八月の終わりに |
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2015年8月30日(日) ことしも、敗戦の月である八月に、もしかすると日本が海外で武力を使えるように、大きく舵を切るかもしれない月に、たくさんの戦争記録の映像を観た。 「知られざる陸軍終戦作戦」、「妻と飛んだ特攻兵」、「書きかえられた沖縄戦 国家と戦死者・知られざる記録」、「戦後ゼロ年」、「皇室のこころ 2015年夏」、「男たちの大和」、「火垂るの墓」、「昭和偉人伝 鈴木貫太郎」、「憎しみはこうして激化した 戦争とプロパガンダ」、「あの日、僕らは戦場で 少年兵の告白」、「特攻 なぜ拡大したのか」、「戦場の真心チムグクル 沖縄を救った日系人」、「一番電車が走った」、「極秘裏に中絶すべし」、「父親たちの星条旗」、「きのこ雲の下で何が起きていたのか」、「戦禍のマエストロ・近衛秀麿 ユダヤ人の命を救った音楽家」、「ヒロシマ あの時、原爆投下は止められたか」、「ヒロシマ 世界をかえたあの日」、「ヒバクシャからの手紙」、「戦争と平和を考える」、「レッドクロス 女たちの赤紙」、「戦争写真が語る沖縄戦・隠された真実」、「戦後70年 ニッポンの肖像 政治の模索」、「沖縄戦 全記録」、「総理秘書官が見た沖縄返還 発掘資料が語る内幕」、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」、「教科書で学べない戦争」「千の証言スペシャル 私の街も戦場だった」、「私たちに戦争を教えてください」 などである。 「きのこ雲の下で何が起きていたのか」はヒロシマ原爆投下直後の様子をCGを使って再現し、あまりにリアルで最後まで観ることができなかった。これほど現実味のある悲惨な様子を再現する必要があるのか、疑問だった。また、「極秘裏に中絶すべし」も外地で犠牲になった女性のあまりの悲惨さに目を覆いたくなった。また、なんども観たことのある「火垂るの墓」も戦争で犠牲になった兄弟の哀れな最期に、何度観ても涙をこらえることができない物語だった。今の世に生きている子どもたちの幸せを感じないわけにいかない。 たくさんの映像を観た中で、ことし再認識したのは、「レッドクロス 女たちの赤紙」であった。赤紙は女性にも届いたというもの。従軍看護婦として満州などの外地に従事した女性の実態はあまり知られてなかったのではないか。「レッドクロス」は、赤十字精神で,敵も味方も命の重さは同じと信じて従軍したが、現実はそれが通用しなかった。医療従事者としての知見はあっても、医療器具、薬品がなければ、麻酔もなく手足を切断したり、疫病で亡くなっていくひとびとをどれほど見なければならなかったか。目の当たりにした悲惨さは、彼女たちに終生癒えない深い心の傷を負わせた。 「妻と飛んだ特攻兵」、「一番電車が走った」のような、作られた戦争ドラマの主役、「千の証言スペシャル 私の街も戦場だった」、「私たちに戦争を教えてください」などの配役、全く戦争を知らないコメンテーターの人気タレント起用は視聴率獲得目的に見え、現実味がない、そらぞらしさを感じた。また、「大和」のような、戦争=英雄物語とした映像を子どもが自分に関係ない一種の勇ましいゲームのような感覚で観ることがあれば、危険なものと感じた。 いずれにせよ、戦後70年の今年の夏は、いままでと違う緊張感を覚えた。それは国会での論議の結果によっては、遠くに感じていた戦争が、ある日突然目の前にやってくるかもしれないという、うっすらとした現実感があるからである。 私も事情が少し変わっていれば、中国の残留孤児になったかもしれないし、東京大空襲にあわやというところで遭遇するところだったし、住居が数キロだけ市街地の中心に近い位置にあったら、前橋空襲で命を落とすところだったので、毎年観る戦争ドキュメントは他人事ではない。戦争ドキュメントを観るのは辛いが観ないわけにいかない。 八月。それは多くの国民に犠牲を強いた帝国軍隊と、最期まで終戦を引き延ばしてヒロシマ、ナガサキをはじめとする多くの犠牲者を出すことにつながった軍属への怒りの再確認と、望まずして命を落とした内外の戦死者に対する慰霊の月である。 |
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