日々の抄

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 三党合意はどこに行った

2016年6月30日(木)

 参院選がはじまった。政府は、消費税増税を延期したことに対して、「参院選を通して国民の信を問う」というが、解散権がない参院で信を問うのは筋違いというもの。なぜ、衆院を解散して信を問わないのか。  アベノミクスを含む経済政策が今回の参院選の争点だ、などと喧伝しているが、前回の選挙で、国の進む道が大きく変わり、国民の命にもかかわる安保法案を争点とせず、選挙に大勝したことから、国民の信を得たなどとして、憲法をねじ負けて解釈し、安保法を成立させた。
 国民は与党に全権委任したつもりはない。小選挙区制が与党の対象に少なからず関わっているが、今回の選挙でも、与党が大勝すれば、与党が言うところの、「争点」としない憲法改正を強行することは見えている。これほど国民を欺いていることはあるまい。憲法のどこをどのように改訂したいのかを国民に正々堂々と問えばいいのではないか。こそこそとやっているのは、少なからず後ろめたさと、国民が本当のことを知り、目覚めることを恐れているからなのではないか。

   あれほど安保法反対のうねりが全国に広がっていたにもかかわらず、最近のマスコミの調査による内閣支持率は選挙民の約半数である。安保法に反対したことが本当で、参院で行われた喧騒と怒号の中で採決されたことになっている安保法を正当でないと思うなら、それを成立させた政府に対する不支持が今でも多数を占めていて不思議でないはずだが、そうはなってない。国民の熱気は、時間とともに覚めるものなのか。「時間が経てば忘れるさ」と云っていた政治家の話が現実になっているようだ。  

 選挙の争点は、政党や政治家が決めるものではない。つまり、選挙民が、今回の選挙で何に注目し、どの政党が、自分が重きを置いている政策に力を入れているかを判断し、投票すればいいのではないか。そうすれば、政党に都合いい、猫だましのような政見放送や大声で投票を乞うているだけの議員に投票することはなくなるのではないか。政府がいかに国民を欺いてきたかのひとつの例が消費増税である。マスコミでも取り上げられ周知していることであるが、書き出してみたい。

2014年11月18日
 衆院解散での会見  安倍首相は、「2015年10月に予定する消費税率10%への引き上げを17年4月まで1年半延期する」と表明。同時に「再び延期することはない。景気判断条項を付すことなく確実に実施する」とも語り、経済情勢にかかわらず再延期はしない意向を示した。「ここではっきり断言する。必ずやその経済状況を作り出すことができる。」
2015年2月26日 衆院本会議で
 「リーマンショックや大震災のような重大な事態が発生すれば、そのときの政治判断で(延期を)国会で議論をお願いすることはあり得る。」→ この段階で、2014年の会見内容を変え、「景気判断条項を付すことなく」ということを反故にしている。
2016年5月27日 伊勢志摩サミット議長会見
 「世界経済の成長率は昨年、リーマンショック以来 最低を記録した。世界経済が危機に陥るリスクに立ち向かうため消費税率引き上げの是非も含めて検討する。」とし、リーマンショックという語を7回も使って、増税の是非を語ったが、英独両国首脳からは、異論が出された。サミットを増税しないことに利用しようとしていたが、見事に当て外れに終わった。
2016年6月1日 国会閉会会見  「現時点でリーマンショック級の事態は発生してない。世界経済が 危機に陥ることを避けるため消費税率の引き上げは延期すべきだ。」、「来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。」  そして、今回の消費増税延期は「新しい判断」だという。

 この期におよんで、「景気判断条項を付すことなく確実に」などということを信じるわけにいかない。  「税と社会保障の一体改革」のための、三党合意が反故にされ、消費増税できる経済状況を作り出すことができず、サミットで他国も巻き込もうとの企てが失敗したかと思うと、「新しい判断」などという苦し紛れの言い訳は見苦しい。
 社会保障への予算の裏付けを、景気上昇による税収としているが、世界的恐慌が案じられている状況を考えれば、税収が増加する保証はない。それができるくらいなら、とっくに税率を上げられる状況になっているはずである。素直に、「アベノミクスは失敗した」、と認め、1000兆円もの借金を抱えた財政をどう立て直すかの、長期的展望を示すべきではないか。経済政策などと云って、低所得者にたった1回だけ、3万円を給付して、国の経済が動くはずがない。選挙目当てと思われも仕方あるまい。

 「雇用は100万人以上増えました。今や有効求人倍率は22年ぶりの高水準です。この春、平均2%以上給料がアップしました。過去15年間で最高です。企業の収益が増え、雇用が拡大し、賃金が上昇し、そして消費が拡大していく、そして景気が回復していくという経済の好循環がまさに生まれようとしています。」と与党は、成果を強調しているが、有効求人倍率が問題なのではない。非正規雇用労働者の求人倍率がどれほど増えても、安定した生活が営まれ、安心した生活になりにくことを考えるべきである。非正規雇用労働者数が4割という現実はどう見ても、安心して生活できる正常な社会ではない。また、給料が上がったとしているが、数えるほどしかない大企業で潤沢に給与がアップしても、中小企業ではどうなのか。給料が上がっても、物価が上がれば、生活は苦しくなるだけである。つまりは実質賃金がどれほど上がったをなぜ論じないのか。

 かつて、トリクルダウンなどという夢物語が語られたが、もはや、あれがお粗末な虚像であったことを疑いようがない。大企業が何百兆円も抱えている「内部留保金」を社会に還元すべきである。富の偏在をなくすことを進めれば、社会全体が潤沢になり消費も伸び、経済が活性化するのではないか。日本経済再生には、再分配政策の強化しかないのではないか。  個人の蓄財が多いのは、教育、医療、介護に対する不安があるからだろう。これらがすべて、国によって保証されると確約されていれば蓄財の必要はなくなり、大量の消費が期待できるが、それができないのは、国民が、国を、特に政治を信じられぬものと思っているからであることを、為政者は知るべきである。老人に向かって、「いつまで生きるつもりなんだ」などと暴言を吐く政府関係者がいる限り、政治家など信じられるはずがない。

 日常的な生活を考えれば消費税は上がらない方がいいに決まっている。だが、消費税は貧富の差に関係なく負担するものである。全額を社会保障(年金、医療、介護、子育て)に当てると法律で決まっている、消費増税分がないことが、日本の将来にどれほどの不安と負担をもたらすか。  目先の負担と将来での負担のいずれを選択するのか。公約としてきた消費増税を反故にし、人気取りをして議員数を増やすことがあれば、「国民は消費増税を延期したことを認めた」という、国民感情を逆手にとった有権者への責任転嫁になるのではないか。    

 目先の経済だけに目を奪われて、日本の将来を見失うような投票はしたくない。

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