日々の抄

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 オバマ氏が広島へ来た意味は何か

2015年5月30日(月)

 現職米国大統領がはじめて広島を訪れた。
 現職米国大統領が戦後70年広島を訪れることがなかったのは、原爆投下の罪深さを知っていたからではないか。米国民は、広島・長崎での被ばくによる非人道的悲惨さを知るにつけ、「戦争を早期に終結するために必要だった」という大義名分を振りかざして、正当化しているにすぎないのではないか。原爆投下がなければ、「降伏しない日本に原爆を投下したのは、より多くの人命が失われないためだった」、という大義名分に正義はない。なぜなら、原爆投下で広島・長崎で失われた20万人余の命を超える犠牲があると予想できたのか。

 原爆投下の正当性を唱えたのは、原爆投下時の陸軍長官ヘンリー・スティムソンによる論文とされる。その論文によると、「原爆が使用されずに日本本土への上陸が展開されていたら,甚大な被害が想定され,米兵の犠牲者は100万人にのぼると推定されていた」と述べているが、スティムソンの「100万人」に対して,トルーマン大統領は「50万人」という数値を挙げており、一貫性が認められない。(参照:「原爆投下決定における「公式解釈」の形成とヘンリー・スティムソン 中沢志保」


 広島のみならず、なぜ長崎までにも原爆を投下しなければならなかったのか。長崎への原爆投下の必然性を考えることはできない。ウラン型、プルトニウム型の原爆の壮大な人体実験をしたかったからなのではないか。
 「真珠湾攻撃があったのだから、広島原爆投下は正当だ」という考えがいまだ米国には少なからずあるが、これは違う。たしかに、日本軍の真珠湾の不意打ち攻撃は卑怯な攻撃だったと言わざるを得ないが、真珠湾攻撃の対象はあくまでも軍事基地であり、民間人が対象ではなかった。
 だが、広島・長崎の原爆投下の対象は、無辜の武器を持たない一般市民であった。また、東京をはじめとする空襲も無抵抗の市民を対象とした、無差別殺戮だったのではないか。
 
 米国内の、原爆投下の正当性についての意識が年代とともに変化している。最新のCBSのデータによると、原爆投下が正当かに対する、調査年(はい、いいえ)の数は、1990年(53%、41%)、1995年(59、35)、2005年(57、38)、2016年(43、44)で、26年間で原爆投下が正当であるとの考えが53%から43%に変化している。
 また、年代別では18歳ー34歳(37%、52%)、35ー44(37、50)、45ー54(42、41)、55ー64(49、39)、65ー(50、32)で、若い層ほど原爆投下をすべきでなかった、の数は半数ないし半数越えと多くなっていることが分かる。

 オバマ氏の、広島平和公園でのスピーチ(以下の邦訳はNHKによる)は、原稿をあたかも、文学書を朗読しているかのように語っていた。願わくば、平和資料館の原爆投下による悲惨な展示を見て、心に感じた感情を率直に語ってほしかった。スピーチ後に短い時間被爆者代表と会話を交わしたが、スピーチの前に被爆者代表と会い、どのような気持であったかも、自分のことばで語ってほしかった。無論、広島に行くことさえ抵抗を示している米国民が少なからずいることから、四方八方気を配った結果のスピーチだったのだろうが、オバマ氏の生きた言葉を聞きたかった。そのスピーチで気になることがいくつかあった。

その1 冒頭の「…71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。」
 → まるで、「空から死が降ってきて、せん光が広がり、…と」、知らぬ間にどこからともなく、せん光がやってきたように聞こえる。米国が意図的に無抵抗な一般市民を惨い死に追いやり、70年経過してもいまだ肉体的、精神的な苦しみを残していることを、人ごとのような語っていることは受け入れがたい。国内事情で、原爆投下を謝罪ができなくとも、「投下すべきでなかった」という言葉を聞きたかった。

 エノラ・ゲイの12人の乗務員のうちの最後のひとりであるセオドア・バンカーク氏が2014年に他界した。彼は原爆投下の60年後に「戦争や原爆では、何も決着しない。個人的には、世界に原爆は存在すべきではないと思う」と語っている。広島・長崎のヒバクシャの、70年を越えて続いている苦しみを米国民は分かるのだろうか。
 
その2 「科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。」
 → 科学技術の発展とともに、これに見合う道徳の革命がない限り広島の悲劇を引き起こす、として道徳の革命を求めているが、道徳は民族、宗教によって異なる事は周知の事実。これらすべてに通じる道徳、ないし「自明の理」が何であるか。オバマ氏の考える「道徳」は、米国がベトナムにイラクにアフガニスタンで多数の人間を殺戮してきた事といかなる関係にあるのか。米国の「道徳」とは何なのか。
 スピーチにある「どの宗教も信仰の名のもとに人を殺す信者を抱えることを避けられません。」と述べられている、信仰の名の下に殺人があるというところの「信仰」とは何なのか。
 
その3「アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている、と。ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。… 私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。それが、私たちが広島に来た理由です。」
 → 南北戦争からおよそ150年の米国で、いまだ肌の色での差別、迫害が公然と行われている。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」にも関わらず、民族格差、経済格差、豊かさの一部への極端な偏在が加速し、それが信仰の名における大量殺戮にもつながっている事を考えるときに、これらを解消する事は「理想」にすぎないのだろうか。

今回のスピーチで肯えることは、
 「1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。」
 「わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。」
 「私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。」
である。
 ただ、「長崎を最後の被爆地に」という一文はあって然るべきだったのではないか。
 また、核攻撃の承認に使う機密装置を持った軍人も同行させ、広島に初めて「核のボタン」を持ち込むことになったことは、二律背反ではなかったのか。

 オバマ氏が真剣に世界の核廃絶を考えていること、そのひとつの機会が広島訪問であったことは評価に値し、歓迎すべきことである。オバマ氏は広島に来てはじめて核廃絶を語る資格を得たと言える。問題は、スピーチで述べていることを具体性に見える形をつくる事である。残り半年間の大統領任期中に、さらなる核廃絶に関する活動を見守りたい。そして、任期後の長く核廃絶運動を継続することを望みたい。

 原爆資料館でオバマ氏が記帳した
 「We have known the agony of war. Let us now find the courage, together, to spread peace and pursue a world without nuclear weapons.(私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう。)」
 を、世界の核爆弾のおよそ半分を保有している米国民および米国大統領オバマ氏に返したい。


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