日々の抄

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 広島原爆の日に思う

2015年8月6日(木)

 広島は6日、70回目の原爆の日を迎えた。被爆者の平均年齢が80歳になった。驚くことに、いまだ被爆者認定がなされてない人が少なからずいると聞いた。あと何年生きられるか分からぬひとにとって、被爆したからこそ被爆者として国に認定してもらうことを求めているにもかかわらず、なぜ認定されないのか。ここでいう「国」とは何なのか。行政界の垂れ流すような無駄遣いを考えれば一日も早い認定がなされ治療を安心して受けられるようにされることを望む。認定を求めているひとは、自らの命が国によって縮められていると感じているのではないか。国は「原爆症の認定基準」という盾で、余命幾ばくもない命の灯火を消し去ろうとしているかのようだ。そんな国家権力の行為に怒りを覚えないわけにいかない。いったいこんなことをして誰を利するというのか。
 
 被爆70年に合わせてNHKが6月下旬に行った調査が発表された。この調査は、全国、広島、長崎それぞれで20歳以上1000人づつ、電話によって行われた。
 それによると、広島原爆投下の年月日を正確に答えられたのは全国で30%、広島69%、長崎50%、また、原爆投下に対して「今でも許せない」は全国49%、広島43%、長崎46%、さらに「やむを得なかった」と答えた人は、全国40%、広島44%、長崎41%だったという。
 
 一方、米国で7月、1000人を対象に「原爆投下」について調査した。それによると、原爆投下について、全体の46%が「正しい」、「誤り」は29%、「わからない」が26%だった。
 世代別では、18〜29歳は「正しい」は31%、「誤り」が45%、。30〜44歳で「正しい」は33%「誤り」が36%だった。若い世代では原爆投下が誤りと思うひとの数が多いことが分かる。
 一方で、45〜64歳では55%、65歳以上は65%が「正しい」と考え、「誤り」は二割前後にとどまっている。
 
 2009年の調査によると61%が「投下は正しかった」、「誤り」は22%に。男性の72%が投下を支持、女性は51%だった。また、2005年の調査では、男性73%、女性は42%だった。
 米国で、年代が若いほど、時代経過とともに原爆投下が正しいとの考えが少なくなっているのは歓迎すべきことだ。
 
 唯一の被爆国の一員として、原爆投下の日を正確に記憶してない人数の多さに驚く。原爆投下を「やむを得ない」の数が、米国と日本で近いのでは、被爆で亡くなった14万人の広島の犠牲者は死んでも死にきれないだろう。自分には無関係と思っているのか、過去の話と思っているのか。自らの国が行った戦争についてあまりに無知ではないか。
 過去に学ばぬ者は未来を語ることはできない。なぜ、教育現場で近現代史を積極的に学ぶことができないのか。イデオロギーが関係しているからだというひとがいるが、その原因の一つは300万人者犠牲者を出しながら、国内で戦争責任者が裁かれてないからである。はじめから、南京事件はなかった、大陸進出が他国への侵攻でなかったなどと平然と語る政治家や国民がいる限り、周辺諸国と良好な関係は持てまい。戦前戦中の歴史は客観的に学ぶべきである。
 
 広島での平和記念式典で、安部首相は、歴代首相が触れてきた「非核三原則」の文言は盛り込まなかった。官房長官は「首相は唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界の取り組みを主導していく決意を表明した。非核三原則はある意味当然のことであり、全く揺るぎない」と強調しているが、当然といいながら述べないのは、そのように思ってないので触れなかったのではないか。
 
 そのことと、無関係であってほしいことが国会であった。
 5日の参院特別委員会で、中谷防衛相は、戦闘中の他国軍に対する支援で行う弾薬の輸送について「核兵器の運搬も法文上は排除していない」との見解を示している。日本周辺事態を想定した現行周辺事態法による米軍支援では弾薬輸送を可能としているが、海外での自衛隊活動を広げる安保法案の審議で、輸送できる弾薬の輸送は、国際貢献を目的に掲げた旧テロ対策特別措置法、旧イラク特措法に基づく米軍支援では支援内容から排除していた。周辺事態法での米軍支援では可能としており、政府は「弾薬」を「武器とともに用いられる火薬類を使用した消耗品」と定義。核兵器は想定されていなかった。
 一連の安保法制では、戦争をしている他国の軍に自衛隊が「弾薬」を提供できるとしているが、「武器」は提供出来ないので、「弾薬」と「武器」の定義が問題になっている。中谷氏は、手りゅう弾は「直接、人を殺傷することなどを目的とする消耗品」で「武器」ではなく「弾薬」に当たると答弁している。また、ミサイル、クラスター(集束)弾、劣化ウラン弾も弾薬にあたり、輸送を「法律上排除しない」と説明しており、5日に核兵器も加えた。化学兵器の輸送も条文上は排除されないとし、核兵器を搭載した戦闘機への給油も「法律上は可能」と述べている。
 ひとを殺傷する道具を「武器」と言うのではないか。手りゅう弾が消耗品で「武器」ではないなどどは、まるで言い訳のためのいいわけをしているように聞こえてきて笑止千万、滑稽である。こんなことで、丁寧に説明し国民の理解を得る、などとよく言えるもので、説明を重ねるほど矛盾点が露呈してくるのである。

 米国への支援で核ミサイルも輸送できるということを考えているなら、平和記念式典で、「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を式辞の文言に入れるわけにいくまい。核ミサイルも輸送できるような、超法律的の勝手な解釈することのどこが「積極的平和主義」なのか。正しくは「積極的追従主義」と言うのではないか。
 
 松井広島市長は『オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。』
 『日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。』と訴えている。
 
 日本はますます危うい国への道を歩んでいる。武力でなく、会話と外交、文化交流で国家間の争いをなくし、非核化がなされることが今望まれている。日本こそ、唯一の被爆国として非核化の主役になるべきではないか。それが本来の「平和主義」ではないか。
 
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