日々の抄

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  新しい年が始まった

2006年01月01日(日)

  大晦日の晩、TVでは格闘技だの歌合戦だの相変わらずの騒ぎだった。例年はいつも通りに早めに床について除夜の鐘を聞くことはなかったが、今回の年末年始は今までにない経験をしてみた。
 ひとつは、暗闇の中の初詣の姿を撮ることであった。23時半過ぎにはすでに人びとが集まっているだろうと思って家に近い神社に出向いた。電灯が消された暗闇の中で、大きな焚き火が作られ赤々と燃え上がっていたが、ほとんど人影はなかった。どうやら日付が変わる時間を正確に待たなければならなかったようだ。
 なにせ初詣は子どもの頃に一度だけ行ったことがあるだけの不信心だから仕方ない。定刻5分前頃になると、どこから湧いてきたのかと思うほど沢山の人が集まってきて長い行列ができた。家族連れあり、恋人らしきカップルあり、そそくさと立ち去る独り者、受験生らしき学生・・・・いろいろである。日付が変わると続々と初詣の参拝が開始され、神社の名が書かれた長い篠竹を受け取った後に、焚き火を囲みながら配られた甘酒をすすっても寒さは変わらない。暗闇の中の火に照らし出された人びとの姿と影を画像にするのはなかなか難しい。ストロボをこういう場で使うのは反則だろうと思って、感度を最大にして撮影したが1,2秒のシャッター速度を手持ちにすることが間違っていた。しかし画像は予想に反して幻想的なものもあった。
 賑やかでもなく静かでもなく、人びとは淡々と参拝し年の初めの特別な時間を味わっているように感じた。静かなざわめきが新しい年を感じさせ、何年も味わったことのない感触に接することができた。

 初詣で知られる成田山は不動尊、川崎大師は弘法大師、明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后、善光寺は一光三尊阿弥陀如来、湯島天神は天之手力雄命と菅原道真、富岡の貫前神社は経津主神と姫大神、八幡宮は応神天皇、神宮皇后、仲哀天皇が祀られているという。
 全国的に点在する八幡宮は八幡がヤハタの読みもあり秦(はた)氏なる氏族に祭られていてユダヤ教の神ヤハウェの転訛の説もあるという。泰氏の名は国宝第1号に指定された弥勒菩薩を擁する京都の広隆寺で聞いたことがあった。
  また菅原神社は学問の神様として菅原道真を祀っている。お稲荷さんは狐を祀っているのではなくて、祀られている宇迦之御魂大神をはじめとする多くの神様の神使が狐であるという。日光二荒山神社は、二荒山=ふたらさん・男体山がご神体という。日光東照宮は言わずと知れた徳川家康を祀っている。
 神社は血縁による氏神様と特別に信ずることのある崇敬神社に分けれられるようだが、元は日本神話に登場する神である天照大神を祀るお伊勢さんである。こう見てくると、初詣は神仏混淆であったり、実在した人間であるから、キリスト教、イスラム教などとは遠いようだ。
 年の初めに、何かに縋りたくて手を合わせることにより気持ちが穏やかな気持ちになれればそれでいいのだろう。しかし交通安全の祈願札を貰いに行った帰りに交通事故に遭遇する事件は少なからずあるのはどういうことか。
 神前の二拝二拍一拝も昔からの言い伝えと思っていたが、明治の始めに決められたことだという。
 信仰は自分の生き方に結びつくいわば、自分の心の支柱に24時間影響を与えるものと思うが、クリスマスを祝って、お寺に墓参りして、正月に神社に初詣するということを外国から見れば奇異に映るのは当然だろう。しかし、日本人が初詣を1年の区切りの支えにしていることは間違いない。

 新しいことのもうひとつは、県庁の窓の明かりで作る光文字を一番早く見ようというもの。昨年の光文字は、NHKの朝の連続ドラマのタイトルだった「ファイト」だった。新年のカウントダウンとともに年が改まると「夢」の大文字が暗闇に映えて見えた。私がそれを見たのは橋の上であったから寒さは格別で、寒さで手の感覚がなくなるほどだった。カメラを三脚に取り付け露出時間が3秒ほどだった。利根川に映し出された明かり、ひとつ北の橋を通過する自動車の明かり、JR両毛線の動く明かりが静けさの中で幻想的でなかなかいい景色だった。こんな寒さの中で酔狂なことをする人物は他になく、誰もすれ違う姿はなかった。撮影が終わったときに、除夜の鐘があちこちの方角から聞こえてきた。「ああ、これが大晦日というものなんだ」を実感した。もう2006年が明けていた。

 もうひとつ。群馬県で開催されるようになってから19回目になるという、第50回実業団駅伝大会の応援にでかけた。それも2カ所で。はじめはスタートからいくらもしない地点。利根川を渡ってすぐの所であったが、はじめに目に入ったのは8人もの外国人選手の集団とそれに続く多数の第2集団だった。
 最後にたくさんの白バイ隊が続いた。後になってわかったのは、白バイは選手が後半になってバラけて走ったときに選手一人に一台の白バイが伴走するためだった。その第1集団の中にゼッケン40の本年初めて参加した大工集団重川材木店がいた。彼らは初参加で31位と健闘した。はじめの地点はあっという間に全員が通過していった。
 次のポイントは高崎市の第2区の橋の袂。さすがにバラけて走ってきた。新聞販売店の集団がバイクで事前に走り回り新聞社の小旗と新聞を配りまわっていた。先頭コニカはスターを擁していない駅伝に徹した集団だそうで、最後まで変わらず強さを見せてゴールした。腰の位置を低くして迫り来る選手を連写に次ぐ連写を試みた。あちこちで参加企業の集団にであった。彼らは自分の応援する選手を大声で応援し、応援団の中でも上下関係が見え隠れしていた。選手が通過するとさっさと次のポイントへバスを駆り立てて立ち去った。
 そこへいくと地元の人びとは最後の喘ぎながら走り去る選手の姿が見えなくなるまで暖かい応援をしていて気持ちのいいものだった。

  今までにしたことのなかった、何ということもない経験をして、ことしはいろいろ挑戦してみるのも悪くないな、と思って一年が始まった。
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