日々の抄

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 仲よしだけでは危ない

2014年2月28日(金)

 如月二月もあっという間に終わる。記録的な大雪で大きな被害が出ている。こうした大雪が今後も起こる可能性が高くなっていると予報が出されている。一方で、このひと月間に政権内の、とんでもない発言がつぎつぎに露呈し驚くばかりである。いずれも安倍仲よし組の政権に寄り掛かった思い上がり、戦後の国際社会に日本が存在価値を示していられた根底を危うくする、独善的歴史観の本音を語ったようにも思える。

 首相の集団的自衛権行使を認める憲法解釈の変更についての「私が責任を持っている」発言に対して、与野党から「立憲主義」の理念や、内閣法制局が担ってきた憲法解釈を否定するとして批判が相次いだ。 立憲主義とは「憲法により統治する政治の在り方。人権を保障し、権力分立(立法、行政、司法)を原理として定められた憲法による」というもので、行政の長である首相は憲法に縛られることがあっても、自ら憲法を変えることはできない。変えることができるのは立法府である国会である。集団的自衛権は憲法九条によって縛られるから、憲法解釈によって、行使できるようにしたいということを首相は考えている。首相の考えによれば立法府は不要である。

 その発言は変遷している。12日に「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任をもって、そのうえで私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは、内閣法制局長官ではない。私だ」としていたが、これが「『たった1人で決めて良い』とは、言ったことはない。今までの積み上げもあって、国民の理解も大切だ」となり、28日には「閣議決定の前に国会で議論する」としている。
 内外からの首相のこの発言に対する発言に対し、自民党内からも「選挙に勝てば憲法解釈を自由に変えられるのか。危うい発言だ」との批判が出ているのは当然である。
 解釈変更で集団的自衛権を認めれば、自衛隊が海外で武力を行使できるようになり、武力行使の歯止めとなってきた憲法九条は骨抜きになる。時の政府の解釈で憲法が変わることはありえないことだ。

 国会で多数を得たことにより、勢いづいたためか、首相のお友達たちは首相を援護するようにつぎつぎに、とんでも発言を続けている。
 NHK籾井会長の「特定秘密保護法が「通っちゃったんで、言ってもしょうがない」、首相の靖国参拝が「淡々と総理は靖国に参拝された、でピリオド(終わり)だ」、従軍慰安婦は「戦争をしているどこの国にもあった」発言があり、これを個人的発言として国会で陳謝したと思いきや、後に開かれたNHK経営委員会で、「私は大変な失言をしたのでしょうか」と開き直っている。

 百田尚樹NHK経営委員の都知事選候補の応援演説で、他候補を「人間のくずみたいなもの」と発言。
 長谷川三千子NHK経営委員が、朝日新聞本社で拳銃自殺した人物の追悼文で、「神にその死をささげたのである」「彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた」。自殺死によって、天皇が「(日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられた」などと書かれていたというが、なんとも浮世離れした、戦前の文章に思われてならない。長谷川氏は、女性の社会進出が出生率を低下させたとして、時代に逆行するように男女共同参画社会基本法などを批判。「女性が家で子を産み育て男性が妻と子を養うのが合理的」と主張しているが、それでは生活が成り立たないので庶民は子どもをもうけることができないことが分かっているのか。また、NHKの番組内容が気に染まぬとして受信料支払いを拒否していたという。

 NHKは公共放送なのか。国営放送なのか。首相が経営委員を選定できるというシステムがある限り、安倍氏のように、自らの意に染まないからと言ってNHKに直接クレームをつけるという愚行を行う権力者が現れることは否定できない。NHK経営委員を首相が選定できないシステムがいま求められているのではないか。
 
 首相周辺の人物の発言。
 衛藤晟一首相補佐官の「(首相の靖国神社参拝に)米国が『失望』と言ったのは、我々のほうが失望」「同盟関係の日本をなぜこんなに大事にしないのか」と発言。
 本田悦朗内閣官房参与は、米紙のインタビューで「(本田氏が)日本が力強い経済を必要としているのは、賃金上昇と生活向上のほかに、より強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだ」「日本の平和と繁栄は彼ら(神風特攻隊)の犠牲の上にある。だから安倍首相は靖国へ行かなければならなかったのだ」「日本の首相が靖国参拝を避けている限り、国際社会での日本の立場は非常に弱い。われわれは重荷を背負った日本を見たくはない。自立した国としての日本を見たい」と発言したと伝えられている。
 萩生田光一・自民党総裁特別補佐は1月、米政府の「失望」表明について、「共和党政権の時代にこんな揚げ足をとったことはない。民主党政権だから、オバマ大統領だから言っている」と名指しで批判している。
 自分たちは国民から支持されているのだから、他国がとやかく言うなと言わんばかり。

 いずれも、不都合な発言は「個人的なもの」「発言を撤回している」としてことが済むと思っているらしいが、一度発した言葉は消えない。失った信頼は容易に取り戻せるものではない。

 政権は憲法改正をし、集団的自衛権行使容認に向けた憲法解釈の変更、武器輸出三原則緩和と、一気に戦争のできる国へ邁進したいらしい。NHK経営委員や首相周辺の発言が、首相の代弁なら、国防予算を増やし周辺諸国と戦える戦力を装備し、集団的自衛権を行使して世界中で戦禍をまみえている米国に協力するために地球の裏側まで自衛隊を派遣することにしたいのか。連合国に押し付けられた憲法を蹴散らし、ポツダム宣言を否定し、日本には戦犯などいないのだ、ということにしたいのか。靖国参拝問題がいつまで問題を残しているのかについて、自民党の古老は「戦犯とされる人を日本国内で裁かない限りいつまでも解決しない」と語っているが、然りである。
 今の流れが続くなら、近隣諸国のみならず米国からも見放され、かつて国際連盟を脱退した時代に戻りかねない懸念多大である。
 
 恐ろし流れがはじまっているが、先の大戦で多大な犠牲を払ったことを忘れたように、勇ましい流れを肯定する若者が増えていることは末恐ろしい。戦が始まり、まず初めに前線に赴くのが自分たちだと考える想像力だけは持ちたい。集団的自衛権を行使した時に日本が攻撃対象になるであろうと思う想像力も持ちたい。

 国際社会、特に周辺諸国と良好な関係を持つためには、スポーツ、芸術、学術などの多くの人的交流を重ね、辛抱強い会話を重ねることが最良の方法と思えてならない。力に力で対抗すれば、そこに必ず悲劇的な結果しか生まれないという、貴重な経験を思い出したい。
 
 アベノミクスとやらで給料が少々上がりそうだからといって、現政権が進もうとしている危ない国に舵をとらせていいのだろうか。すべてを全権委任して投票した覚えはない。政権はまた瓦解の一歩を進めた。
 
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