日々の抄

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 平和国家はいずこへ

2015年3月26日(木)

  首相は20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練の意義を説明する中で、自衛隊を「我が軍の透明性を上げていくことにおいて、大きな成果を上げている」と述べ,自衛隊を「我が軍」とした。
 とうとう馬脚を現したのか。解釈憲法で自衛隊を海外に派遣できることにし,「普通の国」にできるものと考え,彼の頭の中ではすでに自衛隊は,国を「自衛」するのでなく,武器使用を認められた軍隊になっていることを,うっかり口を滑らせた結果なのだろう。
 
 憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定め,政府の公式見解では、自衛隊は「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であり、『陸海空軍その他の戦力』には当たらない」(2006年12月、第1次安倍政権の政府答弁書)としている。

 この発言を野党などから批判されると,さっそく番頭役の官房長官は,25日,「自衛隊も軍隊の一つ」と説明。国際法上の定義では軍隊に当たり得るとの見解を示し,国際的には自衛隊は「軍隊」で,国内的にはそうでないという,詭弁を使っている。「自衛隊は我が国の防衛を主たる任務としている。このような組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍隊の一つということだ」というなら,今までの政府の見解は何だったのか。「自衛が主たる任務だからこそ軍隊ではない」と解釈してきたのではないか。そんな詭弁で国民が納得するとでも思っているのか。
 
 総理大臣の私的諮問機関である「安保法制懇」で,平和憲法下で戦後70年も武力によって他国民を殺さずに過ごしてこられた日本の将来への姿が塗り替えられようとしている。与党である自民党と公明党だけで日本の将来が決められて堪るものではない。
 
 与党合意による安保法制の大綱は,
(1) 日本の周辺で危機が起きた際の集団的自衛権による米軍、他国軍と連携
(2) 全世界を対象とした有志連合やPKOへの自衛隊参加
(3) 自衛隊の武器使用条件の緩和、「駆けつけ警護」など相互殺傷の可能性のある作戦への参加を拡大
ということ。
 つまり,自衛隊は日本近隣地域以外の世界中で,米軍の要請があれば、出動できるようにするという。後方支援だからとしても,武器を調達することは戦争に参加することに違いはない。また,後方地域は時々刻々変わるものだ。目の前で戦闘が起これば,自衛隊は積極的に,武器によって他国民を殺戮する行為に至らざるを得ないだろう。
 
 首相がこれほど米国にすり寄って,日本人の若者を戦地に送り込み,命を危うくし,他国民の命を奪う行為に追いやる必要がどこにあるのか。根本は,「力には力」で対抗することがすべてと考えてのことだろう。
 首相が防衛大卒業式で述べた、『行動を起こせば、批判にさらされる。過去も「日本が戦争に巻き込まれる」といった、ただ不安をあおろうとする無責任な言説が繰り返されてきた。批判が荒唐無稽であったことは、この70年の歴史が証明している』はとんでもない思い違いである。日本が、憲法9条を拠り所に「戦争をしない国」を貫き、それを国際社会が認めてきた結果として、戦争に巻き込まれずにいられたのではないか。首相はまったく歴史がわかってない。

 一方で,「道徳」を教科にし,「愛国心」を教育しようとし,ナショナリズムを植え付けようとしていることは明白である。「道徳」は「愛国心」とは切り離すべきものである。愛国心は自ら湧き出るもので,教えられるものではない。「道徳」は戦前の「修身」を目指すものであってはならない。道徳を教えるためには,政治家が,賄賂と思しき献金を貰っても,議員が貰ったことを知らなかったら,お咎めなしになるような法律をすぐに改正するべきである。政治資金で問題になりそうで,大臣を辞した人物のその後の動向が伝えられないで,そうした人たちが推し進めようとする道徳教育など笑止千万だ。まずは,大人が,政治家が子供に恥ずかしくない行動を示すことこそ,生きた道徳教育である。
 「道徳」を「修身」化し,愛国心によって,国を守るために戦争も辞さずとして,若者を戦地に送り込むことなどあってはならない。
 
 公然と首相が自衛隊を「我が軍」と明言しているのに,なぜ野党は猛然と追求しないのか。与党内からなぜ疑問の声が発せられないのか。これほど一強政党時代を迎え,今まで多くの人々が支えてきた「平和国家」が「戦争をできる国家」になろうとしていることに抗えない様相を作り出したのは,自分たちの経済状態に優先順位を決めた国民であることは確かめておかなければなるまい。

 日本の若者を戦地に送り出せば,当然命を失うことにつながることは明白。米国の属国になったと思えるほどに追随することよりも,戦後日本が積み上げてきた,地道な平和外交こそが,日本の取るべき道ではないか。世界の各地で献身的にNPOで働く人々や在留邦人が,日本人だからといってテロの標的になることがあってはならないことだ。銃を向ければ,銃を向けられるのは当然の帰結である。

 現状が続き,「戦争をできる国への暴走」に対して多くの国民が声を上げなければ,かつて戦前に歩んできた道に逆戻りするように思えてならない。もうすでに軍靴の音が聞こえてきている気がする。

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