日々の抄

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  元日の社説を読んで

2006年01月03日(火)

  元日の社説を読んでの感想を書いてみた。1年のはじめの新聞の社説は、それぞれの新聞が社会現象をどのような姿勢で捉えているかを見るために参考になるものだ。(『 』内が引用である)

朝日 「武士道をどう生かす」
  最近の現状分析。『「勝ち組」と「負け組」という嫌な言葉を生んでいる。リッチな人々もいれば倒産、失業、リストラもあり。正社員減少、フリーターやニート増える。所得格差拡大、自殺者は増加。競争と二分化によって生まれる社会の苛立ち。首相の靖国神社への参拝と中国、韓国の荒々しいナショナリズム。「反日国際ネットワークを粉砕せよ」など、まるで戦争前夜のような見出しが一部の大手雑誌に毎号のように躍り、呼応するかのように有力政治家の寄稿あり。韓流ブームに対して「嫌韓」の言葉を冠した漫画が何十万部も売れ、冷静さを欠いた言論は、まるで国内のいらだちを外に吐き出しているかのようだ』の書き出しから始まる。
  『「武士道」(新渡戸稲造著)の「いつでも失わぬ他者への哀れみの心」こそサムライに似つかわしいと書いた。弱者や敗者への「仁」であり、「武士の情け」「惻隠の情」のことである』、を引用し、『靖国神社が嘗ての軍部指導者までたたえて祀っていることが中国などの神経を逆なでして首相が参拝し続けるのは、武士道の振る舞いではあるまい、参拝をはやしたてる人々もまたしかりだ』、としている。『大国らしい仁や品格を競い合うぐらいの関係に持ち込むことは、アジア戦略を描くときに欠かせない視点であり、秋に新たな首相が選ばれる今年こそ、大きな転換の年としたい』としている。
 結びの、『国内でも二極分化が進む中、必要なのは弱者や敗者、立場の違う相手を思いやる精神ではないか。隣国との付き合い方は、日本社会の将来を考えることとも重なり合う。自分の幸せを、少しでも他者の幸せに重ねたい』は共感できる。
 内外とも、自己主張を強くしてまわりを思いやれないギスギスした関係が少しでも解消できることを望みたい。互いに一歩引いてみる、それに尽きるのだが。現状では日本は確実に負け組への道を歩み始めている。

毎日 「ポストXの06年 壮大な破壊後の展望が大事 結果責任負ってこそ名首相」
  現状分析。『劇場型と評され、深みよりわかりやすく、大ざっぱで大向こうをうならせることに主眼がおかれた。・・・20世紀型の悪癖や旧癖を支えてきた既成秩序が次々と改革の俎上にあげられ、あたかも変えないことは悪いことという旋風が吹き荒れた。その民意を捕らえる派手さと部分的無謀さから、これほどの激変を成し遂げえた人はいないと見えても不思議はない。』
 これからの課題、として『次期政権にも小泉改革路線を引き継がせるべく「行政改革推進法」を成立させることを狙っているが、いまだ道半ばでしかない小泉改革を他人の手に任せず、自分自身で成し遂げるのが政治家として首相として筋というものだ。この多種多様な日本をモノカラーに染めようと途中までやって、後はよしなにでは虫が良すぎないか。無責任。道路、郵政、政府系金融機関、財政再建、医療年金、三位一体、公務員削減もなにもかも、改革を始めたばかりで、どれひとつ確実な結果がでたものはない。・・・結果責任を負わないトップ交代は基本的な政治の世界のルール違反ではないか。』としている。手厳しいが同感。まったくその通りだ。はやりの自己責任の明示を望む。
 『将来の日本の姿を示すことなく、このまま目の前に山積した矛盾をできそうなところから壊してきただけで、壮大な秩序大破壊のあとをどうするかの責任を示すべし』ということか。また、あたかもポスト小泉を競わせるなどと言って、現首相が後継者に条件をつけていいか。首相はそこは間違ってもらっては困るのである。『そしてがんばった人たちが本当に報いられる社会に少しでもなったのだろうか。』のくだりは同感。弱肉強食が顕著になった世の中になってきた感を強くしているのは私だけではあるまい。
 最後に問題提起として、『改革と称するあらゆる既成秩序の破壊の目的が何なのか、手段が目的になっていないか、ちょっと前、豊かになるために豊かになった時と同じ過ちを犯そうとしていないか。トラの威を借るキツネたちが首相の周りで価値観もなく威張り散らしていないか、よくよく見極めなければいけない。』としたまとめは痛快である。同感!キツネたちが得意顔でTVに頻繁に出演している姿は不愉快そのものだ。マスコミはキツネ達に迎合してないのか。

