日々の抄

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 真珠湾の誓いと靖国

2016年12月30日(金)

 首相が真珠湾を訪れた。当初、現役の首相が初めて真珠湾を訪れると謳っていたが、後に吉田元首相、さらに鳩山一郎元首相、岸信介元首相も訪れていることが判明し、「現役首相が米国大統領とともに真珠湾攻撃の犠牲者の追悼施設であるアリゾナ記念館を初めて訪れる」と訂正された。 岸信介元首相は安倍首相の祖父にあたる人であることは周知のこと。内閣に記録がなかったなどとされているが、身内の真珠湾記録も知らなかったとは、お粗末な話である。
 
 「真珠湾に行けば、日米では『戦後』が完全に終わったことになる」と安倍氏は12月5日に語っていたが、果たしてそう言えるのか。戦後レジュームからの脱却と言い続けていた安倍氏が行ってきた、多くの憲法学者が違憲としてきた安保関連法を成立させてきた行為は、むしろ戦前回帰の色合いが強い。
 
 安倍氏は、真珠湾での演説で、「パールハーバー、真珠湾に、いま私は日本国総理大臣として立っています。耳を澄ますと、寄せては返す波の音が聞こえてきます」「耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。」などと文学的な表現から始まった。
 「法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は静かな誇りを感じながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります。」とした。
 一方、オバマ氏は首相の訪問を「歴史的な行動」と評価しながらも、真珠湾は「今も涙を流す海」と過去へのこだわりものぞかせていた。

 米国と和解し同盟関係を継続していきたいということは伝わってきたものの、他方で、日米などの歴史学者ら50人以上が「真珠湾攻撃で亡くなった米国人を慰霊するのであれば、中国や朝鮮半島、アジア諸国の戦争犠牲者も慰霊する必要があるのではないか」と訴えていることにどう答えるのか。
 日本国の首相は、米国との良好な関係を訴えるだけでなく、まずなすべき事は、過去に侵略した中国や朝鮮半島、アジア諸国に真珠湾で行ったと同様の演説ができるような努力が求められているのではないか。

 首相は、慰霊訪問でなく、率直に真珠湾奇襲攻撃への陳謝を、米大統領は広島への慰霊訪問でなく原爆投下への人道的陳謝を行わない限り、戦後は終わるまい。それができないのは、それぞれの政治家として支持者への配慮があるのだろう。恩讐を越えて互いに陳謝しなければ根本的な和解はありえまい。それができてこそ、国を思い平和を願う政治家として歴史的評価がなされるに違いない。

 そうした意思のないことを顕著に示したのが、真珠湾に同行した稲田防衛大臣が、帰国した翌日に靖国神社に参拝していることである。そのことを、問われた安倍氏は「ノーコメント」と答えていることである。
 「防衛大臣」と署名していることから、いくら「一国民として」などと醜い言い訳 をしても、真珠湾攻撃を導いたA級戦犯が祀られていることに近隣諸国が反発していることは、従来の反応と同様である。いったい真珠湾での「不戦の誓い」は何だったのかと考えないわけにいかない。
 なぜなら、稲田氏は「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(「WiLL」2006年9月号/ワック)などと語っているのである。
 
 厳しい見方をすれば、経済政策の行き詰まり、北方領土返還交渉の失敗、ベトナムの原発輸出の中止、TPPが絶望化、成長戦略などとして国会審議も殆どなされずに通過させたカジノ法案への国民の半数を超える反対、2015年慰安婦問題日韓合意の白紙化濃厚など、現政権の行ってきた政策失敗への起死回生と思ってのパフォーマンスとみられても仕方なさそうだ。

 米国とだけ良好な関係を保つだけで「日本と世界の平和を築いていきたい」と思うのは間違いである。日夜も問わぬ軍用機の爆音に覆われ、日本国内で犯罪を犯しても地位協定などという不平等で米国軍人が日本の司法が入り込めないことを認めている今の沖縄の現状を見てどこが和解なのか。思い違いも甚だしい。
 
 真に平和を願うなら、近隣諸国と良好関係をどのように作っていくのかを明示し、北朝鮮に拉致されたひとびとを一日も早く帰国させるための見える形での努力を急ぐべきではないのか。
 
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