日々の抄

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 「いじめ」は犯罪である

2016年12月13日(火)

 東京電力第一発電所事故で福島県から小学校2年生のときに自主避難していた児童がいじめに遭っていた。
 自主避難してきたとき、持ってきたのはわずかな着替えだけで、ランドセルも教科書もなかった。その後、卒業までの4年間、児童は断続的にいじめを受け続けてきたという。そのいじめは陰惨なもので、被害にあった児童にはなんら落ち度はなく、ただ福島から避難してきただけである。

 「菌がうつる」「お前が触ると汚れる」「ただで住んでるんでしょ」。
そんな言葉を投げつけられ、教室に飾ってあった図工作品のうち、自分の作品だけに悪口が書き込まれているのを見つけ、捨てた。給食のときには班ごとに机をくっつけるのに嫌がられ、無理につけようとすると、担任から母親に「落ち着きがない」と注意の電話が入ったという。少年は「足が痛くて立てない」と登校を嫌がるようになり、母親は数カ月で転校させる決意をした。
 
 次の小学校では、全校児童の前で「福島から避難してきた」と紹介された。
ここでも、「ただでいいところに住んでいる」「賠償金、いくら」と言われたという。「天国に行かれますように」「悪魔に取りつかれませんように」。少年は七夕の短冊にそう記した。
 小学5年のとき、母親が担任教諭に改善を訴えた。同じ学校には他にも避難者が通っている。それまでは「強く言って目立つと、他の避難者にも迷惑をかけてしまう」と我慢してきたが、限界にきていた。「3カ月待ってほしい」と担任に言われ、実際にその後、いじめはやんだという。だが、塾ではいじめが続いた。同じ学校の子がおり、学校での関係が持ち込まれた。
 追いかけられて脱げた長靴をトイレの便器に入れられ、「お前のすみかだ」と言われた。残飯を入れたペットボトルを示され、「これを飲んだらもういじめない」とも言われたが、飲まなかった。母親が塾に指摘し、改善に向かったという。

 このいじめ問題を巡り、当時通っていた小学校や横浜市教育委員会が、神奈川県警の調べで金銭トラブルの被害総額が約150万円に上ることを把握していたのに、積極的に対応していなかった。保護者は県警から伝えられた被害総額を学校、市教委に伝えていた。
 生徒側の代理人などによると保護者は2014年7月、県警に同級生から金銭を要求されたことを相談。県警がゲームセンターの防犯カメラ映像などを調べたところ、加害者側が1回あたり10万円単位の金銭を浪費していたことが分かった。児童が要求された金銭は交通費や飲食費、遊興費に使われた。当初は1回5万円ほどだったが、次第に増え、最終的に合計額は約150万円に上った。金銭は加害者側に「(原発事故の)賠償金があるだろ」などと言われ要求されたが、生徒は保護者に打ち明けられず、生活費を持ち出していたという。

 生徒は同年6月に2度目の不登校になっており、保護者は県警の調査結果を学校、市教委に伝えたが、学校側はいじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」とは捉えず、問題を放置していた。横浜市教委の第三者委員会は「万単位の金銭のやり取りを把握しながら「おごった」側、「おごられた」側への十分な指導が行われた形跡が認められない」と学校と市教委を批判した。
 
 だが、金を受け取ったとされる10人ほどの児童が「おごってもらった」などと話したことから、生徒が率先して渡していたというが、成人でもいじめられている人物に150万円もの金額を率先して渡すことなどありえない。率先して高額の金を渡していたなどと判断している人物の神経と常識を疑わざるを得ない。これは恐喝以外の何ものでもない

 被害児童は現在中学一年生になり、なまなましい手記を公にしている。それによると、
 「(加害児童生徒の)3人から…お金をもってこいと言われた」
 「○○○(加害児童生徒名)からは メールでも 言われた」
 「人目が きにならないとこで もってこいと 言われた」
 「お金 もってこいと言われたとき すごい いらいらと くやしさが あったけど ていこうすると またいじめがはじまるとおもって なにもできずに ただこわくてしょうがなかった」
 「ばいしょう金あるだろ と言われ むかつくし、ていこうできなかったのも くやしい」
 「○○○(加害児童生徒名) ○○(加害児童生徒名) には いつも けられたり、なぐられたり ランドセルふりま(わ)される、 かいだんではおされたりして いつもどこでおわるか わかんなかったので こわかった。」
 「ばいきんあつかいされて、 ほうしゃのうだとおもって いつもつらかった。 福島の人は いじめられるとおもった。 なにも ていこうできなかった」
  …… など、痛々しい言葉が語られていて、どれほど悔しい気持ちでいたかが分かり読むのが辛い。

