日々の抄

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 何が積極的平和主義か

2014年6月17日(火)

   最近、内容と大きな乖離がある言葉が尤もらしく聞こえてきてしかたない。
 
 そのひとつに、「新自由主義」がある。新自由主義と聞くと聞こえはよく、新しい経済が起こり、豊かな社会になるような思い込みが生じる。だが、日本を例に見れば、聖域なき経済開放によって、豊富な財力を持つ数少ない企業や個人がますます財力を増やしていき、個人商店や、中小企業は次々に店を閉めなければならない仕儀に至っている。

 現に我が家の近くにあった、八百屋、小商いのスーパー、酒屋、クリーニング屋、薬局などがつぎつぎ店じまいし、残るのは大資本によるスーパー、大型チェーン店の薬局、大型ホームセンター、外国資本の量販店などだけで、老人のみの家庭では買い物をするのに支障をきたしている。

 諸外国も同様で、いま注目されているサッカー王国ブラジルでFIFAワールドカップ大会が開催されることに反対するデモが起こっているのも、医療、教育機関などへの資金調達より、FIFA大会を開催するために1兆円越えの優先が、国民の貧富の差を広げている現れである。ブラジルのガラス窓の破れたままの学校や医療施設、医師不足の医療機関は国民の命よりサッカーを優先させている姿が見える。FIFAワールドカップ大会を開催することによって、莫大な利益を得るであろう人物がいることは見えている。大会で得た収益を、国民の福祉に使うことを約束していれば大規模なデモは起こるまい。

 聞こえのいい新自由主義は、後戻りのできようのない貧富の差を作り出しただけで、多くの国民を不幸にしているに過ぎない。就労者の4割が先の見えない将来に不安を抱えたままの非正規労働者がありながら、経済が上向いているなどと聞いても、そんなことはあるまいと思う人が少なくないだろう。正規社員とて、いつ解雇されるかわからず、歯止めを掛けているといいつつも、残業代が払われない雇用形態が多くの勤労者を苦しめかねない状況にある。
 残業代を払わぬ雇用形態がなぜ、経済発展につながるのか全くわからない。経営者が利するだけのことではないのか。


 もうひとつ。「積極的平和主義」も同様のあまりに大きな誤謬がある。
 つまり、安倍晋三氏が考えている積極的平和主義とは、「防衛装備移転」などと言葉をすり替えて兵器を外国に売り出すことを許し、集団的自衛権と称する、他国に行ってまで戦争ができることを可能にする改変を、猛烈な忙しさで進めようとしている。
 また、自国で起こった原発事故が収束できず、事故以来3年も経過しているにも関わらず自宅に帰還できない多数の国民があるというのに、何の根拠もない「世界一安全」と称する原発を、地震国であるトルコ国に輸出しようとしている。平和主義とは、戦争をせず、自国民ならず他国民の血をも流させることのない、力でなく人的交流、話し合いでの問題解決をはかることなのではないか。今伝えられている「積極的平和主義」の言葉ほど白々しいものはない。憲法に諮ることなく、海外で戦争ができるようにしてどこが平和主義なのか。
 
 「積極的平和」の名は著書『平和への新思考』などで知られるヨハン・ガルトゥング(ノルウェーの平和学者 Johan Galtung 1930- )によって提唱された。戦争という直接的な暴力がない状態を「消極的平和」、努力によって貧困や差別などを排除した状態を「積極的平和」と定義している。このことから、安倍政権が考えているのは積極的平和主義ではない。広く日本国民にとってでなく、安倍氏にとってだけの積極的平和主義にすぎない。

 いま盛んに進められている集団的自衛権の論議は、国民の命を危うくし、戦後日本が歩んできた、一度たりとて他国と戦わずに来た平和主義を覆しかねない大問題であるにもかかわらず、与党内で公明党をいかに言いくるめるかに時間が割かれ、国民に対して理解を求め努力をしようとする姿勢が全く見えてこないのはどういうことなのか。
 戦後一貫して「保有しているが行使できない」としてきたことを覆し、憲法9条に抵触する自衛隊の海外派遣を一内閣の権限の憲法解釈で変えられるとすることは、政権の奢りに過ぎず、国民を不幸にする誤りである。
 国家権力を縛るものという立憲主義を否定するものである。これでは憲法9条を形骸化し、また国会の存在意義を失わせるものである。政権は集団的自衛権を行使できる、いろいろな場面を想定しているが、何があっても他国に自衛隊が出動することは許容しがたい。
 
 アフガン戦争で後方支援として出動したドイツ軍に55人死者を出している。米軍などの後方支援のほか、治安維持と復興支援を目的とする国際治安支援部隊(ISAF)への参加に限定した派兵だった。だが、現地では戦闘の前線と後方の区別があいまいだった。独軍によると、アフガンに派遣された02年から今年6月初旬までに、帰還後の心的外傷後ストレス障害PTSDによる自殺者などを含めて兵士55人が死亡。このうち35人は自爆テロや銃撃など戦闘による犠牲者で、独国際政治安全保障研究所国際安全保障部長は「ドイツ兵の多くは後方支援部隊にいながら死亡した。戦闘現場と後方支援の現場を分けられるという考え方は、幻想だ」と指摘している。帰還した兵士たちで、PTSDを患った兵士は13年現在で1141人に上るという。

