日々の抄

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 都合のいい政治的中立か

2015年10月27日(火)

 選挙権年齢の18歳への引き下げになり、来夏の参院選から、18、19歳の若者が新たに有権者として一票を投じることになる。参政権の拡大は、1945年に20歳以上の男女と決まって以来70年ぶりである。それに伴い、自民党は、飲酒と喫煙を18歳から認めるなどという提言を検討していたが、各方面からの反対が大きかったため撤回した。
 外部から反対があったからでなく、飲酒喫煙の習慣が18歳からつくことの、健康上の弊害を考えれば提言することの愚かさを知るべきである。
 
 選挙権年齢が変更されることにより、教育現場での主権者教育が必要になるが、教員に政治的中立性が求められるという。自民党内には日教組に対する「政治的軋轢」があるらしく、部会内の議論では「日教組が確信的に偏向教育をやる以上、罰則を科さないといけない」などという意見があるそうだ。
 その結果、提言には主権者教育にまったく関係がない「教職員組合に収支報告を義務づけ」が盛り込まれ「組合費が民主党の政治資金に流れるのを監視する」などという愚かしい考えで、正に組合弾圧でしかなく、許し難い。こんな技量の狭い発想しかできない議員が日本の与党にいることは情けない。本サイトでなんども書いているように、こうした議員を選んでいるのは他ならぬ日本国民であることは自覚しなければなるまい。

 文科省は月内に高校生の政治活動を認める通知を都道府県教育委員会などに出すという。それによると、今月5日に発表された通知案では、高校生の政治活動を禁止した1969年(昭和44年)の通知を廃止すると明記している。通知案は、「個人的な主義主張を述べず、公正かつ中立な立場で指導すべし。現実の政治を素材に模擬選挙や模擬議会などを実践すること。特定政党を支持しないこと」などとし、生徒の政治活動・選挙運動については「校内では、授業、生徒会活動、部活で禁止する。放課後や休日でも制限または禁止する。校外では、学業や生活に支障がある場合、禁止を含め適切に指導する」としている。
 
 ここでいう「政治活動」とは何を指すのか。選挙で投票する生徒が、校内で互いに支持する政党の活動、政策について話し合うことは当然のことだが、特定政党を支持し喧伝することが、政治活動に当たるなら、政治的な話はしようがなくなるのではないか。誰それが特定の政党を支持して喧伝しても、俺はそうは思わないよ、と言えばいいことで、制限すべきこととは思えない。

 どうやら、反自民的な政治的活動を制限したいように感じら、デモに参加している生徒の行動をとやかく言うことそのものが「政治的」なのではないか。「学業や生活に支障がある場合、禁止を…」は、大きなお世話である。まさか、「君は赤点をもっているのだから、デモに行かず勉強をしろ」などと「指導」しろとでも言うのだろうか。
 
 いずれも「政治的中立」を強調されているが、本年8月末が期限の4年に1度の教科書採択に合わせ、保守色の強い教科書を選んでもらうためのパンフレットを自民党が作成し、地方議員が議会で質問することなどを通じ、採択権限を持つ市町村教委に働きかけることをねらい、政治的中立を私立高校の教員にも求める法改正も検討しているという。
 都道府県議会、市町村議会で、『「国旗・国歌」「領土」「自衛隊」「拉致問題」「外国人参政権」「南京事件」「慰安婦」などの項目について出版社8社の教科書の記述を比較し、保守色の強い教科書に対しては、国旗や国歌について「特集ページで詳しく記述している」などと好意的に紹介していることを述べ、第2次安倍政権で初めて作られた今回の社会科教科書は、領土問題や近現代史で政府の見解や立場を強調する記述が盛られているが、まだ満足できないことを検証すること』を求めている、と報じられている。
 
 教育行政の担当者は地方議会での圧力にきわめて弱い。教科書の採択に関し、特定の教科書、それも保守的教科書を採択するよう圧力をかけることのどこが「政治的中立」なのか。例えば南京事件について、日本側が一方的に極悪非道に扱われている教科書で、子供たちの日本国への関心が高まりますか?」などを問うよう例示していることが議会で議論されていることこそ、反中立的行為の政治的圧力ではないか。
 
 マスコミに関しても同様の、都合のよい中立性を強弁する場面があった。自民党は昨年、テレビ各局に選挙報道の中立を求める文書を送付し、本年4月にテレビ朝日とNHKの幹部を呼び、マスコミへ圧力をかけている。首相もかつて、自ら報道番組を批判したことを「言論の自由だ」とし、自分たちに都合のよい「中立性」を強弁している。

 一方で、多数を背景にした政治的圧力をかけ、「政治的中立」に反する教育への介入をしながら、他方で、教育現場で「政治的中立」を求めるところの「中立」とは、つまりは政権に都合のいいことが「政治的中立」と言っているに過ぎない。自分たちに都合の悪いことは「政治的中立」でないとすることは、自分の考えに反する考えを左翼、自虐的と決めつけているネトウヨとたいした違いはない。
 
 国家の大計を考えようとする思慮もなく、多数だけを頼りに、右へ右へと傾斜していく、限りなく危うさを持った建物を作っていることが罷り通っていることを国民が支持していることを憂うべきではないか。

 
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