 これほどのいじめを平然と行っていた加害児童たちはどういう気持ちでいるのだろうか。これらのいじめは恐喝、暴行などで、明らかな犯罪行為を長期間行っていたことに気づいているのだろうか。


 加害行為の第一の行為者は、恐喝、暴行などを行っていた児童である。多人数で金品を巻き上げ、暴力行為をして、心の痛みはなかったのか。あれば、そうした行為を行うことはなかったのだろう。彼らは明らかに人間的に大事なものを失っている。
 第二の行為者は加害児童の保護者にある。福島からの避難者に「菌」などというものがあろうはずはないことを、保護者は自分の子どもに教えることはなかったのか。また、自主避難だったことから、僅かでしかない賠償金を貰っていることの意味を、避難しているための生活に必要なものであることを正しくなぜ教えなかったのか。
 知る人のない、ふるさとから遠く離れた地に避難してきた不安と寂しさに耐えている児童を、なぜやさしく受け入れるように教えることができなかったのか。子どもの言葉は親の言葉である。きっと恐喝していた児童の親は、家庭で子どもと同じ事を語っていたのではないかと思わざるを得ない。
 第三の行為者は学校、教育委員会にある。児童がいじめを訴えていることを聞いて、避難児童を受け入れる子どもたちに、避難児童の大変さを知らしめ、避難児童が追いこめられている状況を児童の立場に立って、受け止めていれば、児童が登校拒否なることも、150万円もの恐喝を受けることもなかったのではないか。
 教委は、福島からの避難児童を受け入れるに当たって、現場の学校、教員にしかるべき受け入れ体制を作っていたのだろうか。
 
 今回の陰惨ないじめの根源は、児童を取り巻く大人にある。困っている人間、いじめられている者への思いやりを教えていれば、いじめは起こることは少なくなるだろう。教員は、子どもの少しの表情の変化、訴えに敏感であるべきではないか。担任のみならず、学年、学校全体で子どもの変化をしっかり受け止められる敏感なアンテナをもっているべきであり、互いの連携が重要である。日常茶飯の多忙が、子どもの気持ちの変化を感知するアンテナを失わせているなどと正当化はできまい。

 学校や教委は何のためにあるのか。児童生徒の生命財産、身体的・精神的な安全を守り、未来への希望を与えることにあるのではないか。子どもたちに時間を割くことができなくなるような、事務的作業などは可能な限り、学校、教委ぐるみで省くような努力をすべきである。
 さらに、根本問題は、保護者が子どもの指導、躾を学校任せにするような情けないことをしないこと、教員が子どもたちを自分の子どもと思って痛みを分かろうとすることである。
 もう一度書いておきたい。いじめる子どもは、親を鏡としていることを。また、学校、教委は原発からの避難児童を守れなかったことを。
 
 「天国に行かれますように」と七夕の短冊に書いていた被害生徒が「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」と書いていることは唯一の救いである。この言葉は涙なしには読めない。
 

 原発避難に関係するいじめが新潟県でもあった。
新潟市に原発避難した小学4年の男子児童が担任の男性教諭から、名前に「菌」をつけて呼ばれたり、同級生に文房具を捨てられたり、傘を壊されたりもしたことから不登校になっているという。
 「響きの良さで安易に使った」という、担任教員の無神経さ、人権意識の低さ、教員としての自覚のなさにあきれるばかりである。
 
 もうひとつ。東京千代田区立中学校でもあった。
生徒は「小学校のときから「菌」「福島さん」といじめられてきており、昨年夏ごろから一部の生徒に「避難者」と呼ばれるようになり、「福島から来たからお金ないんだろ」「貧乏だからおごれないの?」「避難者とばらすよ」などと言われ、今年になってコンビニでドーナツやジュースなど計約1万円分をおごらされていたことが分かった。本人と母親が学校に申告し、判明したという。
 これは明らかな恐喝事件である。「お金で口止めできるのなら … 」と生徒に言わせていることを、恐喝生徒、その保護者はどう考えているのだろうか。

 福島原発から避難したことが原因である「いじめ」は報じられてないだけで各地でかなりあると思われる。意図的な調査が早急に求められるとともに、保護者、教育関係者の「避難してきた子どもに寄り添った対応」と、関係する児童、生徒に対する人権教育が望まれる。
 
 困っている仲間に対する非情な仕打ちを、平然と行っている子どもがいること、そうした行為を諫めることができてない保護者のいること、弱者への思いやりの大切さを認める社会になってないことを考えれば、「日本人は親切でやさしい」などと、評されることでいい気になっていることがちゃんちゃらおかしい気がする。

 「いじめ」が人権侵害であり、犯罪行為であることを広く知ることが求められているのではないか。

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