 自衛隊が派遣された地域が「非戦闘地域」だ、などと当時の小泉首相が強弁して自衛隊員がイラクに派遣されたが、今後はその「非戦闘地域」、「戦闘地域」の障壁をなくすという。直接海外で戦争ができることを想定している。そのイラク特措法に基づき派遣された自衛隊員に死者は出なかったと伝えられているが、直接現地での死者はなかったものの、その後、「在職中に死亡した隊員は、陸上自衛隊が十四人、海上自衛隊が二十人、航空自衛隊が一人であり、そのうち、死因が自殺の者は陸上自衛隊が七人、海上自衛隊が八人、航空自衛隊が一人、病死の者は陸上自衛隊が一人、海上自衛隊が六人、航空自衛隊が零人、死因が事故又は不明の者は陸上自衛隊が六人、海上自衛隊が六人、航空自衛隊が零人である。」(平成19年11月13日付け 照屋寛徳衆議院議員の質問への答弁書 答弁第182)。つまり、イラクから帰国後35名の隊員が在職中に死亡している。このことがマスコミによって大きく伝えられなかったのはどういうことなのか。戦禍をくぐったことによるPTSDが少なからずあったことは覗えるが、自衛隊員が海外に派遣されればこうした犠牲者が多数出ることは容易に想像できることである。
 
 国民から信託を受けているから、憲法解釈は自分の勝手、と首相は考えているようだが、直近の国政選挙である参院選では、投票率が約50%で自民党への投票のその半数つまり有権者の1/4しか支持してないことを忘れないでもらい。
 
 集団的自衛権の15事例の内の、「避難する日本人を乗せた米艦を自衛隊が守る」が想定のひとつだそうだが、97〜98年の「日米防衛協力のための指針」の交渉や法案づくりに関わった当時の政府関係者によると、米軍が海外の自国民らを救出・保護する作戦では、国籍による4段階の優先順位があり、「米国籍、米国の永住許可証の所有者、英国民らが優先で、日本人は最後の『その他』に位置づけられていると説明された」とあり、米国は日本が思っているほど緊急事態時に救助してくれず、日本政府が考える想定に齟齬がある。

 また「米国へ向けて撃たれたミサイルを迎撃する」などいう想定があるそうだが、かつて日本列島を超えた北朝鮮のミサイルが撃たれたとき、着弾してから米国からの情報で事態を把握した。その経緯を考えれば、次元の違う想定にしか見えない。
 また、ホルムズ海峡での機雷撤去も「機雷の除去も武力の行使とみなされる」ことから、日本領海以外での機雷撤去は憲法に反する。武力行為を行えば海外に在住する邦人の安全が侵害され、いままで全世界で地道に行われていたNPOなどの貢献努力があるにも関わらず、日本への信頼が失われることは確実である。イランでもトルコでもデンマークでもロシアでもアフリカ諸国でも、日本人が勤勉誠実で、戦争を放棄した平和な国の国民だからと信頼を寄せ、好意を示してくれていたことが、過去のことになることはあまりに寂しい。そのことを無にするほど日本を取り巻く環境が緊迫しているのだろうか。むしろ、近隣諸国が嫌っていた靖国参拝をして危機を首相自らが煽っているのではないか。
 

 集団的自衛権を国民はどう考えているのか。5月の調査によると、賛成(NHK21.1%、共同通信38%、日経38%)、全面的賛成(毎日12%、産経7.3%、読売8%)、限定的、必要最小限容認(毎日44%、産経64.1%、朝日27%)という結果が報道されている。このうちNHKは憲法解釈で21.1%、憲法改正で13%である。
 限定的、最小限なら憲法解釈で集団的自衛権を容認すべしとする意見が多いように見えるが、この限定的、最小限にまやかしがある。つまり、どうにでも解釈できるような文言を入れれば、「・・・国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される<おそれ>がある」の<おそれ>のようにどうにでも解釈できる文言の入ったものを容認できようがない。なにせ憲法を超えて、現政権は一内閣の解釈でいままでの日本の方向を変えようとしているのだから、「限定的、必要最小限容認」などという言葉は信用できない。

 自衛隊が海外に派遣されれば犠牲者が出ることに当然覚悟が必要である。もし自衛隊員が不足すれば、想像したくない「徴兵制」も現実味を帯びてくる。集団的自衛権に賛成の人は、自分の子供、夫、家族が海外派兵されることになっても、お国のためと思って送り出せるだろうか。戦争とは互いに殺しあうこと。派遣された人は相手を殺す覚悟はあるのだろうか。殺戮は怒りと怨念を生むだけで、なんら平和的結果を生むものではない。
 
 首相は「日本を取り戻す」というが、それはどのような日本なのか。どうやら首相は「戦前レジューム」の亡霊に取りつかれ大急ぎで坂を下っているようだ。いったん国が戦争に向かえば容易にとどめることができない事態に陥ることを、先の戦争で300万人もの犠牲を払ったことから学んでいないのか。戦争の経験のない者が、戦争を煽り、日本の若者の命を危うくする主張はやめるべきである。

  
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