日々の抄

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 異様な光景を見た

2016年9月30日(土)

 9月26日の臨時国会の首相演説を聴いた。その中で、異様な光景を見た。
首相は演説の中で「現場では夜を徹し、今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務に当たっている」「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけ、これに呼応するように自民党議員が総立ちし10秒近く拍手が続いた。首相も壇上から拍手した。

 この行為を議長が制止。自民党内からは、「所信の演説の最中のスタンディングオベーションは、自分の経験上も初めてのこと」「総理に対する信頼がああいう形になって現れた」と評価したという。
 野党からは、「品がない。国会のルールを無視した最悪のパフォーマンス」、「ちょっと異常な光景だ。落ち着いて真摯に議論をしあうという状況ではなく、自画自賛をするためにやっていると、言論の府ではなくなってしまう」、「異様な光景だ。今までも日本の議会では見られないと思うし、北朝鮮か中国共産党大会みたいで、…ますます不安に感じた」と反応した。

 野党の抗議に対し、自民党は「適切ではなかった」と認め、首相に伝えることを約束。野党側には「自然発生的だった」と説明したが、実態は違うようだ。つまり、事前に萩生田官房副長官が、自民の国対委員長ら幹部に、「(海上保安庁などのくだりで)演説をもり立ててほしい」と依頼。首相の演説が始まると、自民国対メンバーが本会議場の前の方に座る前方に座る当選回数が1、2回の議員らに、萩生田氏の依頼を一斉に伝え、当該のくだりで「拍手してほしい」、「立って拍手してほしい」と聞いた若手もいたという。

 30日の衆院予算委で、首相は「私が促したわけではない」「国民のため現場で厳しい任務を全うする海上保安庁、警察、自衛隊の諸君に対し、心からの敬意をあらわそうと申し上げた」「『拍手しろ』と言っていない。日本、国民の命を守るために頑張っている人たちに敬意を表そうと言った」と説明。「敬意の表し方は議員個人が判断すれば良い」と反論しているが、自ら拍手し、「今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と言うことのどこが「私が促したわけではない」ことになるのか。「議員個人が判断すれば」のくだりでは、議員が勝手に起立し拍手したと言わんばかりだ。
 
 問題は、所信表明演説で日夜、国家国民のために働いているひとが多数いる中で、海上保安庁、警察、自衛隊だけに敬意を払うことに違和感がある。言うまでもなく、彼らの努力が尊いものであることを、多くの国民は知っている。
 演説の中でのスタンディングオベーションが、首相に対して行われていたと思い違いしているのではないかと疑いたくなる。現に、首相の取り巻きは、「総理に対する信頼がああいう形になって現れた」と語っていることがその証左ではないか。
 つまりは、首相の演説に対し、それに呼応するよう仕掛けを作っておいて、見事に演出が成功したと思っているようにうつる。
 
 国会内でのスタンディングオベーションの動きを見ていると、権力者に逆らうと公開処刑を何度もしている近隣国に酷似しているように見えてならない。実に気持ちの悪い光景だった。総裁任期を延期のみならず、無期限に、などと発言している人物が側近に添えられ、ますます「独裁」の気配が強くなっている政権与党である。
 先ほど他界した、最後まで憲法九条を変えてはならないと主張し続けていた、リベラルな代表とも言える加藤紘一氏のような、人物が自民党内で皆無になり、「おかしいと思ったが、つられて立ってしまった」という、ことなかれ議員を作っているのは、他ならぬ選挙民であることを忘れてはならないだろう。


  八月に他界した、むのたけじさんの次の言葉がますます重みを持ってきているように感じている。
 「人類史を1日にたとえれば戦争が始まったのは23時58分58秒から。それ以前はずっと戦争などなかった。全人類が本気になりさえすれば、戦争は必ず絶滅できる」
 「戦火を交えるのは、戦争の最後の段階である。報道が真実を伝えることをためらい、民衆がものを言いにくくなった時、戦争は静かに始まる。」
 
 憲法九条を改変しようとする動きが活発になっている。反対意見の声を上げられない政権与党の様子を見ていると、むのさんのこれらの言葉に現実味がある。
 
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