日々の抄

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 なぜ今、教育勅語なのか

2014年4月21日(月)

 文科省は4月8日、明治23(1890)年発布の「教育ニ関スル勅語」いわゆる「教育勅語」の原本とみられる文書を、52年ぶりに確認したと発表した。大正12(1923)年の関東大震災で文部省(当時)の庁舎が焼けた際、強い熱を受けて変色するなど損傷が激しく、明治天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)のある後半部分が開けない状態になっているという。

 なぜ教育勅語の原本が発見されたかの経緯について下村文科相は記者会見で
 「この教育勅語の存在が平成24年秋頃に確認されたと。詳しくは、私もよく分かりませんが、当時、田中眞紀子文科大臣が、文科省の中にそのまま保管されたままあるのではないかということをどこかで聞いたということで、調べたらあったと、そういうことですよね、事実関係は。それで調べたら、文科省の金庫の中に、箱の中におさめられてあったということを、文科省として確認したと。それまでずっと、確認されたのか、されていなかったのかわかりませんが、金庫にそのまま放置といいますか、放置ということではなくて、納まっていたということなのでしょうか、そういうことで存在が24年秋に改めて確認されたということであります。」としている。
 
 「教育ニ関スル勅語」は、明治天皇が山縣有朋内閣に与えて発布され、明治24(1891)年から原本の謄本が全国の小学校に配布、掲示されたが戦後はGHQの圧力などで排除、学校から回収された。
 その内容は、
 父母ニ孝ニ(親に孝養を尽くし)
 兄弟ニ友ニ(兄弟・姉妹は仲良く)
 夫婦相和シ(夫婦は互いに仲睦まじく)
 朋友相信シ(友は互いに信じ合い)
 恭儉己レヲ持シ(自分の言動を慎み)
 博愛衆ニ及ホシ(広く全ての人に慈愛の手を差し伸べ)
 學ヲ修メ業ヲ習ヒ(勉学に励み職業を身につけ)
 以テ智能ヲ啓發シ(知識を養い才能を伸ばし)
 コ器ヲ成就シ (人格の向上に努め)
 進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ(広く世の人々や社会のためになる仕事に励み)
 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ(法律や規則を守り社会の秩序に従い)
 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(国に危機があったら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えるべし)
 
とし、父母への孝行、夫婦の調和、博愛など12の徳目が示され、修身(道徳教育)の根本規範とされた。
 「勅語」は、天皇が言葉、意思表示である。下村文科相は「教育勅語そのものの中身は、至極全うなことが書かれているというふうに思いますし、当時、それを英文、あるいは独文等にして、ほかの国でもそれを参考にしたという事例があるということも聞いておりますが、その教育勅語のその後の活用のされ方ということについて、軍国主義教育の更なる推進の象徴のように使われたということが問題ではないかというふうには思います。」と発言している。

 戦前は学校に昭和天皇の写真と教育勅語の謄本を納めた奉安殿が設置され、登校する際には必ず最敬礼するよう指導された。教育勅語にある、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」にあるように、「国に危機があったら、天皇の収める皇国のために勤勉に奉仕せよ」としている。 文科相は教育勅語のどこが「至極全うなこと」と考えるのか理解に苦しむ。教育勅語のもとに天皇と国家に尽くす皇民化教育が徹底され、戦争末期には学徒出陣、学徒動員など兵士、労働力としても駆り出された。「軍国主義教育の更なる推進の象徴」つまり、皇国体制が戦争に結びついていたと認識しているなら、更に「至極全うなこと」というべきではない。

 「親に孝行し、兄弟、友と和合し、広く全ての人に慈愛の手を差し伸べ」との教育が、他国への侵略戦争となぜ結びついたのか。そうしたことへの反省はどこにあるのか。今も「あれは侵略戦争ではなかった」と平然と語っている政治家がいるが、教育勅語がどれほどの悲劇に結びついたか日本国はもとより、近隣諸国に迷惑をかけたことへの反省が全くないことの証明である。
  
 「戦後レジームからの脱却」「日本を、取り戻す」ということは、戦前に回帰し再び皇国を復活させようということなのか。多くの若者の命を奪った戦争に駆り立てるために利用された教育勅語が「至極全うなこと」などと考えている文科相の見識を疑う。天皇を元首にしようと考えている人々にとっては教育勅語は現代にも生きているということなのか。教育勅語は「軍国主義教育の更なる推進の象徴のように使われた」から問題なのであって、いま肯定すべき内容でないことを文科相は知るべきである。
 
 現政権は「道徳」を教科化、恰も戦前の「修身」を復活させる動きを見せ、教育委員会制度を改変し、教科書検定制度を変え、国の根幹である教育制度を短時間に変えようとしている。
 教科書の基準改定で、小中高校の社会科(地理歴史科)教科書で「閣議決定その他の方法で示された政府の統一的な見解がある場合、それに基づく記述」をするよう新たに定め、「河野・村山談話」は「教科書検定基準の政府統一見解でない」、したがって教科書に掲載するの値しないとしておきながら(3月26日国会答弁)、2週間後(4月8日)には事実誤認であると記者会見で述べている。まことに不勉強不見識である。
 
 教育勅語を「至極全うなこと」が書かれていると時代錯誤なことを考え、政治が教育をいくらでも介入できる動きは極めて危険な状態である。原発も武器も輸出できるようにし、集団的自衛権で戦争のできる国になろうとしている。少々経済状態が好転するかもしれないことの代償はあまりにも大きい。こんな国に誰が望んでいたのだろうか。戦前の亡霊を追うような人物を選良とした国民の責任は大きい。
 
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