日々の抄

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  親切すぎるのは考えもの

2006年01月05日(木)

 最近は、○○指数と称するいろいろな指数を目にすることがある。これを少し調べてみた。学術的に意味のあるものがあると思うと、そうでなく感覚的なものもある。

経済に関係するものに、
○消費者物価指数(家計の消費構造を一定のものに固定し,これに要する費用が物価の変動で、どう変化するかを指数値で示したもの)、
○株価指数(基準時点の株価をもとに指数化したもので、ある時点の株価水準を基準とし、それとの騰落率を簡単に比較することができる。TOPIXがその例)、
○景気動向指数(景気動向の転換点をとらえるための指数で、景気に敏感な30の指標について、それぞれ3カ月前の値と比較し、全体でプラス指標の%値)、
○在庫指数(景況感をあらわす指標。鉱工業生産指数の在庫残高を指数化したもの)、
○天然ゴム指数・○コーヒー指数・○コーン75指数(いずれも国内商品指数で商品売買の指標という)、
○作況指数(作柄の良否を示す指標で、10a当たり平年収量に対する収量の比率)、
○相対力指数(相場の過熱感を示す指数)、
○ラスパイレス指数(地方、国家公務員の給与水準を、国家公務員の職員構成を基準として、一般行政職における学歴別、経験年数別に平均給与額を比較し、国家公務員の給与を100とした場合の地方公務員の給与水準を示したもの)がある。個人に関するものには、○知能指数、○人間開発指数
などがある。

健康に関するものには、
○ローレル指数(体重(kg)×10÷身長(m)3)、
○BMI指数(体重(kg)÷身長(m)÷身長(m) この指数が22のときが最も病気になりにくいことがわかっているそうだ)、
○ブリンクマン指数( 1日当たりの平均喫煙量(本数)と喫煙年数を掛け合わせた値で、400以上で肺がんが発生しやすい状況になるという)』がある。
意外なものに、○スピード指数(競馬)などというものもある。これにはいろいろな算出方法があるようだが、勝ち馬になる割合を示すものだそうだ。

学術的な例として、結晶構造の繰り返しの壁にあたるところを格子面の組を示す○ミラー指数があり、鉱物の分類に使われている。

気象、天気予報に関するものには、
○不快指数(= 0.81T + 0.01U(0.99T - 14.3) + 46.3 T:気温(℃)、U:相対湿度(%))、
他には○星空指数、○洗濯指数、○雪かき指数、○発雷指数、○紫外線指数、○傘指数、○風邪ひき指数(コンコン指数)、○鍋物指数、○肌荒れ指数(ぱさつき指数)、○洗車指数、○布団干し指数、○お出かけ指数
などがある。

 これらは生活に関する定量化されてない指標のようだが、鍋物指数やお出かけ指数などは大きなお世話である。寒いから鍋を食べようが食べまいが自分の勝手。雨が降らないから外出しようと、すまいとこちらの自由だ。洗車しようが、布団を干そうが干すまいがそれぞれの家庭の都合で決めればいいことだ。紫外線が強い季節になれば日焼け止めクリームを用意したり、サングラスをかけようと心がける。帰宅時間に雨が降りそうなら、傘をもっていくかどうか判断する。そうしたことをいちいち何とか指数で表わして教えて貰わないといけないのは情けない。いや、面倒見がよさ過ぎるといった方がいいかも知れない。これらは民間の気象関係の会社が出しているようだが、何事も誰かが教えてくれるかも知れないと思わされてくる。ま、遊び心で見ればそれで終わりの話しだが。

 親切すぎる生活に慣れすぎると、人間の感覚は鈍くなってくるものだ。風の動きを見て、雨の匂いを嗅ぎ、寒さ暑さを皮膚で感じる、空の色の違いで季節の動きを感じる。現代人のそうした本能に関わる能力が低下していることは間違いないし、ますます鈍らされる環境に置かれている。辛い思いをしてまで無性に山に出掛けて自然に触れたいと思う気持ちは、こうした能力を復活させるために、非日常的経験を本能的に求めている結果なのかも知れない。

 同じようなことは駅構内のアナウンスにも通じるものがある。電車が近づくから白線から外に出るな、走って電車に飛び乗るな、電車に乗ったら中程に詰めろ、次は○○駅だ、忘れ物をしないようにしろなど、黙って聞いていれば、安全と親切で話しているのだろうが、分かっていることばかりを何故何度も繰り返すのか、気が知れない。次の駅をアナウンスしない国が多いと聞くが、終点まで乗り越す人が多いとは聞かない。学校でもチャイムで始業終業を知らせる。
 いずれも自分で判断しなくても、誰かが必要なことを知らせてくれる社会になっているようだが、これでは自発性のある子どもを育てることにならないし、自立した大人になりにくい。自分が判断しなければならないことを、誰かが知らせてくれなかったからだと他人の所為にしかねないのは当然かも知れない。自分の不都合を他人の所為にしたがる風潮は不愉快そのものだ。電車の中のアナウンスはやめたらどうだろう。学校のチャイムはやめたらどうだろう。はじめは戸惑いがあっても慣れれば自分で時計を見て自分で判断することができるようになるだろう。

 何事も、事前に自分で必要な情報を得て自分で考え、行動することができるようになれば、自立した社会に通じるものがあるはずだ。そう考えると、生活に関係する、なんとか指数などという、親切そうなものはやめにしたらどうか。今の日本人は受動的な生活に慣れすぎていないだろうか。

 自分のことは自分で判断し、自分の行動は自分で責任をとる。そうしたことを多くの人が実行できれば気持ちのいい、住みやすい世の中になるはずだ。

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