日々の抄

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 元日の社説を読んで

2015年1月3日(土)
 
 ことしも新聞各社が、一年のはじめの日に何を書いているか。その年への思いや報道への見解を、読み解いてみた。

朝日新聞
『グローバル時代の歴史「自虐」や「自尊」を超えて』とのタイトルをつけ、副見出しを3つつけている。

 『歴史のグローバル化』では、過去70年間を振り返るときに、『「自分」とは、ふつう日本人としての「自分」。だが、その「ふつう」が必ずしも「ふつう」ではすまない時代に入っている。グローバル時代だ。』との見解を示し、米ハーバード大学名誉教授の歴史家、入江昭さんによる「歴史家が見る現代世界」の中での「グローバル・ヒストリー」から『国や文化の枠組みを超えた人々のつながりに注目しながら、歴史を世界全体の動きとしてとらえ、自国中心の各国史から解放する考え方だ』を紹介している。

 『忘れるための歴史』では、、エルネスト・ルナン1882年の「国民とは何か」の講演から『国民という社会を築くうえで重要なのは「忘却」あるいは「歴史についての誤り」だという。国民の本質は「すべての人が多くの事柄を共有するとともに、全員が多くのことを忘れていること」とも。だから「歴史研究の進歩はしばしば国民性にとって危険です」』と引用している。

 『節目の年の支え』では、『自国の歴史を相対化し、グローバル・ヒスト リーとして過去を振り返る。…節目の年にどうやって実りをもたらすか、考えていく支えにしたい』としているが、考え方の方向性を述べているのならわかるが、「支えにして」の意味は不明である。

 つまりは、『グローバル化でこれまで人々のよりどころとなっていた国民という社会が次第に一体感をなくす中、不安を強める人たちが、正当化しがたい時代について「忘却」や「誤り」に立ち戻ろうとしているかのようだ』ということ。自国に都合の良いように、歴史的事実を「忘却」してみたり、誤って正当化するのでなく、近隣諸国を含めたグローバルな立場で、自国への「自虐」でも「自尊」でもない歴史観が求められているということか。

毎日新聞
『戦後70年 日本とアジア 脱・序列思考のすすめ』とのタイトルをつけ、副見出しを2つつけている。
 はじめに、『戦後間もない時期は、貧しくとも平和が戻ってきたことへの安堵感から、明るさと希望があったが、戦後70年の今は、えたいの知れない不安と苛立ちがある』としている。然りである。

 『強いアジアと向き合う』では、『中韓の反日感情と日本の反中・嫌韓感情が衝突し、相互の不安といらだちをあおっている』とし、その原因は、『中国の大国化にみられるパラダイムシフト、つまり時代の大きな枠組みと秩序の変革に日本が直面していること』、『韓国における政治の民主化と経済発展、自意識の高まり』がその要因としている。
 だが、『日本を追いかけるように成長してきた中国と韓国の興隆はいわば、歴史の必然。あと戻りできない東アジアの力関係の変化を受け止め、自らの立ち位置を見つめ直すことが、戦後70年を迎える日本の課題』としている。

 『等身大の日本を誇りに』では、『「世界の真ん中で輝く日本」(安倍晋三首相)と「中華民族復興の夢」(習近平主席)がぶつかる構図は、世界からは時代遅れの盟主争いにエネルギーを浪費しているとしか見えない』という見解、また、『葛兆光氏は「中国は大国になったと錯覚してはいけない。高圧的に出るのでなく隣国、世界と仲良くすることだ」と語っている。こうした声が中国にもあることを前向きに受け止めたい』という中国の声の紹介しつつ、『「大国残像ナショナリズム」を振りかざし、過去の栄光を取り戻すことではない。優越主義によるアジア観を排し、中国・韓国と共生できる地域の未来を考えながら、東アジアの和解と連帯に率先して取り組むこと』が日本の役割であるとの主張は、朝日新聞の『グローバルな…』と通ずるものがある。

東京新聞
 『年のはじめに考える 戦後70年のルネサンス』とのタイトルをつけ、副見出しを3つつけている。
 はじめに『貧困や格差が復活して独占資本や搾取の言葉も思い浮かぶグローバル経済の時代。ならば戦後七十年のことしは人間回復のルネサンスにしたい』と書き始めている。

 『新貧乏物語が始まる』では,経済学者ピケティの『グローバル経済を放置すれば百年前の極端な格差社会に逆戻りするとの警告。累進課税や国際協調のグローバル資本税の導入などを提言』を紹介。『百年前の世界とは欧州で第一次世界大戦勃発、ロシアで革命、日本では河上肇の「貧乏物語」が新聞連載され、貧困が資本主義固有の病理として社会問題にされはじめた時代でした』としている。
 その河上肇は『経済学は富でなく、論語のいう道を尋ねるもの。貧乏退治も人々が貧困によって道を聞く妨げにならないため』とし,彼の理想とした政治家である英国の宰相ロイド・ジョージが『弱者のために立ち上がり、大蔵大臣時代は貧困との戦いの大増税に取り組み,英国を滅ぼす大敵はドイツではなく内なる貧困、すべての人が守るに値するよい国にするのが最高の防衛,との大演説をぶった』
『資本家の貪欲とも戦った。金鉱獲得のため英国がボーア人相手に起こした悪名高い南ア戦争では反対運動を展開。国民が戦争に熱狂。罵詈雑言を浴び、暴動が起こる中で堂々の非戦論をぶった』と紹介している。

 『太平洋か大東亜戦争か』では,『先の大戦を米国から強いられた「太平洋戦争」ではなく戦前の公称の「大東亜戦争」と呼ぶべきだと主張』があったこと,それは『太平洋戦争史観では「米国との戦いに敗れた」との認識にはなっても「中国との侵略戦争に敗れた」との意識が希薄になってしまう。再三の村山談話の見直し論や日本の歴史認識が問題視されるのは「大東亜戦争」,「太平洋戦争」の呼称が影響のせいかもしれない』としている。『大東亜戦争では三百十万人の日本人が犠牲になった。軍人の死者は二百三十万人、うち六割の百四十万人は国家に見捨てられての餓死だったことも忘れられてはならない』とも付け加えています。

 『歴史の評価に堪えたい』では,『戦争での新聞の痛恨事は,戦争を止めるどころか翼賛報道で戦争を煽り立てたこと。その反省に立っての新聞の戦後七十年。私たちの新聞もまた国民の側に立ち、権力を監視する義務と「言わねばならぬこと」を主張する責務をもつ。その日々の営みが歴史の評価にも堪えるものでありたいと願っている』と締めくくっています。

読売新聞
 『日本の活路を切り開く年に 成長力強化で人口減に挑もう』とのタイトルを付けて論じているが,内容は現政権への翼賛で,語るを要しない。
 
 首相が言う「戦後レジュームからの脱却」が、日本国民がアジアで最も秀でている民族で、戦前にあった、周辺国への優越感を持てる国にすること、などと考えているなら、日本は国際的に孤立を深めてゆくのみである。
 元日の社説で,毎日,東京新聞の見識の深さ,東京新聞の,言論のあるべき姿の決意は,頼もしさとともに,各社ともその意気を感じ,決意を知りたいところである。昨今聞かれる,慰安婦問題は,大いなる誤報があったから問題だったので,誤報がなければ,慰安婦は存在しなかったなどと言う論調は,日本の国際的立場を危うくする誤った言論報道と言わなければなるまい。
 
 「周辺諸国との和解と協調」、国内では「格差の是正」がことしの大きな政治的命題ではないか。

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