日々の抄

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 一定の節目を越えたのか

2017年3月13日(月)

 東日本大震災発生から6年が経過した。復興庁によると、震災発生から去年9月末までに避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」と認定された人は10の都県で少なくとも合わせて3523人、震災による犠牲者は「震災関連死」を含めて少なくとも合わせて2万1969人となっている。このうちプレハブの仮設住宅や民間の賃貸住宅を借り上げるいわゆる「みなし仮設」、それに福祉施設などで暮らしている人は10万4991人に上るという。
 「災害公営住宅」の建設は、3万108戸の計画に対して、ことし1月末現在で完成しているのは78%にあたる2万3393戸、22%にあたる6715戸が未完成となっている。また、かさ上げ工事などによる住宅用地の整備が完了したのは岩手、宮城、福島の3県で合わせて1万1616戸と計画のおよそ60%にとどまっている。

 いまだに全国で避難生活を余儀なくされている人は12万3168人(復興庁による先月13日の時点の発表)。福島原発事故による避難困難区域を除くすべての地域が3月末に避難解除されるという。それに伴って、原発被害による精神的賠償、営業損失賠償、自主避難者への住宅支援が打ち切られるという。
 避難先の住宅支援は自治体によって大きく異なる。時限支援の最長は2019年3月まで(山形、鳥取、新潟)、2018年3月まで(北海道、奈良)、他に入居から6年間(京都)、転居一時金(秋田10万円、山形5万円、新潟5万円、沖縄9万円)などであり、いずれも震災から8年後以降は自分でなんとかしろということらしい。

 そもそも、避難解除は除染ができたからということらしいが、環境省によると、「除染を行う範囲は、林縁から20m程度の範囲をめやすとして、空間線量率の低減の状況を確認しながら段階的に落葉等の除去を行う。 住居周辺の里山等の森林内で日常的に人が立ち入る場所について、地元の具体的な要望を踏まえ… 具体的には、ほだ場、炭焼場、キャンプ場、遊歩道・散策道・林道、休憩所、広場、駐車場など、森林内の人々の憩いの場や人が立ち入る機会の多い場所について、立入り頻度や滞在時間、土壌流出のリスク等を勘案し、適切に除染等を行う」としている。つまりは、住宅から20メートル範囲だけを除染することが最低限のことなのだから、多くが立ち入らない住宅周辺の散歩道、野山の高放射線量での保証はしない、ということだ。自宅から20メートル範囲だけしか行動しない子どもがどれほどいるというのか。これなら、当然のことながら国が避難解除などといっても帰還しないのは当然ではないか。

 避難解除がなされてもふるさとに帰還しない理由は、「放射線に対する不安、医療や介護を受けられなくなることへの不安、買い物など生活環境の不便さ、住宅の問題、除染土を保管する袋が生活圏にあること、生活の糧となる仕事先の少ないこと」、などだろう。特に成長期の子どもを抱える家庭では事態は深刻である。

 除染してやったのだから、帰還せよ、支援は終わりにする。つまり、もう被災者扱いはしない、後は知らない、というような政府の姿勢は、被災者の痛み、苦しみが分かってない結果である。避難解除を決めた役人、政治家は、1年間だけでも福島の避難解除された地域で生活してみるといい。
復興予算を、まったく被災地と関係ない地域や目的に支出してきたことを考えれば、自主避難した人を含め、元に戻れる状態になるまで、支援を続けるべきではないか。避難民は被害者だけであって、なんら瑕疵はない。支援を終了することは間違っている。

 避難した人たちを対象に行った「原発避難いじめ」のアンケート(NHK3月調査調査)では、回答した741人のうち、「子どもがいじめられた」と回答したのは54人に上り、半数近い334人が、大人も避難先などで嫌がらせや精神的苦痛を感じたことがあると答えている。その内容は、賠償金に関するものが最も多く274件、避難者であることを理由としたものが197件、さらに、放射能を理由としたものが127件だった。
 具体的には「避難者であることを理由に団地の行事に参加させてもらえなかった」、「自動車を傷つけられた」、さらに、「転職先で賠償金をもらっているから資格や給与をあげる必要はないと言われた」など、福島県から避難した人たちに対する嫌がらせや偏見が、子どもだけでなく大人たちにも広がっている実態が浮かび上がった。
 また、大人に対する無知なことが原因の誤解のいやがらせ、いじめ(朝日新聞と福島大学の調査)につぎのようなものもある。
 『埼玉県東部。第一原発が立地する双葉町から避難する女性は夫と2人で暮らし、近くで農地を借り、コメ、ネギ、ジャガイモなどを育て、直売所で売ることを日課にしていた。自宅は原発から2.5キロ離れた場所にあった。30年以上、繁殖用の牛を育て、牛舎を増築していた矢先の原発事故。無人の町に牛50頭を残したまま、避難を余儀なくされた。…… 福島県の「いわき」ナンバーの軽トラックを畑の脇にとめて農作業をしていると、見知らぬ人に「なんで、まだ福島に帰らないの? いつまで埼玉にいるの」「いくらぐらい賠償金をもらえるの」。2年前の冬。畑でしゃがみ込んでいた見知らぬ年配の男性に、「この畑の避難者は、ずいぶん賠償金をもらっていて、一つ二つとっても大丈夫なんだ」と言われた。…… 昨秋、夫は、「福島から種を持ってきて、放射能に汚染されているんだろう」と怒鳴られたという』

 被災地から全国に避難している子どもたちへの陰惨で無知ないじめは、おとなのこうした考えが大きな原因に違いない。震災直後、来る日も、来る日も「支援しよう」「絆」ということばを聞いた。いったいあれは何だったのだろうか。ふるさとを追われて見知らぬ地に生活をせざるを得ない人々への心ない言動をする日本人は大した国民とはいえない。

 首相は、東日本大震災発生日に合わせて開いてきた首相記者会見を震災から6年となり「一定の節目を越えた」として行わなかった。12万人もの避難民を抱え、復興が道半ばというのに、どこが「一定の節目」なのか。また、政府主催追悼式の式辞で「原発事故」の文言を使わなかった。まるで、もう福島原発事故は終わったことにしようぜ、といわんばかりだ。こうした態度は、福島県民を棄民しているとしか思えない。
 
 首相は、原発事故が原因で、意に反したいじめが全国で伝えられている状況を鑑み、せめて、「原発事故は避難しているひとに責任はありません。ふるさとに帰れず寂しく辛い思いをしている友達にいじめをしないでほしい。暖かく接してください。自分が避難している立場だったらどう思うかを考えてください。国が精一杯支援していきますから、お願いします。」という意味のメッセージを送ることはできないのか。

 被災地への生活支援をやめたり、不当ないじめをしているひとびとに「絆」などという言葉を安易に発する資格はない。

 福島原発事故が発生してから6年経過しても、責任の所在と原因解明が明らかにされてないことは不思議でならない。そんな状態で、海外へ原発を輸出することが国家戦略のようにして進められていることはあまりに不正義である。福島原発事故の国家の責任の有無がが初めて3月17日に前橋地裁で裁かれる。どのような結果が出るか注目している。
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