまりに生き急ぎすぎているのかもしれない。山道にガードレールのある所とない所がある。ある所はかつて事故があった場所だと聞いたことがある。事故の後に通過する人はいいだろうが、事故で失われた命は戻らない。「命を愛おしむ」ことができさえすれば悲劇の多くは避けることができるはずだ。命を軽んじる人間が出る原因は、教育だけでも家庭だけの問題ではない。社会全体の問題である。人間は一人では生きていけないのだから。サマータイムを導入している国がある(日本でもやったことがあった)が、急ぎすぎず逆にウインタータイムを設け、ファストフードを食べ急ぐのでなく、ゆっくりとスローフードを国民が好んで食べるようにすれば何かが変わっていくと思うのだが・・・・・・・。
 日本は住みにくい、おかしな国になってきたものだ。でも日本は自分の国。嫌いにはなりたくない。

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