読売 「人口減少時代へ国家的対応を 市場原理主義への歯止めも必要だ」(他紙に比べ文章が長すぎた。原稿用紙10枚近くあった)
 「民族の歴史的節目」として、『民族としての歴史的節目を迎えている明治以降経験したことのない人口減少時代を迎えた。向こう10年間で推計すれば年平均74万人減となり、急速な人口減少・高齢化は、経済・社会にさまざまな構造的変化をもたらす。懸念要素の第一は、経済活動の根幹である労働力人口の減少。女性が就業しやすい社会的環境を整えていけば、労働力人口の減少を、より緩やかなものにすることができるだろう。』
 危機直面の財政、福祉について、『すでに、91年に15%前後だった家計貯蓄率は、03年には8%前後まで下がっている。・・・政府が財政資金調達のため発行する国債の消化も、国内資金だけでは難しくなることもあり得る。財政は危機的状況にある。06年3月末の国・地方合わせた債務残高は775兆円に上る。06年度政府予算案では新規国債発行を30兆円以内に抑え込んだとはいっても、借金がさらに増えることには変わりはない。現行の社会保障制度は、「ピラミッド型」の人口構成を前提として設計されたが、すでに「提灯型」へと変化し、今後、「すり鉢型」へと変わっていく。いずれ制度そのものが破綻する。にもかかわらず、これまでの社会保障改革は、年金、医療、介護、生活保護などを、個別に小手先の数字いじりをするだけで、一体改革を先送りしてきた。公務員人件費の削減など行政改革・小さな政府の推進による歳出削減が先だとしているが、その金額は、財政全体、膨大な国債残高全体に比べれば、たかが知れている。歳入構造の基本的改革に関する議論を先送りする大義にはならない。』
  EU的共同体は幻想だ、として『東アジアでは、東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心に、「共同体」への動きが活発化しているが、「共同体」という言葉で欧州連合(EU)のような統合をイメージするのは、幻想である。EUは、自由、民主主義、人権の尊重という共通の価値観によって結ばれているが、東アジアで最も目ざましい経済発展を遂げつつある中国は、言論、思想・信条の自由を許さない政治体制の国家で、自由と民主主義を国家原理とする日本と、EU的な「共同体」を組むことは無理』としている。
 これからどうすればいいか、の提言として『人口減少・高齢化時代の国家の将来像を確立するための議論を早急に始めるべし。世界の中の日本としての国家像も確立しなくてはならない。・・・日米関係を良好に保ったことは功績とみてよいが、靖国参拝により、結果として、対中、対韓関係は冷え込んだ。中・韓にはそれなりの外交的思惑があるにしても、放置しておくわけにはいくまい。国際協力活動のあり方についての戦略的態勢も整える必要がある。日本が国際協力をするに際して、足かせになっている集団的自衛権の「行使」問題をいつまでも国際的責任から逃げていてはならない。憲法改正を待たず、政府解釈の変更によって対応すべき』。
 最後に、『これらは、与野党を超えた国家的課題だ。最大野党の民主党も、内外にわたる国家戦略確立に向けて、大連立も辞さないくらいの責任感をもって取り組んでもらいたい。』という。これが現実的なものになるかわからない。たぶん現状の枠組みでは無理であろう。


 2大政党化が語られる中、「そもそも、民主党内に改憲派、護憲派が混在していて政権と対峙すること、首相より強硬な対中国論を持っている党首を擁しているようでは困難である。対アジア外交、改憲問題などで政界再編が何度か行われ、国民にとって見せかけでない、何が一番大事なのかが論じられない限り、日本の未来は開けまい」。これが元日の社説を読んでの感想である。

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