日々の抄

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 和楽器って何?

2017年3月31日(土)

   2018年から順次、小中学校で「道徳」が教科化される。初めての小学校道徳の教科書検定が終わり、8社の24点66冊が出そろった。
 学習指導要領による、小学校道徳にある次の「22の内容項目」
 『善悪の判断、自律、自由と責任▽正直、誠実▽節度、節制▽個性の伸長▽希望と勇気、努力と強い意志▽真理の探究(5、6年生のみ)▽親切、思いやり▽感謝▽礼儀▽友情、信頼▽相互理解、寛容(3年生以降)▽規則の尊重▽公正、公平、社会正義▽勤労、公共の精神▽家族愛、家庭生活の充実▽よりよい学校生活、集団生活の充実▽伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度▽国際理解、国際親善▽生命の尊さ▽自然愛護▽感動、畏敬(いけい)の念▽よりよく生きる喜び(5、6年生のみ)』
に照らして、「扱いが不適切」として検定意見が指摘され、出版社が内容を改めた例が報道された。

 「しょうぼうだんのおじさん」という題材の学ぶ内容項目は「感謝」で、通学路にあるパン屋のおじさんはまちの消防団員。ある夜、少年が広場を通りかかり、消防訓練に励むおじさん見て感謝の気持ちを抱くというストーリー。これに対して、『学習指導要領に記された「感謝」の具体的内容は「家族など生活を支えてくれている人々や現在の生活を築いてくれた高齢者に、尊敬と感謝の気持ちをもって接すること。元の題材に高齢者が登場しない』と検定意見が付き、東京書籍は「おじさん」を「おじいさん」に変更し、題も「しょうぼうだんのおじいさん」に、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)に変えて検定を通過した。
 「現在の生活を築いてくれた高齢者に、尊敬と感謝の気持ちをもって接すること」は理解できても、果たして消防団に「おじいさん」がどれほどいると考えてのことか。消防団を扱うなら、登場人物は「おにいさん」か「おじさん」ではないか。思い違いも甚だしい検定意見と言うしかない。「現在の生活を築いてくれた高齢者に、尊敬と感謝の気持ち」を表すには、他にいくらでも題材はあるのではないか。

 東京書籍が1年生の教科書で取り上げた題材「にちようびのさんぽみち」は、日曜日におじいさんと散歩に出かけた1年生のけんたが、途中で八百屋のおばさんから笑顔で声を掛けられたり、友だちの家のパン屋でおいしそうなパンを土産に買ったりして、自分のまちに愛着を持つ、という設定の、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」を学ぶ題材だが、『「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つこと」という内容項目について考えさせる内容になっていない』との検定意見が出された。

 東京書籍は、「まず、話題になったのは祖父と一緒に近所を散歩する女の子の話です。事前に学習指導要領をチェックし、小学生に身近な国土とは何かを考え、話の中で神社やイチョウ並木などを登場させていましたが、不十分だったようです。そのため、友人の家が営むパン屋に立ち寄る場面を、和菓子屋に変更しました」としている。店のお兄さんが和菓子は柿やクリなど季節の食材で作ることも教えてくれたので、けんたはまちのことや初めて見た和菓子のことをもっと知りたいと思った、という設定に修正した。
 文科省は、『パン屋を和菓子屋に修正するよう指示した訳ではありません。修正箇所はあくまでも出版社の判断に基づくものです。パン屋が相応しくないのではなく、書籍全体で「郷土愛」に不足があった』と主張しているが、パン屋を和菓子屋に変更すれば「郷土愛」が生まれるとでも思っての検定通過なのか。

 「わが国や郷土の文化」という視点から「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、書かれた学研教育みらいの『みんなのどうとく』(1年)は、公園のアスレチックの写真が和楽器店に変更された。同社の編集部は、「和楽器店よりアスレチックのほうが子供達にとっては身近だと思いますが、検定を通過するためには指摘された意見を反映させなければいけませんので、こうした差し替えをしました」としている。
 身近に「和楽器店」がどこにあるのか知っている子どもがどれほどいるのか。そもそも「和楽器って何?」と多くの子どもは思うのではないか。

 新聞各紙に掲載されている以外の検定意見は、まだ文科省のサイトに掲載されてないので何ともいえないが、上記の例を見る限り、文科省は教科書会社に難癖をつけている程度にしか思えず、検定意見は滑稽な感さえある。「変更内容を具体的に指示していません」などと言っているが、もう少し見識の高い指摘はできないものなのか。検定意見が出されれば教科書会社は、検定を通過しなければならない一心で、お眼鏡にかなった変更をせざるを得まい。

 朝日新聞3月31日に池上彰氏は「変更は教科書会社の忖度」という意味の文章を書いているが、流行言葉を使いたいためにそう表現したのだろうが、変更への具体的文言の指摘はなくとも、検定意見に対する変更は教科書会社の「忖度」ではない。変更しなければ、社運のかかっている検定通過は見込めないのだから、これは「行政指導」以外の何ものでもない。池上彰氏は思い違いをしている。敢えて言い換えれば「忖度」でなく「斟酌」ではないか。

 「道徳」は、「数値で評価して他の子と比較したり、入試で活用したりせず、成長の様子を丁寧に見て、記述による『励まし、伸ばす』積極的評価を行う」と文科省は説明している。記述で、といえど、ものの考え方、感じ方を「評価」することができるのだろうか。大いに疑問である。ただ、ひととして、なにが大事なのか、互いに助け合い、励ましあることがどれほど貴重なことか、相手の立場に立って物事を考えることの大事さを「教科化」せずに、教えることは是非ともやらなければならない。学校のなすべきことの大きな使命である。

 文科省の官僚の天下りが発覚し、調査が進められていた。国家公務員法が定める再就職規制に違反した犯罪行為である。最初に指摘された高等教育局長の早稲田大学教授就任事案では、求職に省庁が直接関与すること、現職の公務員が求職活動を行うことの禁止事項2点に明らかに抵触し、かつ再就職等監視委員会に対して虚偽の説明を捏造した行為まであり、悪質そのものでその後、本日の段階で62人が該当したという。文科省から大学などに天下りし、大学への補助金などの便宜が図られるという、見え透いた図式が透いて見え、腹立たしい限りだ。

 バレなければ平然とルール破りをし、バレれば嘘をつくという、最も子どもたちに見せたくない醜態を、「道徳」教育を推進し、ひとの道を教えたいなどと考えている官僚がこの「体たらく」である。こうした姿を道徳教育の「反面教師」の例として教材化することを勧めたい。彼らに「道徳」を語る資格はない。一方で、他の官庁でも、発覚してないだけで違法な「天下り」が行われているのではないかとの疑念を多くの国民は持っているのではないか。

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