日々の抄

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 まだ終わってない

2015年9月30日(水)

  18日深夜の参院安全保障関連法案を審議した特別委員会で、与党の周到な計画による強行採決で可決され、本会議を経て法案が成立した。
 私は、17日の特別委員会の全てのTVでの放映を見たが、喧騒と混乱の中、最後の議決の段階で速記録も残されず、到底採決されたとは決するに値しない。これで採決されたと判断されるなら、良識の府とされる参院の参院たる価値を全く認めるわけにいかない。奢り狂った多数を擁した与党の暴挙としか思えない。議会制民主主義の崩壊そのものとしか言えない。

 そもそも、政府は集団的自衛権を憲法違反ではないと強調してきたが、歴代政権が60年超にわたり積み重ねてきた「集団的自衛権の行使は違憲」との解釈を百八十度変えた。論議の焦点になったのは、田中角栄内閣による「72年見解」である。外国から直接侵略されるような武力攻撃を受けた時、国民の権利を守るための「必要最小限度の武力の行使は許される」と認めたものの、武力攻撃を受けた他国を守るため、日本が一緒に反撃する集団的自衛権は使えないと結論づけている。これを、安倍内閣は昨年7月、憲法解釈を変更し、「自衛のための限定的な集団的自衛権の行使なら憲法上認められる」と集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。

 集団的自衛権を行使する基準となる「武力行使の新3要件」について、他国への攻撃で日本の存立が脅かされる「存立危機事態」について妥当性はない。首相は、国会質疑で「存立危機事態とは、総合的に判断する。例示が全てではない」と再三説明し、当初から象徴的な事例として強調してきた「中東・ホルムズ海峡の機雷除去」についても、審議が最終盤を迎えた今月14日の参院特別委で「現実問題として発生を具体的に想定していない」と従来の答弁を一転させた。それまでの説明はウソだったということだ。
 
 アラブ首長国連邦(UAE)エネルギー省次官は、イランが将来、機雷などを使ってホルムズ海峡を閉鎖する可能性について「リスクはないと確信している。イラン経済自体、この海峡に依存している」と語っている。また、UAEの産油地アブダビからインド洋沿いのフジャイラ港に原油を送るパイプラインについて「運用は毎日変わるが、いつでも日量150万バレルの容量まで使える」と強調し、日本などアジアへの輸出について、「日本や韓国に備蓄タンクも置いている。契約した量はしっかり輸出する」と自信を示している。つまり、審議の当初、石油が輸入できなくなって病院の患者が命の危険を感じていいのか、などと強弁していたことは、目くらましの、浅はかな詭弁に過ぎないことを認めざるを得ないことが明らかになったに過ぎない。

 こんな民主主義と立憲主義を無視した行為が行われたことに怒りを覚えないわけにいかないが、考えようによっては、戦後の本来の民主主義はこれからスタートしたと考えるといいかもしれない。なぜなら、今までは、『お上のすることに間違いない、国が国民の不利益になることをするはずはない、みんなが言っているからいいんじゃない、何を言っても世の中は変わらない、政治の話はタブー』などという考えでは、自分たちの生活は守れないということに多くの国民が目覚めさせられたのではないか。国会周辺をはじめとする、数多のデモでわかるように、「若者たちの目覚め」を強く感じた。それは、安保法案が若者の命に関わる法案だということに気付いたからではないか。
 
 
 昨今の政治情勢を見ると、強い指導力を標榜してきた結果として、なんでも首相が決める。鶴の一声で方向が変わる、という事象が見られる。強い指導者はときに独裁者になりうる。今の首相は独裁者とおぼしき存在になっている。与党内からなぜブレーキがかからないのか。閣僚になりたい、次の選挙で推薦を外されたくないなどという、簡単な理由で、かつてあった、国民国家のために身を賭して政治をする、などという秀逸な政治家は殆ど存在しないためではないか。世襲政治家による、経験や見識や人間性をもった人物がいまの政治家に乏しいことが実態なのではないか。そうでなければ、非難されるべき、あまりも世間離れした発言、行動をとるはずがない。
 
 そうした人物を選んできた国民と、小選挙区制に大きな原因があるのではないか。政治資金に問題があっても、秘書だけが責任を負い、政治家本人は説明責任もせず、選挙民は、「かわいそうだから」などといって再選を許している国民に大きな責任があるというべきだろう。戦後の日本が世界から認知される起点になった、東京裁判を認めなかったり、近隣諸国が問題にしている、A級戦犯が祀られている靖国神社に詣でたり、ポツダム宣言は読んでない、朝日新聞が訂正したから慰安婦問題はなかった、などと嘯くような政治家が、国の中心にいる限り、日本は国際的にいつまでも認知されず、良好な国際関係を作っていくことはできまい。
 
 2020東京オリンピックのための、国立競技場の予算が肥大化し、国民からの批判に対し、首相の鶴の一声で1000億円減額になったこと、盗作騒ぎのエンブレムも首相の鶴の一声で、白紙撤回された。また、携帯電話料金が国民生活を圧迫しているから、減じるべしとも命じている。経済政策がうまくいっていればこんなことをいう必要はあるまい。携帯料金が安くなることは助かると思っているひとはいるだろうが、首相が民間の商取引に口を挟むのはおかしい。最高責任者の所得が、何百億を超える携帯電話会社だけでなく、最も潤沢な企業経営している自動車産業にも商品の値下げをなぜ求めないのか。
 
 来たるべき参院選で与野党の勢力が逆転すると、安保関連法案は、「執行停止」を可能にすることができるそうである。アベノミクス選挙によって多数を得た与党が、多くの憲法学者、最高裁長官経験者の異論を無視して、強引な憲法解釈をした結果が今回の与党の成果だった。参院選で与党は憲法改正を訴えるそうだが、どの部分を改正するのかを明らかにしなければ、認めるべきではない。正々堂々と、国を守るために、これとこれを変更したいのだ、と訴えるべきである。
 
 いずれにせよ、近隣諸国からの攻撃から日本を守るために集団的自衛権が必要との主張は、個別的自衛権で処理することが可能である。集団的自衛権は、自衛隊がアメリカの属軍となって地球の裏側まで出かけることが本質であることを知るべきである。海外で国際貢献して活躍している人々が、日本が敵国と見做され、身の危険を感じて撤退せざるを得なくなることは時間の問題である。このことのどこが積極的平和主義なのか、不思議でならない。

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