日々の抄

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 停波などあってならない

2016年2月28日(土)

 高市総務相は2月8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」と述べた。
 
 因みに、2013年6月当時党政調会長であった高市氏は、神戸市の党兵庫県連の会合で「事故を起こした東電福島第一原発を含めて、事故によって死亡者が出ている状況ではない。安全性を最大限確保しながら活用するしかない」と、震災関連死者が1400人も出ていることを知らずに、原発再稼働を目指すなどと、現実をまったく理解せずに大顰蹙を買った経歴の持ち主である。直後に、「福島のみなさんがつらい思いをされ、怒りを持ったとしたら申し訳ないことだった。おわび申し上げる」と謝罪。そのうえで「私が申し上げたエネルギー政策のすべての部分を撤回する」と語っている謝罪の言葉は、「1ミリシーベル発言」で聞いた現政権の環境大臣の謝罪と酷似している。
 
 高市氏は、電波停止を命じる基準として(1)放送法に違反した放送が行われたことが明らか(2)放送が公益を害し、将来に向けて阻止が必要(3)同じ放送局が同様の事態を繰り返し、再発防止の措置が不十分(4)放送局の自主規制に期待するだけでは放送法を順守した放送が不可能、と説明した。
 さらに「一回の番組で電波停止はまずあり得ない」としたものの「放送局が全く公正な放送をせず、改善措置も行わない時、法律に規定された罰則規定を一切適用しないとは担保できない」とも語った
 つまり、番組内容が公正でないと判断されれば、1回だけの番組も電波停止の対象にないうるという事である。

 また、「政治的な公平性を欠く」ことの事例として、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」としている。

 放送法は、1条で放送の自律や表現の自由の確保を原則に掲げ、3条で「何人からも干渉され、又は規律されることがない」と放送番組編集の自由を明文化し、4条は「政治的公平」などを定めているが、放送事業者が自律的に番組内容の適正を確保する倫理規定であって、政府の介入による判断で、電波停止の根拠とするものではないとの考えが通説である。
 高市氏の発言は、電波利用の許認可に関する電波法七六条に基づき、総務相が放送法に違反した放送局に最大三カ月間の運用停止を命じることができる、とすることを念頭にしたようだ。

 首相は高市氏への批判に反論し、「何か政府や我が党が、高圧的に言論を弾圧しようとしているイメージを印象づけようとしているが全くの間違いだ。安倍政権こそ、与党こそ言論の自由を大切にしている」と主張している。
 だが、14年衆院選では、安倍氏がTBSの番組出演中に内容を批判し、自民党は各放送局に選挙報道の「公平中立」を求める文書を送っている。
 また、昨年4月には、自民党の調査会が放送内容をめぐり、テレビ朝日とNHKの幹部を呼んで事情を聴取。さらに政権与党の中から、「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」「沖縄県の地元紙、琉球新報と沖縄タイムスを、つぶさないといけない」などという発言が、政権与党からの脅しでなくて何なのか。どこが言論の自由を大切にしているなどと言えるのか。
 
 高市氏の一連の発言の問題点は次のようなものだろう。
1. 電波停止の対象が一番組か放送番組全体なのかに関わらず、政権が「政治的に公正でない」として、電波停止することができるぞ、と放送事業者を萎縮させている。
2. 「政治的公正でない」か否かを、政権、総務大臣が判断することが、言論統制につながっている。政権の気に染まぬ番組が「政治的に公正でない」なら、多角的な考えを伝えることを望めなくなることになり、これこそが言論の自由を封じることになる。
3. 首相、政府関係者が特定の放送番組に長時間出演することは「政治的に公正」といえないのではないか。
4. ひとつの番組の中で、すべての政党の考えを等しく網羅して報道などできようがない。各放送事業者がそれぞれの特徴をもった放送を許容すべきである。
5. 政権は「政治的に公平」ということは、政権や特定政党に癒着しないことであるということを知らないのではないか。
6. 放送に対する政治的な圧力を回避するための、米国の連邦通信委員会、英国の放送通信庁(オフコム)など日本にも以前あった「電波監理委員会」のような機関が置かれるべきである。

 現政権は、放言、失言などを重ね、強権を発動しようとする必死さが見え透いていて、末期的症状が見えている。一強を自認するなら、もっと国民の理解を得られる、余裕をもった政治をしてほしいもの。
 今頃になって、チルドレンたちの質が悪いなどと泣き言は言わないことだ。ベテラン議員からもいつ放言、失言が出るか見物である。
 矜持を持たぬ議員を選んだのは他ならぬ選挙民である。国を滅ぼすのは、政治家でなく国民であることは歴史が教えていることを忘れまじ。

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