日々の抄

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 元日の社説を読んで

2018年1月2日(火)

ことしも新聞各社元日の社説を読み比べてみた。

朝日
 「来たるべき民主主義 より長い時間軸の政治を」の見出しで、6年目の安倍政権を論じている。
 「社会保障と税という痛みを伴う難題に正面から取り組んだとはいえまい。持論の憲法改正も、狙いを定める条項が次々変わり、迷走してきた感が深い」。その理由は、「3年に一度の参院選、5回にも亘る衆院選挙を直近には強引は解散をし、選挙向けの政策を場当たり的に次々に書き換えてきたことにある」としている。
 また、「民意の”変化”を敏感に追う政治家に対し、政策の”継続”と一貫性にこだわる官僚。そんな役割分担は、官邸主導が進む中であやふやになった。目先の利益にかまける政治、時間軸の短い政治の弊害を避けるため、民主主義の時間軸を長くする方策を新たに考えなければならない」として、民主主義のあり方に問題を投げかけているものの、文章が例年に比べると散漫な感をもった。

毎日
 「 論始め2018 国民国家の揺らぎ 初めから同質の国はない」として、昨今の国際情勢を憂う。「あるべき国家像とは。自らを顧みて問いかけが必要な節目である」とし、「民主主義は、一定の区域内の住人が”自分たちのことは自分たちで決める”ことを目的とする」が、世界各地で国民国家の揺らぎ、ほころびのひとつに米国の移民制限や白人重視策は、建国以来の理念を根底から揺がし、移民制限や白人重視策は建国以来の理念を根底から揺さぶり国論を分裂させている。
 「現代の国家は、国家主権、民主主義、グローバル化のトリレンマ(trilemma=三重苦)にあり、スペイン・カタルーニャの独立宣言が国家論に一石を投じ、英国はスコットランド、ベルギーはフランデレンの独立問題、日本は今も重い基地負担に苦しむ沖縄を追い立てるような風潮しかりである。
「階層や生い立ち、地域、年代、性差によって意見は異なるので、民主主義が必要とされる。互いに異論を認め合い、最終的には全体の結論を受け入れていくプロセスに値打ちがある」として、「互いに異論を認め合い、最終的には全体の結論を受け入れていくプロセスに値打ちがある」と訴えているが、最後の天皇退位の話は前後のつながりが分からない。

東京
 「年のはじめに考える 明治150年と民主主義」として題して
 「明治百五十年といいます。明治維新はさまざまなものをもたらしましたが、その最大のものの一つは民主主義ではなかったか」「… 民主主義を求める欲求は全国に胚胎していた。その延長上に明治憲法はつくられました。絶対的天皇制ではあるが、立憲制と議会制をしっかりと明記した。日本民主主義のはじまりといわれるゆえんです」としている。
 毎日も明治憲法に触れているが、毎日は「明治憲法を起草した伊藤博文は、”国家の機軸”を天皇に求めた…… 憲法の施行直前に発せられた教育勅語は天皇を精神的支配者にした」とし、「一般国民に圧倒的な影響力があったのは憲法ではなく教育勅語だ」としている点は対照的である。
 政治に対しては、「資本主義のひずみは議会のつくる法律で解決すべきだが、残念ながらそうなっていない」「”一強”政治がある。首相は謙虚を唱えながら独走を続けている。広場の声と政治がどうもずれているようだ」とも指摘している。
 
読売
 北朝鮮の脅威とそれに対する対応策をほとんどの紙面を割いて論じている。異論はない。同時に拉致被害という国家的犯罪について触れてほしい。
 「この6年間、衆参両院選が計5回行われた。選挙に勝つため、与党は消費増税を2度延期し、バラマキ色の強い政策を掲げた」。「政治に求められるのは、国民の不安を取り除くとともに、未来への展望を開くことである」は同感である。


 明治維新から150年を迎え、「明治の日」を策定しようとする機運があるが、明治憲法はあくまでも天皇を中心とするものであり、近代国家が希求する、国民による国民のための憲法でなかったことは留意すべきことである。
 「明治」に、そこはかとない回顧の念をもち、拘泥することは、『国民とともにあり、その「象徴」であり続けたいと希求し、献身的に先の戦争の悔恨を身をもって懺悔と思われる旅を続けられ、間もなく退位される今生天皇の意』に反することではないだろうか。
 
 政治のなすべきことは、「国民が自ら汗水垂らした労働で得た報酬で、自ら生計を立て、自ら家庭をもち、子をもうけて次世代に命をつなげたいと願っていることに応えること」ではないか。
 姑息な少子対策など無用である。政権の人気取り、政権の存命のための給付金は本来的な姿ではない。各種教育の支援を増税分でなすことは、結局は給付を受けた世代の人々が背負うべき負債として残されていることに気づくべきである。国家の赤字を国債で賄うことの愚かさは、ひたひたと近づく、いずれ訪れるであろう国家破綻の序章であることを新聞各社は国民に訴え続けてほしいと願う。
 政府が経済界に働きかけて「数値を上げた賃上げ」を要請し、それに応えることは本末転倒ではないか。
 
 ことしの元日の各社の社説はこじんまりしていて、迫力に欠けると感じたのは私だけだろうか。

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