日々の抄

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 終戦の月の終わりに

2014年8月26日(火)

   ことしも、終戦の月である8月がすぎようとしている。
  いま再確認できることは、終戦とは詭弁であって、実態は敗戦である。敗戦を認めないからこそ、東京裁判は不正義で認められないなどと、他国から非難の対象になるような妄言が聞こえてくるのではないか。

 武器を輸出できるようにしていながら、積極的平和外交といい、「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」と言い換え、福島原発「事故」を福島原発「事象」と言い換え、その福島原発の汚染水がコントロールできているなどと世界に宣言しながら、その実態は凍土壁が実用に供することの困難さが明らかになっており、事故から3年経過してから、事故後の危険な状況が報告され、放射線計測で安全に供するはずの監視システムスピーディは単に風向計に過ぎなかった、などということが明らかになっている。「世界一安全な原発」と称して地震国トルコに原発輸出をしようとしている。また、核兵器を保有しているインドにも輸出しようとしている。「世界一安全な原発」という根拠はどこにあるのか。

 そうした欺瞞による、耳触りのいい換言が、あたかも日本が諸外国に何も迷惑をかけなかったことにしたり、換言した言葉に、いつしか事の本質が誤解されかねない昨今である。国粋的為政者が、「国民の安全のため」と言いながら、集団的自衛権を行使できるようにして、海外で武力行使できるよう企て、多くの国民の、「戦争はしたくない」という願いに応えようとしていない。国民の意に沿う気持ちが極めて希薄なことは、広島、長崎の原発の日の首相メッセージが、昨年のものの限りない複製品であることから明白である。
 またその取り巻きが、「毎年同じことをしているのだから、同じ文章でどこが悪いか」、などと嘯いていることは、語るに落ちている。裸の王様ほど愚かで滑稽なものはない。 同時に危険である。

 ことしも終戦記念関係の映像をたくさん視聴した。  
『長い旅路・日本兵になったアメリカ人』、『戦後69年 いま日本の平和を考える』、『防空壕で伝える空襲の悲劇』、『目の前で魚雷直撃「守れなかった」元海軍男性』、『「やっぱり戦争はむごい・・・」従軍看護婦がみた戦争』、『シリーズ・戦争と若者 後世にどう伝えるか』、『終戦特集ドラマ「東京が戦場になった日」』、『「人間ではないことをした」94歳元日本兵の証言 ふたつの戦場の真実』、『「少女たちの戦争・197枚の学級絵日記」』、『「狂気の戦場 ペリリュー 忘れられた島の記録」』、『ヒバクシャからの手紙』、『池上彰の戦争を考えるSP「悲劇が生み出した言葉」』、『少年H』、『茜雲の彼方へ ・最後の特攻隊長の決断』、『終戦69年 遠い約束・星になったこどもたち』、などである。

  この中の『狂気の戦場 ペリリュー 忘れられた島の記録』はあまりにも、生々しく酷い肉弾戦の映像を見せられ、しばらく落ち着かない気持ちになっていた。実際に参戦した人たちが、戦後69年経過しても悪夢に苛まされるのが分かる気がする。自分のような、戦後間もなく、白衣に身を包み、片足で街角に立っていた、戦地から帰還したばかりの元兵士から直接話しを聞いたことのある人間だからこそ、そうした気持ちになるのか。もしかすると若者は現実のものとして受け取れないかもしれない。

 戦後69年のことし、太平洋戦争経験者は国民の2割になっている。2000年のNHKの調査によると、先の大戦でどの国と戦ったかを知らない若者が69%、広島原爆の日を知っているのは25%、終戦を知らない若者は16%いたというが、この調査から14年経過していることしは、更に知らない数は増えていると思える。

 戦争を知らないこと・無関心なことの顕著な例は、ことし5月、長崎を訪れた中学生が被曝の語り部に、「死に損ないのくそじじい」と大声を上げ、周りの生徒に向けて「笑え」「手をたたけ」などと言ったということである。これは、フェイスブックに、原爆記念式について、「独善的な式典にはうんざりだ。広島と長崎(の原爆)は日本の侵略行為の報いだ」と書き込んだ、愚かなイスラエル政府高官と同レベルである。ただ、中学生数十人は謝罪し、その後生徒たちの生活態度が改まったという。

 修学旅行で被爆体験を聞く場合、事前に「平和学習」を受講し、何を学ぶか、語り部に失礼がないように、と学んでいるはずだが、暴言を吐いた中学生は、体験談を聞く態度が悪いことを窘められての暴言といえど、「被爆体験」が単なる知識を与えられる場と思い違いをしているようだ。
 真珠湾奇襲作戦だけが大戦の原因と思っている若者も多数おり、日本が中国大陸で何をしてきたかを知らず、8月6日と9日、15日が何の日か知らない若者が多いことが、学校教育の手抜きという意見があるようだが、家庭で戦争を語り継ぐ努力をしていない結果でもあるのではないか。

 戦争体験をいかに語り継ぐかについて、NHKの「シリーズ・戦争と若者 後世にどう伝えるか」で語られた、中央大学での実践例と提案は首肯できるものだった。それは、被爆、戦争体験を、語り部が語るのでなく、話を聞こうとする若者に「質問をしてもらうこと」、というもの。また、被爆地に臨んで肌身で戦争を感じることという。

 いずれも、語り手が主体でなく、学び手が主体になることで、「させられている」という立場から、学ぼうとする主体的な姿勢で戦争体験を受け入れられるということにつながる。また、肌身で長崎、広島、沖縄を感じる機会があれば、単に言葉で伝えられることの何倍も吸収することができると思える。広島の浜辺で楽しくバーベキューをしていた学生が、「この海で戦禍で逃げ惑った人がいたのに…」と涙することこそ、戦争を感じることである。

 戦争の実態を知らないのは、若者のみならず、実体験のない政治家も同様である。正当な歴史教育を受けるべきは、若者のみならず、勇ましい言葉で軽挙妄動する政治家である。

 命の危険を肌身で感じ、空腹に耐えた、戦争の直接の経験者が少なくなってきている。今まで戦争経験を語ろうとしてこなかった高齢の戦争経験者が、つらい戦争経験を語り始めているのは、現在の日本が歩んではならない方向に進み始めていることを感じているからではないか。

 自分が毎年のように、八月に戦争経験の映像を観るのは、望まずして命を失った人たちへ、被害者の立場のみならず、加害者の立場でも思いをいたすためであり、やってはならない戦争の経験を語り継ぐためである。

 八月は300万人もの、戦争犠牲者への鎮魂と非戦への誓いの月である。

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