日々の抄

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 平成最後の夏の終わりに

2018年8月30日(木)

 平成に元号が変わり、調査書の元号の欄に急いで作ったばかりのゴム印を毎日のように押して忙しさに追われていたことを想い出す。あれから30年。激動の平成最後の夏に、ことしも終戦記念日を中心に戦争記録の映像を視聴した。
 
 「届かなかった手書き 時をこえた郵便配達」「日本の一番長い日がはじまった〜」「自由はこうして奪われた〜治安維持法 10万人の記録〜」「綾瀬はるか 戦争を聞く」「ノモンハン 責任なき戦い」「船乗りたちの戦争〜 海に消えた6万人の命〜」「インパール 慰霊と和解の旅路」「”駅の子”の闘い〜語り始めた戦争孤児〜」「”悪魔の兵器”はこうして誕生した〜原爆 科学者たちの闇」「真珠湾攻撃77年目の真実〜日米ソの壮絶”スパイ戦争”〜」「祖父が見た戦場〜ルソン島の闘い 20万人の最期 」「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」「美しき海の墓場トラック島〜戦時徴用の悲劇」「"被爆樹木"ニューヨーク〜ヒロシマ・NY 二つのサイバー・ツリー」「忘れ物、金輪島」「ヒロシマ 残された問い 〜被爆二世たちの戦後〜」「”ただいま”と言えない 〜原爆供養塔に眠る814人〜」「学徒出陣〜大学生はなぜ死んだ? あの戦争を忘れない」「なぜ日本は焼き尽くされたのか〜米空軍幹部が語った"真実"」「原爆投下 知られざる作戦を追う」「原爆救済〜被爆した兵士の歳月〜」「報道特集"消えた村のしんぶん”」
などで、膨大な時間が費やされた。

 ことし印象的だったのは、戦中生まれの小生にとって事情によっては当事者になっていたかもしれなかった「”駅の子”の闘い〜語り始めた戦争孤児〜」だった。親を失い、家を失い、物乞いと盗みで命をつないでガード下で雨露を凌いだ。隣の友の命が失われ、物のように処分されていった悲劇。米軍の施策で「孤児狩り」されたものの、その後艱難辛苦を重ね視力を失いながらも懸命に生きた人もいた。子どもにはなんら罪はなかった。戦争の一番の被害者は子どもをはじめとする弱い立場の人間だった。

 また、米国人が戦後73年経過しても「リメンバー・パールハーバー」と言い、本日の新聞報道によると米国トランプ大統領が安倍首相に対して貿易交渉に先立って同じ言葉を発して恫喝したと伝えられていることに関した証言であるのは「真珠湾攻撃77年目の真実〜日米ソの壮絶”スパイ戦争”〜」である。真珠湾攻撃を事前に米軍は承知していたこと、日本軍に先制攻撃をさせたかったことが述べられていた。これが本当なら、「リメンバー…」はまやかしであり、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の正当性が失われる。
 
 さらに、「綾瀬はるか 戦争を聞く」では満州開拓団の最後の悲劇を伝えた。関東軍が卑怯にも開拓民を見捨てて逃げ去ったあと、女性たちが侵攻してきたソ連軍兵士から性的暴行を集団で受け、性病で命を失うもの、帰国の船上から身を投げて命を失ったものがいたこと、帰国後強制的に堕胎手術を受けさせられたことなどが伝えられたが、あまりの酷さに映像を直視することができなかった。
 これと同じことを、『「性接待」語る、満蒙開拓の女性たち 岐阜から入植 敗戦直後、旧ソ連兵相手に』(朝日新聞8月20日付け)として報道された。それによると、開拓団の副団長が「団を守るのか、自滅するか。お前たちには、力がある」として「性接待」を要求したという。すでに高齢になった女性が「なかったことにできない」と公の場で語ることによって明らかになった。勇気ある行動である。
 
 また、「報道特集"消えた村のしんぶん”」、「自由はこうして奪われた〜治安維持法 10万人の記録〜」は治安維持法で特高による、言論、表現の異常な統制を伝えた。その内容は当初は共産党が対象だったものが、拡大解釈され、なんら関係ない真面目に生きる市井の善良な市民へも統制が拡大されていった。目的遂行罪が規定され、共産主義者でなくとも、当局が恣意的拡大解釈によって社会主義運動等に協力したと認定すれば、誰でも罪に問うことができようになり、自由主義や反戦思想までもその標的とされた。

 長野で600人以上の教職員らが治安維持法で逮捕された1933年の2.4事件も取り上げられたが、治安維持法が対象としていた共産党員はゼロ。また、データでも1929〜33年の5年間で検挙された人のなかに、共産党員は3.4パーセントしかいなかったという。
 共謀罪と称された「改正組織犯罪処罰法」は、処罰対象を「組織的犯罪集団」に限るとしていたのを一変させ、「組織的犯罪集団の構成員ではないが、組織的犯罪集団と関わり合いがある周辺者」ということで「処罰されることありうる」としていることは、まさに現代版「治安維持法」ではないか。


 「祖父が見た戦場〜ルソン島の闘い 20万人の最期」はNHKの報道として出色である。
 太平洋戦争末期の激戦地であるフィリピン・ルソン島の戦いを小野文恵アナウンサーが、ルソン島で戦死したとされる「会ったことのない祖父」の最期を追った。
 マニラでは日米両軍の大規模な市街戦で10万人とされる民間人が犠牲となり、ゲリラと非戦闘員を区別しない日本軍による住民殺害などの残虐行為が行われたこと、日本軍による女性への性暴力が行われ、そのショックから自殺した友人もいたと語る女性が、「私たちは戦争の犠牲者だった。多くの友人がレイプされた」「私は過去を乗り越え、いま別の人生を生きている。私は日本を許した。でも絶対に忘れない。二度と繰り返してはならないからだ」ということが力強く伝えられた。
 日本軍の加害行為が証言から伝えられ、加害行為を矮小化したり、勇ましい行為として美化している風潮に継承を鳴らした。


 悲惨な記録映像を観ることは辛いが、毎年8月は、大戦で失われた多くの尊い命の鎮魂のときと思い、また平和に流されている自分を諫めるために沢山の戦争体験を見ることにしている。戦争経験のない政治家が勇ましく、「独立国なら核を保有すべし」、「政府に逆らうものは非国民」などと語っていることに背筋の寒くなることを感じている。


 むのたけじさんの言葉「戦火を交えるのは、戦争の最後の段階である。報道が真実を伝えることをためらい、民衆がものを言いにくくなった時、戦争は静かに始まる」を思い出す。今の日本は多数を擁している与党から政権に対する異論がまったく聞こえてこない。政権と飲食をともにしている人物がTVのコメンテーターとして平然と躊躇なくヨイショ発言を続けている。平和を語れば、反日だの左翼だのと意味も分からず罵倒する風潮がある。今の日本はむのさんの言葉によれば、「すでに戦争は静かに始まっている」のではないか。

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